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弔辞がわりに。

石原慎太郎が死んだ。ここ10年の高倉健さんや田村正和さん、志村けんさんの死と同様、「一時代の終わり」だとわたしは思う。

私は小さい頃、大江健三郎と、侃侃諤諤の喧嘩をしたことがあるが、当時は「嫌い」だったとはいえ、その議論では対立軸だった「保守派」の「石原慎太郎」の方に共感を覚えたものだ。「左派リベラル」は今でも思想としては、実は好きなのだが、やはり「左派系知識人」の「独善性」と偽善性には強い違和感を覚える。

石原慎太郎の文学者としての側面と政治家としての側面ーー自民党タカ派集団「青嵐会」を組織する「行動派」なところが最後まであった。

彼の本音では「占領憲法」には正当性がなく、全く認められないだろう。結局彼の生きている間には改憲は全く実現しなかったが。

もっとも都知事時代の「ディーゼル車規制」は最も彼の良心的な部分だといえる。当時は自動車会社から大不評だったが、今のSDGsや環境経済思考を保守政治家の石原慎太郎が率先して進めたことは今から振り返っても、多いに評価できる。しかしあの新銀行東京の失敗ーー中小企業への貸付を増やしたこと、金融ど素人同然の都にそんなリスクの強いことをさせたのは失策だった。

といっても、こんなのはまあ彼の政治家人生の無数の傷の一つや二つにすぎないし、もうあんな大物政治家は小選挙区時代には、なかなか出てこないだろうけれど。


私が一番評価するのはやはり「小説家・石原慎太郎」だ。

とくに「ファンキージャンプ」前後の若い青春時代の石原文学ーーー「ジャパニーズ・ヘミングウェイ」の体現ともいうべき文学作品群は、もう一度再評価されてもいいと思う。今ごろ文藝春秋などが必死に出版企画を構想していることだろう。

ぜひとも、彼の小説を読んでみるといいと思う。ガラッとイメージが変わるはずだ。

それでは。




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