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ファッション遍歴

ごきげんよう、ezotanuです。

あきやさんの講演会でオススメのアウトプットとしてあがっていたファッション遍歴をわたしも書いてみるなり。


幼少期

わたしが大層可愛らしかったころ。
母は東京に来ると銀座でわたしの服を買っていたらしい。この時選んだ服は今見ても自信があるラインナップなようで、思い出話の時にテンションが高かった。
幼稚園のころから「男の子は青、女の子は赤」という謎ルールに反発していたため、わたしが自我を持ってからは赤やピンクの女の子らしい服はあんまり着ていないんじゃないか…と思う。
女の子向けのアニメより仮面ライダーとかの方が好きだった。(顔が見えないから毎週出演出来ると考えていて)ショッカーになりたかった。戦隊モノごっこをする時は黄色だったかもしれない…?黄色は男女どっちもいたから。ピンクは絶対やりたくなかった記憶はある。


小学生〜中学生

何着てたっけ。母の友人が作ってくれた弟と揃いの服とか、あんまりこだわりなく与えられるものを着ていた気がする。
スカートよりキュロット、スボン派だった。ワンピースは着なくて、ジャンスカは着ていた。


高校生

母と一緒に服を買いには行くけれど、丸一日新宿を練り歩いてようやくTシャツを一枚買えるか買えないか…というくらい、わたしの欲しいものと母のOKが出るものが少なかった。まず、わたしが着たいと思う服がこの世の中に全然無いのだ……驚くほどにな……!!着たい服の明確なビジョンもなかったので、無ければ作ろうという気もなかった。
たまにこれが着たいというものがあっても、値段が安すぎると母によって弾かれた。と言っても高級な服を着ていたわけではまっったくない。安すぎる服が弾かれていた理由は、長く着られないからである。
そう!我が家が服を選ぶ時に大事にしていることは長く使えることであった。今思うと当然なのだ、なにせ特にわたしはこだわりが強すぎてなかなか欲しいものが見つからないので…!最低でも三年は着られる服じゃないと。
昔ねだって安いタンクトップを買ってもらったら一度の洗濯で脇の縫い目あたりが盛大に捻じれたので母が怒っていた。あんなに曲がったのを他では見たことがない…。わたしは初めて生地の水通しの大切さを学んだ。今もその企業は超元気に存在しているけれど、そこの服はそれから一度も購入していない。あの捻れた青いタンクトップの悲しい姿は今も忘れられない。

着たい服がないと思っていたある時、転機が訪れる。
ある日母に「(普段見てる漫画やアニメの傾向から)あんたが好きな服はこっちじゃないかと思う」と連れられて行った先はゴスロリ系のショップが多数入っていたマルイ。
マルイのゴスロリ系ショップは
マルイワン(伊勢丹の明治通り側向かいの、今のコメ兵あたりだったよね?)
→マルイヤング(ワンジュク)(のちのマルイカレン)
→マルイワン(新宿三丁目交差点のところ)
→マルイアネックス(今ここ!)
と何度かマルイの再編などにより移転していると思うが(有識者、違っていたら教えてください…)、訪れたのは最初のマルイワン時代である。
見てわかった。わたしが好きなジャンルはこれだ、と。
一通り見てピースナウで服を買ってもらって帰った。帰宅後、ドクロのプリント(文字で読むと厨二感満載だね)を見て父は「そんなもの」と怒ったがわたしと母は「?なんで怒ったんだろうね?よくわかんないね〜」ぐらいのテンションだった。ここで母が味方だったのはかなり大きかったと思う。父は淡い色とか好きだった娘が突然ドクロ持ってきて吃驚したんだな…。
あとはミホマツダのTシャツも買ってもらった気がする…。
ちなみに王子系はOKだったけどロリィタは似合わないからNGだった。


専門時代

高校とは違い共学だったこともあり、普通の服に興味ないわたしを心配して母がminaを買い与えてくれた。ちょっとぐらいオシャレしたら、と。minaはわたしが人生で唯一定期的に読んだファッション誌となった。と言っても半年ぐらいしか買ってないかもしれない…?EMIちゃんと田中美保ちゃんが好きだった(ここ仲良しだったよね…!)。
相変わらずピースナウは好きだった。が、そう何着も買ってもらえるものではないので、買ってもらったものを大事に着ていた。
他にはちょうどフリル付きブラウスが流行ったので、ブラウス+ショートorハーフパンツ+ニーハイorハイソックスがわたしのお気に入りの格好だった。
ここで気づいた人もいるかもしれない。そう、わたしのコーデの好みはこの時完成していて、ずっとそれが大好きなまま今も過ごしている。永遠に履きたい、ショートパンツ…(愛)。
専門になって友人に連れられて初めてハ◯ーズに行って(存在も知らなかった)、服が安くて感動した。いままでそんな価格帯の服を見たことがなかった。高校はアルバイト禁止でお小遣いもほぼなかったので服を自分で買ったことがなかったのである。チュチュア◯ナとかも行ったことがなかった…。


