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プロデューサーはペテン師か?

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九州、大分、日田。田舎に暮らしつつ、全国で多様な分野のプロデュース。そんな日々の問わず語りを13年、1300話以上のブログを書いてきた。noteにも徐々に新旧記事を転載中。htt…
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#仕事

一枚の写真から。  2021.4.19

いまから37年前に撮影した写真。巨大なサクラマス。僕は当時失業中で、持て余す時間を利用して、この魚の調査に勤しんでいた。晩秋の数週間、防水カメラと借りたビデオを持ち、毎日1人でダム奥の小渓流に通った。ある日の夕刻、幸運にも数枚の撮影に成功した。 北九州のとあるダムに流れ込む小さな渓流。そこに巨大なサクラマスが産卵に遡上することは、一部の釣り人の間では公然の秘密だった。ヤマメの30%ほどは陸封される前の遺伝子を持っていて、下流にダムがあるとそれを海と錯覚してサクラマスに変わる

狩猟と農耕。  2021.4.9

縄文と弥生とするのは、あまりに乱暴だろうから、基本的なライフスタイルで分けてみた。でも、伝えたいのは人のタイプ、性格の違い、生き様の差といったあたり。近ごろ、いろんな方々と仕事をしていて、こうした根本的な違和感に包まれることが度々ある。 クリエイティブ系と事務系の差にも似ている。つまり、狩猟タイプは結果が出れば良く、過程をどんなに着実に積み上げても、逃げ回る獲物が手に入るかどうかはわからない。刻々と変わる状況を見ながら、都度最善の打ち手を決めていく。アドリブと決断の連続。一

手描き復活。  2021.3.17

ずっと気になっていた。PCを触り始めてもう何年になるだろう?いつのまにやら作文は、ペンと原稿用紙ではなくて、キーボードとモニターの作業になってしまった。筆と和紙が、万年筆と洋紙に変わったような、いわゆる道具の変遷とは少し違う。いや、だいぶ違う。 決定的に異なるのは、一部の脳の不活性だ。端的に言えば漢字を忘れる。これはもうおぞましいばかり。教員などをやっていると、板書の機会が少なからずあるが、ボードに向かったまま手が止まる。かつては、反射的に手が動いていたが、動かない。改めて

っぽいこと。 2021.2.26

世間の何かに対する違和感は、誰しも多少は持っているだろう。その対象はさまざまかもしれないが、僕もずっと胸の底に溜まっていたことがある。本編、原本ではない、要約版やダイジェストが大手を振る風潮とでも言うか。ほら、なかなかうまく言葉にできない。 落語家の立川談志のドキュメンタリーを観ていて、あるフレーズが耳に残った。「落語家っぽい」。断片だが、少し視界が開けた。似非(えせ)だ。本物っぽいけど、本物じゃない。しかし、っぽい方がかえって受け入れられやすい皮肉。そうだ、僕はここに苛つ

蓮花茶会の粋。 2020.8.28

去年春から、ほぼ1年を掛けて、USAMI fine food &cuisineさんのお仕事をさせていただいた。それが、クリエイティブプラットフォーム大分の事業として、サポートが始まった。じっくりコンセプトを突き詰め、サイトを立ち上げた。そこへコロナ禍の襲来。 母体である石仏観光センターへはもちろん、催事の激減でケータリングにも当然の打撃。センターの夏の風物詩だった蓮料理も提供が危ぶまれた。川を隔てたご自宅に併設されたGallerySARAYAMAは、ご主人H氏が復興した臼杵

鶴の恩返し。 2020.7.25

デスクワークは一人でしたいタイプだ。ごく短期間、オフィスと呼ばれる空間に身を置いたことはある。しかし、リラックスができない。衆人環視という状態もそうだし、好き勝手に行動ができない事態に言い知れぬ圧迫感を覚える。本気の集中ができないのは辛い。 基本、他人様に仕事しているところを見られたくない。仕事モードになったとき、それはいかに没頭し、研ぎ澄まし、一心不乱になれるかに掛かっていると思っている。きっと、僕自身は、あらぬ虚空を見つめたり、呆然としたり、独り言を吐いたりと、まったく

仕事の仕方2。 2020.7.10

このテーマで書くと、たちまち紙幅が尽きる。その1では、フリーランスへの経緯とローカル拠点が実現した背景を綴った。なぜローカルかは何度も書いている。20代、フライフィッシングを覚えて、住むべきは釣り場の近くと決めたのだ。それを可能にしたテクノロジー。 もうひとつの側面は、組織化のこと。現在、Bunboは法人だが、事実上は個人である。プロジェクトはすべて、その都度チームを組む。制作はフリーランスが集まるのが常。一方で、事業規模が大きくなると、事務局的パートナーが必要になる。近年

