マガジンのカバー画像

プロデューサーはペテン師か?

329
九州、大分、日田。田舎に暮らしつつ、全国で多様な分野のプロデュース。そんな日々の問わず語りを13年、1300話以上のブログを書いてきた。noteにも徐々に新旧記事を転載中。htt…
運営しているクリエイター

#ライフスタイル

蛍を数える。 2020.6.12

家のそばを蛍が飛ぶ。前の住まいほど山の中ではないのに、実に贅沢な環境だと思う。もっとも、群れ飛ぶというほどの数はいない。多い年なら、数十匹舞っていることもあるけれど、村では当たり前だったたくさんの蛍が連鎖する光のシンクロはさすがに望めない。 数十年前まで、日田ではありとあらゆる水路で蛍が見られたらしい。いまも、市役所の横の水路に時折蛍が光る。地方とは言いながら、それでもなんと優雅なことか。そこから数分の場所にある我が家。大きな神社に隣接し、緑が豊富で、夜は真っ暗。道路を挟ん

アオバズク幻想。 2020.5.19

夏が始まる頃、陽が落ちると、神社の方から聞こえてくる。ホーホー、ホーホー。少しくぐもった規則正しい啼き声。アオバズクだ。最初はフクロウかと思ったが、調べてみるとアオバズクだった。しかも、渡り鳥。初夏にやって来て、ひと夏を過ごす。今年もようこそ。 神社には樹高30m以上になんなんとする何本もの大木がある。彼らはそのどこかに住み処を見つけて、太陽が西の空に沈む頃になると、毎日律儀に声明が始まる。ここ周辺は、夜は真っ暗になるので、その闇の上空から啼き声は降りて来るのだが、この風情

駅ピアノ 2020.2.20

ときどきNHK BS1の番組を観る。圧倒的にドキュメンタリーが多いが、お気に入りの小番組がいくつかある。なかでも、駅ピアノ、空港ピアノは、放映時間の短さとは裏腹に深く深く染み入る好番組だ。僕は居ながらにして、会ったこともない夥しい人生を覗き見る。 駅ピアノは、その名の通り、駅のコンコースに置かれた、誰でも自由に弾けるピアノのこと。最初に観たのは、アムステルダム中央駅だったか。固定カメラで映された映像とショートインタビューを、簡潔なテロップとともに眺めるのだ。世界中の駅、空港

異風者と風雅人。 2020.2.14

あんたは、いひゅうかねー。これは、生前の祖母が、小学生の頃まで、僕に向かってよく言っていた言葉。佐賀弁である。標準語に直せば、あなたは変わってるね。ということだ。いひゅうかが異風かで、いひゅうもんが異風者だと知ったのは、ずいぶん後だった。 子どもの頃は、自分を普通だと思っていたが、その後徐々に祖母評を自覚する羽目になる。偏屈で孤立している訳でもなく、いたずらが過剰だったり、知能指数と成績のバランスがまったく取れていなかったり。いつの間にか親戚中でそんな位置づけになってしまっ

アップデート。 2020.2.8

性分なのか、癖なのか、本質が気になる。雑多なディテイルを剥ぎ取った後に残る何かに最も関心がある。原則のようなものもそこで見えることが多い。取り置くのは、その原則論だけ。それで気が落ち着く。表層に現れるのはどうでもいい。そんなものはすぐに変わる。 でも、日常とはその表層のことだ。網膜や鼓膜に触れるのは、今日という係数を掛けた「今」なのだ。エンジンだけでは走れない。アプリがなければ動かない。昨日と今日は違う。今日と明日も異なる。奥に横たわる原則を見せられても納得はできない。その

還暦過ぎても。 2020.2.1

神が与えた時間は、まだしばらくあるようだ。微かな老眼と既往症の痛風。懸垂はもはや1回もできないが(多分)、軽い筋トレは毎日してるし、ジョギングはほぼ1日おきに5kmをゆっくり走っている。目線は相変わらず上向きだ。少しロマンチックに過ぎるとしても。 誰かの真似をしたことはないが、仕事上で影響を受けた人物は、まったく一方的に、松岡正剛氏と浜野安宏氏。気になる人としては、昔は藤原ヒロシ氏、最近なら菊池成孔氏。できることなら艶っぽいインテリでいたい。身過ぎ世過ぎで、ビジネスはイヤで

鍋とリール。 2020.1.7

料理をすることが増えた。我が家の事情でそうなったのだが、それが日常になってくると、いやでもスキルは上がる。味噌汁を作る鍋、炒め物などをするフライパン。鍋類で多用するのは、だいたいこのふたつ。鍋はともかく、フライパンは片手で振り回すことになる。 パスタなどは、茹で上がった麺を、具を準備したフライパンに投げ込み、一気に和える。その時、フライパンは左手で保持、右手で菜箸を操るのが相場。卵焼きも、溶き入れた卵を右手の箸で返しつつ仕上げていく。勢い、フライパンは左手で操るのがやりやす

