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プロデューサーはペテン師か?

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九州、大分、日田。田舎に暮らしつつ、全国で多様な分野のプロデュース。そんな日々の問わず語りを13年、1300話以上のブログを書いてきた。noteにも徐々に新旧記事を転載中。htt…
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#クリエイティブ

見えてから。 2019.11.22

何事も見えてから。結局ここなんだなと繰り返し気づかされる。ずっと前から言葉では伝えている。え、何度も言ったじゃないか、と思ってしまうが、聞かされた側としては何も像は結んでいなかったり。僕が思っているほど、周囲にビジュアルは付いてきていないのだ。 新たなプロジェクトが始まると、過去誰もやらなかったようなプランを、誰も思いつかなかったようなアイデアで実践してみたくなる。当然の心の動き。本能に近い。ほどなく到達イメージや進むべき道筋が思い浮かぶ。うわ、これはいける。凄いことになり

ITクライシス。 2019.11.16

ITは実に便利だ。ネットなくして、僕の田舎暮らしは成り立たない。釣りへの没入だって、PCやデバイスの発達があればこそ。活用の仕方によって、距離の壁、時間のハードルが易々と乗り越えられる。なんとステキなテクノロジーよ。だが、だが、しかし、しかし。 メリットだけの事柄なんて、この世にあるはずもない。表があれば裏がある。長所の陰には短所が潜む。仕事柄、文章を書かない日はない。メール、メッセ、企画書、コピー。その度に、ペンならぬキーボードを指で突く毎日。さらに、変換などAIも頼もし

コンペの冷や汗。

コンペティション。競争入札と言うヤツ。価格だけを比べるものとか、企画内容を比べるプロポーザルとか、いくつかのパターンがある。コンペは、自治体の仕事に多い。競わせていいアイデアを得るだけでなく、公平性の担保に重宝される。でも、なんだかなあ。 一見合理的のようだが、実はそうでもない。コンペ受けするアイデアというのがあるからだ。地道なアイデアが最善と思っても、ライバルが派手な提案をするのなら、負けては意味がないので、つい飾ったアイデアを盛り込んだりしがちだ。どの業者に依頼するのが

僕の3.11。 2019.3.12

福島へ行ってきた。あの忌まわしき震災から8年。農産物のブランディングに関するレクチャーが今回のお仕事。原発事故の風評被害という負の遺産を背負ったフクシマ。通常の方法論では、すぐに答は出ないかも知れないが、僕にできる復興支援はきっとこのあたり。 あの日のことは一生忘れない。たまたまテレビを観ていて、噓のような津波の映像、趣味の悪い映画のような原発トラブル。阪神大震災、NYの9.11と並ぶ、怖じ気を奮うおぞましいシーンだった。とても現実のこととは思えなかった。ほぼ同時に何かをし

質問の意義。 2019.3.6

学生たちには良く、コミュニケーションを進める最も簡単で効き目がある方法は、相手への質問だと話している。デートにしても何にしても、会話に詰まったら質問を投げれば良い。聞くことなどいくらもある。相手が不快に思うネタを避けながら、さあ切り込んで行こう。 学校にゲストをお招きするトークイベントなどでは、質問はゲストへの礼儀とわきまえるよう伝えている。ゲストに関心があることを示すのは、依頼に応え、ご足労いただくゲストに対する最低限のマナーだが、そもそも、他人の言っていることに関心を覚

板場の包丁。 2019.2.28

このタイトルを別の言葉に変えるなら、「職権の使い方」になるだろうか。職権、つまり職業にまつわる権力は、必要なものである。丸腰の板場なんて意味を成さないのと同じ。職務を遂行するために与えられる刃物。それは鋭利であればあるほど仕事では役に立つ。 ところが、板場なら旨い料理を拵えるための大事な道具が、それ以外の目的に使われることがある。刃物は常にそうだが、他人を傷つける武器にもなる。鋭いほど、誤用の弊害は大きい。職権の濫用は、世に時折起こる喜劇だが、腹立たしい出来事でもある。職権

アイドリング。 2019.2.21

いつも静かに回っているが、ひとたびアクセルを踏めば、いつでも吹き上がるエンジン。ギアを入れ、堅いクラッチを繋げば、背中を蹴られたように飛び出していく。僕らの思考も同じじゃないか。あるとき、ふとそう思った。エンジンは常に暖めておく必要がある。 寝ているときでさえ、アイドリングは続いている。脳の奥深く、熱の引かないところがあって、考え続けているアイデアや興味の赴く事柄は、そこでずっと揺られているような感覚がある。それが覚醒し、思考の回転数が上がると、シナプス上を猛スピードで電光

