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勧善懲悪=超悪

 勧善懲悪は毒だと断言する。しかしこいつはあまりにも世にはびこりあふれておる。エンタメとしてのアクションものはその最たるものだ。「悪いヤツ」は、ドラマなのだからいくらでも悪くできる。悪を懲らしめるんだから正しいだろ⁉︎

 しかもこいつにはもう一つ、マッチョイズムがついて回る。男(おっさん)中心ストーリーだ。カッコいい中年のおっさんが活躍し、若くきれいなお姉さんと恋仲になる… おっさんの一人としてついうれしくなって見てしまうが、やっぱおかしいと一方で思うんだ。判断の基準は「誰得?」だ。ズバリおっさん得だろ! おっさん得といえば、バラエティなどよくある番組もこれだよな。上から目線のおっさん達と若くきれいで受身なお姉さん(大抵一人)の組み合わせは実に実にあふれておる。こいつも相当な毒なのだが、また別の機会に考えてみたい。

 話を戻す。「エンタメ」の皮を被った「勧善懲悪」という毒は確実に世の中に深く染み込み、あちこちで被害者が出ている。

 問題があるといえばある。勧善懲悪を切除したら、エンタメのかなりの部分は消滅するだろう。でも、こいつに頼らなくても面白いエンタメは結構ある。ただ、人類には勧善懲悪に頼らずに楽しめる「天国」はまだまだ遠いのかもな。ふと飯田譲治の「アナザヘヴン」に至る話を思い出した。


 社会悪との闘いは絶対に必要だ。しかし、これすら勧善懲悪についつい持って行きたくなる。ここの線引きがとっても悩ましい。往々にして社会悪の皆さんは汚い手を使う。手段を選ばず恐怖と同調と分断の毒を撒き散らす。しかしそれに対峙する側は、やっぱり闘い方を選ばなければならないと思うんだ。相手と同種の手段をとれば同類に堕ちるし、何よりそういった汚いやり方は相手の方がはるかにはるかに上手だ。闇に特化した相手に闇の力で立ち向かっても勝ち目は無い。
 そもそも「悪を排除」という発想が毒なのだ。例えばテロリスト対策は? もし武力で!となれば「一人残らず殲滅」がコンプリートといったところだろう。しかし! そんなことは不可能だ。全員が戦闘員な訳が無い。家族もいる。それでも全員ですか? いつの時代ですか?
 ではどうするか。アフガニスタンでペシャワール会が一つ答えを出してましたよね?

 例えどんなに遠回りだろうと、ハラワタぐつぐつ煮えたぎろうと、ニヤリと笑いを浮かべつつ頭はキンキンに冷やして闘いたいんだ。ちなみに目は笑ってない。

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