2020 謹賀新年。 2020.1.1

年が明けた。この朝、大分日田は雲ひとつない快晴。二度寝で大寝坊し、完全に陽が上がっての散歩となった。大晦日夜更かしの妻子はまだ白川夜船。そっと家を出た。あちこちに霜が残っているが、気温はにわかに上昇中。境内はすでに大勢の初詣客で賑わっていた。 今日くらいは参拝をしよう。100円玉の賽銭を投げて、ガラガラを鳴らし、二礼二拝一礼をしたら、干支の鼠の置物を買って帰宅。屠蘇を飲み、お節を食べる。そうそう、今日は僕の64回目の誕生日でもある。友人が焼いたチョコケーキに蝋燭を立て、型ば

ある夜の旅。 2019.12.5

それは突然だった。セルモーターが回らないのだ。釣り仲間の忘年会で、阿蘇の産山村に一泊した翌朝。帰路、ホットコーヒーを啜りながら帰ろうとコンビニに寄った直後。日田に戻り、ジョグをして大阪に発とうと思っていたのに、すべてが崩れた。一寸先は闇。 ロードサービスのお世話で日田に到着。ギリギリの時間で高速バスに乗り、無事大阪へ着いた。プロ向けの講座や大学の授業で2日を過ごし、いつものさくらで新鳥栖駅まで帰り着いたら、某案件で八女へ。同行する懇意のデザイナー氏にクルマでお迎えをお願いし

晩秋の絢爛。 2019.11.28

毎年のことである。夏が終われば秋が来る。炎暑が過ぎれば涼風が吹く。下がる気温が木々を染める。次いで落葉が控えている。赤がある、黄色がある。何十回経験しているのに溜息が出る。何度も見ていても嘆息がある。晩秋の絢爛。四季折々の国で良かった。 実を言えば、今年の紅葉はいまひとつ。気温変化の諸々が影響をして、始まりも遅かったし、色の鮮やかさも昨年のそれには及ばない。けれど、それでもある時期から急激に進んで、我が家の周りもモミジやイチョウが次々に染まっていった。ここに暮らして早6年目

見えてから。 2019.11.22

何事も見えてから。結局ここなんだなと繰り返し気づかされる。ずっと前から言葉では伝えている。え、何度も言ったじゃないか、と思ってしまうが、聞かされた側としては何も像は結んでいなかったり。僕が思っているほど、周囲にビジュアルは付いてきていないのだ。 新たなプロジェクトが始まると、過去誰もやらなかったようなプランを、誰も思いつかなかったようなアイデアで実践してみたくなる。当然の心の動き。本能に近い。ほどなく到達イメージや進むべき道筋が思い浮かぶ。うわ、これはいける。凄いことになり

ITクライシス。 2019.11.16

ITは実に便利だ。ネットなくして、僕の田舎暮らしは成り立たない。釣りへの没入だって、PCやデバイスの発達があればこそ。活用の仕方によって、距離の壁、時間のハードルが易々と乗り越えられる。なんとステキなテクノロジーよ。だが、だが、しかし、しかし。 メリットだけの事柄なんて、この世にあるはずもない。表があれば裏がある。長所の陰には短所が潜む。仕事柄、文章を書かない日はない。メール、メッセ、企画書、コピー。その度に、ペンならぬキーボードを指で突く毎日。さらに、変換などAIも頼もし

俳句徒然。 2019.11.10

俳句をやっている。ネット句会というヤツ。毎月末、6句をNYに送る。もう10年を越えた。昔、NYに家族と遊んだことがあって、その時知り合った在米数十年という日本人画家の方に誘われて参加したのだった。10人ほどの小さいけれど、なんとも味わい深い集まり。 僕は元々言葉の人。現在のスキルもコピーライターから始まった。それまでも、戯れに俳句や短歌を書いていた。いまはいつも〆切に追われて、ジタバタするばかりで、一向に上達の気配がないが、同人の皆さんの秀句に唸ったり、もとより先達の名句に

iPhone騒動。 2019.11.3

それは突然やって来た。愛用のiPhone5SEが、まったく反応しなくなった。突然と言いながら予兆はあった。画面が乱れたり、フリーズしたり。いま思えば、断末魔の叫びだったか。さあ、困った。どれだけこのデバイスに頼っていたか、思い知らされるはめになる。 かねてから、5SEから後はでかすぎる、醜悪だ。などと公然と毒づいていた身としては、進退を問われたような気分だった。いくつかの選択肢を考えたが、名案は現れない。背に腹は代えられず、最新のiPhone11Proをオンライン購入。11