卒業後〜就職するまで

高校時代からV系が好きだったが、親からライブへ行くのを禁止されていたのでライブには行ったことがなかった。ここらへんからようやく行くようになる。バンギャデビューである。mixiやライブ会場にてバンギャの友達がたくさんできる。ロリィタファッションの友達が多くて、自分じゃ着れもしないのに(ロリィタ服買ったら家に入れないと言われていた)、各ブランドの新作を全部覚えるくらい詳しくなった。友達とよく服を見に行くようになった。
一度、ロリィタ服予約のために開店前のマルイワンに友人たちと数時間並んだけど結局怖気ついて買えなかった。そんなわたしに同情して、多色買い(色違いで同じ服を買うこと)した友人たちが複数回わたしにそのロリィタ服を貸してくれた。竹下通りも歩いたしでぃずに〜にも行った。圧 倒 的 感 謝 … !!😭🙏ロリィタ服を着たい気持ちはここで成仏した。
(と言いつつ、一昨年ロリィタ服買いました!)

(今ロリィタちゃんたち全然見かけなくなったよね…みんなどこにいるの…)

ここらへんでクリエイターズアクセサリーというジャンルにも出会う。
好きな作家さんのアクセサリーが装苑のオンラインショップで取扱いがあって、そこでのちに最愛ブランドとなるブランドの服も見つける。
企業ではなく、個人で服を作って販売している人がいる…!ということも知って、着たい服が多くなった時期。
わたしの着たい服は流通量の少ない服なんだなということに気づいた。
デザフェスなどハンドメイド系イベント、セレクトショップ、予約会あたりによく出没するようになる。
デザイナーさんから直接、服やアクセサリーを買っていた。

そして、オフィスカジュアルを選ぶのがかなり苦手な人間が出来上がった。


就職後〜自問自答ファッション以前

オフィスカジュアルってなに!?とパニックになりながら服を探す日々。
今思うと全然オフィス向きじゃない、オレンジの靴で通勤していた。ストラップついてるからOKというわたしのガバガバ基準だった。鞄も赤紺金黒という4色配色の…鞄だったような…?(肩がけトートやからOKというガバg以下略)

そもそもいわゆる普通っぽい服で着たいものが殆どないのに、オフィスカジュアルなんて、着たくない服を選んで自分のお金で買うのがかなりしんどくて、ルミネとかで服を探しながら悲しくなって何度もエスカレーターで泣いた。着られる服、買える服はたくさんあっても、着たい服がなかった。
なお、会社員になってからもしばしば母が服を買い与えてくれて、それはストレス無く着ていた。好きでもない服を「自分で選ぶ」というのが苦行だった。

そしてわたしは、(プライベートの服は何も困っていないが)週5日も着たくない服を着ていることがしんどすぎて、自分らしい糖衣の選び方を知るために自問自答ファッションの門戸を叩くことになる。

プライベートでは相変わらず流通量の少ない服を着ていた。
他には着物も着るようになった。母に「50代ぐらいになったら着物着たいんだよね」と言ったら「50から突然着ると肩痛くて着付けできないんじゃないの」と言われ、確かに…!?と思ったのである。
購入したお店の人に着付けを2回教えて貰ったけど、元々日本舞踊の稽古で浴衣をよく着ていたときの手癖ががっつり残っていたので結構適当に着ている。「よくそれで腰紐解けないですね」と驚かれたので多分人には教えられない着方をしている。なのでかっちりした着姿じゃない。でも幸い着物警察には遭遇したことない!!
着物で観光地や花見スポットへ行くと意外と声かけられるしめ〜〜〜っちゃ盗撮されるんだなと学んだ。撮りたいならせめて声かけてくれ。わたしは観光スポットじゃない。

あと、洋服でも知らない人に勝手に写真を撮られるんだけどどうしたらいいんだろう…!(わたしの姿を見たことある人はわかるよね…!?別に奇抜な格好してないって…!)
ロリィタ着たときとは違ってそこに悪意は見えないし(ロリィタの時は好意の人も悪意の人もいた)、写真撮らせてって声かけてくれる人はまだいいんだが、本当に理由がわからなくて、ちょっと困る。
普通の格好してても撮られるからまじでわからない。

最近(自問自答ファッション後)は「しょうがないか、わたしのこのコンセプトじゃな…」と諦めるようになった(諦めるなーー!!!)。


おしまい。


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