仕事の仕方1。 2020.7.5

これはずっと考えてきた。今も考えている。答が見つからないと言うより、ひとつの答に辿り着くうちに違う風景が見え始め、さらに先の答を欲してしまう感じ。自分で働いている実感が伴ったのは、30歳直前でコピーライターになってからだ。その約1年後には独立する。 成り行きでのフリーランスだったが、事務所には、電話とFAXが各一台あるのみ。当時は福岡市郊外に住んでいて、自動的にそこがオフィスにもなった。コピーライターの仕事は、特にオフィススペースは要らない身軽な生業。以来、職住はずっと同一

権威に頼る。 2020.6.18

人は弱いものである。群れに入らないと心細い。強い者に沿わないと不安になる。寄らば大樹という古諺もある。権威に頼りたくなる。自分での判断、決断が殊の外難しいので、他者のそれに委ねる。できるだけ有名で、立派な人が良さそうな気がする。そう、権威。 権威との距離が近ければ、安堵感は大きくなる。さらに、そうじゃない人たちに比べると、自分たちが少し優れているようにも思えてくる。ある日、心の片隅に虚栄が宿り、それは日に日に大きくなる。有名ブランドに働くスタッフが、なぜか客を見下すあの空気

プロトタイプ。 2020.6.6

雛型。あるいは、役割について。あるいは、向き不向きについて。もう20年以上、事業プロデュースなる仕事をしている。見えてくる課題に対して、基本ゼロから解決策を考える。方法における原則はあっても、ルーティンやマニュアルはない。勢い、毎回初体験になる。 つまり、ゼロイチ。僕はそれがとても気に入っていて、モチベーションも凄く上がる。知恵の出し甲斐もある。初めて作るモノだから、試作ということになる。その後のルーティンに繋ぐためのモノだから、雛型、テンプレートである。要はプロトタイプ。

御用聞き。 2020.5.13

お客様の声というのがある。有権者の声もそれに近い。ニーズと言ったり。それを聞くための行為をヒアリングと呼んだり、リサーチもその類だろう。昔の日本語なら御用聞きだ。そしてこの御用聞きの有り様が、本質から外れる危険を想像以上に抱えているのである。 お客様第一主義なる言葉が、世を席巻した時代があった。だが、客の希望にひたすら添えばいいという発想は、プロの存在意義さえ見失う。客の言葉面を再解釈もせずにそのまま受け入れては、客が伝えたかった真意を高い確率で取りこぼすだろう。素人の少な

ある夜の旅。 2019.12.5

それは突然だった。セルモーターが回らないのだ。釣り仲間の忘年会で、阿蘇の産山村に一泊した翌朝。帰路、ホットコーヒーを啜りながら帰ろうとコンビニに寄った直後。日田に戻り、ジョグをして大阪に発とうと思っていたのに、すべてが崩れた。一寸先は闇。 ロードサービスのお世話で日田に到着。ギリギリの時間で高速バスに乗り、無事大阪へ着いた。プロ向けの講座や大学の授業で2日を過ごし、いつものさくらで新鳥栖駅まで帰り着いたら、某案件で八女へ。同行する懇意のデザイナー氏にクルマでお迎えをお願いし

地図なんてない。 2019.10.21

いつだって、新しいことをしたいと思っている。いや、新しいこと自体に価値があるわけではない。いままで出会ったことがない問題に対して答を出そうとすれば、自ずとそれは新しくなるというだけだ。毎度、経験のない地平に向かって足を踏み出す。それは探検だ。 未踏の地をめざす探検に、地図はない。それは想像と抽象の世界。一歩進むごとに、五感を総動員して情報を集める。探検はその繰り返し。なのに、多くの人は地図を求める。初めての領域に向かうのに、そこを記した地図はないのかと当たり前のように問うの

ドジを踏む。 2019.10.3

クールという風評がある。関西だとシュッとしてると言われたり。もちろんまったくの誤解なんだが、なぜかそんな風に見られがちだ。ところが現実は、ドジを踏むこと多々。最近も、公共交通の乗り遅れを中心に、間抜けな失敗を度々繰り返している。ったくもう。 今年に入って、飛行機3回、新幹線も3回乗り遅れた。信じられない失態だが、原因はどれも時間の勘違い。空港の場合、元々無為に待つのが嫌で、いつもギリギリに保安検査場を通過することにしていたのが仇となった。航空会社に振り分けて貰ったのに、時間