異動の哀しみ。 2019.2.15

一度はこの件について書こうと思っていた。ある程度以上の規模の企業になると、多かれ少なかれ「異動」がある。組織内のポジション、担当の変更をそう呼ぶ。民間企業にも存在するが、行政の組織は必ずこの人事がつきまとう。多くの人が当たり前と思っている。 自治体との仕事が増えたのは、ここ10年ほど。当初は、行政文化とも言うべき、独特のしきたりに驚いたり、呆れたりした。その中で、最も困惑したのが、他ならぬ異動だった。何年かプロジェクトをご一緒した担当者が、突然まったく無関係のセクションに異

偶然だよね?

いまから30年近く前。コピーライター専業だった時代に、JR九州の仕事をしていたとき、ある制作物を作っていた。ラフ段階で僕が出したそのネーミングが、「メタモルフォーゼ」。ほぼ同じくして、JR東海から同じ名前のツアーが発表され、とても驚いたことがある。 同時代に生きて、同様の社会現象を見ていたら、似たような答を思いついても不思議ではない。そう思い至った。以来、そんな気分で世の中を眺めているが、時折目を疑うような偶然に出くわすことがある。数年前、東北のシェアオフィスが小社の社名と

クリ旅00回。 2018.4.21

クリ旅。「クリエイティブは旅に出よ」の略。きっかけは飲み会だった。酒場で盛り上がると電話魔になるDさんが、話題に出た人気デザイナーをコールしたのが具体化の発端。もっとも、テーマそのものはここ数年、僕のアタマの中でずっと転がっていた素材だった。 これだけ世の中にあまねく存在する方法論にも関わらず、クリエイターが社会システムに組み込まれているケースがとても少なく思える。クリエイティブが前提、あるいはクリエイター参加が前提となるプロジェクトがもっと多くてもいいのではないか。なにも

企みこそ肝心。 2018.1.29

世の中は、およそ企画と表現でできている。企画。企み。アイデアの種が、アタマの隅で芽を出し、少しずつ大きくなる。そこは希望だけでできた時間で、誰もがそれに興じる権利を持っている。思春期はずっと、居酒屋では毎夜、そんな空気に満ちているではないか。 ただ、その生育の質と量がアマとプロでは違うと言わなければならない。曰く、発想は誰でもできる。しかし、構想にするのは簡単ではない。これは、ジャーナリストの立花隆氏の至言だ。そう、実現には構想化が条件になる。家で言えば、基本設計。おおよそ

金融新時代!? 2017.11.18

入を図って出を制す。イルヲハカッテイズルヲセイスと読む。経営の基本原理を古人はこう簡潔に表現した。意味は読んで字のごとく、いかに稼いでいかに節約するか。単純明快。簡単至極。僕のような人間にも、ストンと腑に落ちる。その上で、見えてくることがある。 デザインを含むクリエイティブは、経営支援にも非常に有効だが、明らかに入を図る側に寄っている。一方、企業支援に欠かせない金融関係は、どうしても数字に囚われて、出を制すに偏りがちだ。ここ数年、金融機関がクリエイティブを取り入れて、顧客の

仕事の場所。 2017.11.12

僕が仕事をする場所は、決して一般的ではなさそうだ。ある時期は、そもそも住む場所が過疎の村だったし。加えて、仕事で向かう場所も、都市部は必ずしも多くはなく、どちらかと言うと、田舎の比率が高かったりする。そしてまた、それを望んだりしているのである。 例えばこんなことがある。現場に行く道程が美しい風景に彩られていることが、その仕事を引き受ける遠い理由になることが度々。大分の竹田はまさにそのひとつ。くじゅう連山の山越えと言ったら、そりゃあもう。もっとも、霞を食って生きているわけでは

続・暖簾づくり。 2017.6.10

先日、暖簾づくりと題して、ブランディングについて持論を書いた。ごくごく基本的なことだけを述べたので、もう少し書き込んでみる。ブランディングは、他所からやってきた新しいアイデアでもなんでもなくて、古今東西どこにでもある商売上の「信用」のことだ。 そして、この信用を構築することをブランディングと呼び、日本では暖簾づくりと言う。この商品なら安心、あの店なら間違いない、といった確かな信用をどんどん盤石にしていったらどうなるか?何度も買ってくれる顧客が増え、商売はより堅実になる。その