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エドワード・ゴーリーを巡る旅

会場:渋谷区立松濤美術館
会期:2023年4月8日(土)~2023年6月11日(日)

いつ行こうかなとぼんやり考えていたら上記サイトに土日は混雑していると注意書きがあったので、GW9連休中の平日に行ってきた。
時間に余裕があり渋谷駅から歩こうかとも思ったが、日が出ていて少し暑かったので最寄りの神泉駅から歩いて向かう。
訪れた時間帯はタイミングが良かったらしく、並ぶことなくすんなり入れてゆったりと見ることができた。(出たときには入り口に少し列ができていた)絵本の挿絵が多くて原画が小さいので、これは混雑時に見るのは大変だな…と思う。

エドワード・ゴーリーはいままでノータッチで、うろんな客の表紙は知っているという程度の認識。小学生の頃は飽きるほど市立中央図書館に入り浸っていて絵本も結構読み漁ったから手に取っていてもおかしくはないのだが、どうしてだろう。マザーグースの不穏なものとか好きだったから、ゴーリーも読んでいそうなのにと思ったが、日本で絵本が刊行されたのが2000年でわたしが絵本を読み漁っていた頃より少し後だったということがわかった。
絵本作家としか知らなかったので、トニー賞の衣装デザイン賞を受賞していたことは今回の展示で初めて知った。

展示室に入ってまず「恐るべき赤ん坊」の背中を見て(初っ端から順番通りに見てない…!)少しぞわっとしてしまった。第1章「ゴーリーと子供」はわたしと相性悪いかもしれない。良い子も悪い子も関係なく不幸になったり死んでいくという描かれ方に、「なぜわざわざそんなものを?」と思ってしまった(言い方…!)。子どもが不幸になるのがnot for meなのだろうか。ぞわぞわしながら先へ進む。モノトーンの緻密な線が、空気中にまで滲み出ているかのような不穏さを漂わせていて、その不穏さが呼吸によってこちらの肺に染み込んでしまう。じっとりとした、黒いモヤだ。
第2章からは普通に見られたので、やはり子どもに不条理が訪れるのが苦手なのかもしれない。いや、良い行いをしていてもある日突然不幸になったり死を迎えたりというのは、現実に、誰にでもありうることなんだけど。

最も心を揺さぶられたのは第3章「ゴーリーと舞台芸術」で展示されていた「金箔のコウモリ」だった。バレリーナの舞台上での華麗な姿と、裏側の練習風景など地味な部分を描いている作品で、解説文を読んで絵を数枚見ただけでぐったりとしてしまった。胸が掴まれているような気分で、ぐらぐらと視界が揺れ足元が少しおぼつかなくなりながらもそこだけ何周もした。この作品だけ異様に周波数がぴったり合ってしまったというか、感受性が最大値になって物語を受け取りすぎてしまった。結局舞台に立つ物語に激弱なのかもしれない。

2階展示室の中央にはゴーリーの絵本が読めるコーナーがあり、原画を見て、絵本を読んで、また原画を見るということも出来るようになっていたのだが、勇気がなくてその場で「金箔のコウモリ」は読めなかった。グッズ売り場でも書籍を販売していたが、書籍は書店で購入できるからとその場では購入しなかった。でもやはり気になるので「金箔のコウモリ」は購入しようと思う…。

他には「ジャンブリーズ」の絵が可愛くて好きだった。こんな可愛らしいものも描くんだという驚きがあった。絵のテイストとしてはこういう方が好みである。こちらも今度読んでみようと思う。

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