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子どもを亡くした親の会「 こもれび 」札幌#2

揺れ動く気持ち

2022年12月31日に準備が整ったので、その日に
立ち上げの告知をしました。
いざ、SNSに告知してみると
なんだか不安な気持ちになってきました。
「 私でいいのか 」
よくよく考えてみると、求められてスタートした訳でもなく
私が「 あったらいいな 」そんな気持ちを現実化したに過ぎませんでした。
だから、開催予定も何も決まっていません。
「 必要とされているのか ?」も分からないのです。
「 あ〜あ、また自然消滅するのかな〜 」
そんな気持ちになっていました。

コロナに感染した〜

告知を終えた私は、なんとなく身体に異変を感じていました。
息子は前日から発熱し、抗原検査陽性でした。
家族4人、次は誰の番だろうか・・・・
新年明けて2日、私は38、8°c次の日に陽性を確認しました。
その後、酷い全身の痛みと頭痛で苦しい思いをすることになった私は
幸いにも重症化はせずに、ゆっくりと回復に向かっていきました。
いつ感染してもおかしくはない状況とはいえ、今の今まで
免れてきたので、もしや逃げ切れるかと考えていました。
高い熱と痛みは本当に苦しかったです。
その辛い時でも頭は不思議なことに冴えていて
予想外の感染に「 人生は 何が起きるかなんて分からないな 」と
「 結果はともかく、会をスタートしてよかった 」そう本気で思ったのでした。

娘との時間を思い出す

娘の6回目の再発で、積極的治療を中止した時
これまで以上に、1秒たりとも娘の時間を無駄にするものかと決意しました。
病気を治すことも、代わってやることも出来ない私にとって
やれることは、そのくらいしか思いつきませんでした。
今、私は生きています。とりあえず病気でもありません。
明日どうなるか分かりませんが、余命は決まっていません。
でも、人生の半分以上は過ぎています
娘に思ったように、今の私が「 1秒たりとも時間を無駄にしない 」
そう決めたら、どんな人生なんだろう・・・・。
自分の為に生きると決めてみようかと思ったのでした。

やりながら考えていけばいい

誰にも期待されないということは、自分のペースで出来るということです。
焦る必要もなければ、自分が納得いくやり方でやれるということです。
告知はSNSだけでなく、友人にも個人的に声をかけてみました。
そうしているうちに、何か違和感を感じ始めていることに気がついたのでした。
「 子どもを亡くした人を私は探そうとしているのか? 」何かが変です。
仮にそのような人がいたにせよ、この会を選ぶとは限らない。
「 安全・安心した場所で」何をもって、そう言えるのか。
人それぞれ、安全・安心の基準は違うだろうし
私という人間がどういう人か知らないのに、自分の痛みを話すなんて
そうそう簡単にできるはずが無いのではと思いました。

過去「 不登校の親の会 」に3年間通ったことがありました。
その時は、心許せる友人から「 一度行ってみたら 」の言葉を信じて
参加することに決めました。
私のことを良く知っている人からの勧めは信頼できる情報だと思ったからです。

私を知ってもらう

私という人間を知ってもらうのが一番なんじゃないか
「 この人に、ちょっと話してもいいかな 」そんな気持ちが湧いたら
きっと、繋がってゆくに違いないと思いました。
いや、この感覚が何よりも大切だと思います。
「 やれることがたくさん有りそう〜 」
そんな気持ちが湧きつつも「 こもれび 」が開催される日を想像しながら
自分の人生の一部として楽しんでいきたいと思います。

「 こもれび 」スタートから 23日目








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