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プロデューサーはペテン師か?

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九州、大分、日田。田舎に暮らしつつ、全国で多様な分野のプロデュース。そんな日々の問わず語りを13年、1300話以上のブログを書いてきた。noteにも徐々に新旧記事を転載中。htt…
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2020年10月の記事一覧

半年ボーナス。 2020.10.12

遂にその日がやって来た。長男の旅立ち。ほぼ1年前にも似たような状況があったっけ。そのときの行き先はオーストラリア。半年の語学留学。水泳のスポーツ推薦で入った高校では、3年間水泳しかしなかった。そんな学力で大学を選ぶなんて馬鹿げてる。てなわけで。 いや、わかってる。自ら子どもは所詮旅人だと昔から言ってきた。子どもは、どこからともなくやって来て、必ず旅立っていく。引き留めようと思ったことは一度もない。どころか、早くから海外に出そうと考えていた。オーストラリアは、刺激的な体験だっ

川キリギリス。 2020.10.5

釣り人はいつも魚泥棒だ。年柄年中、川や海にいる魚を釣り上げることばかり考えている。僕はもう40年来の川の釣り人で、大きなヤマメやアユを一匹でも多く釣り上げることに没頭してきた。何よりも釣りを優先し、少しでも川に居ようと悪だくみを絶やさない。 仕事が一段落したらなんて考えない。時間は作るものだし、スケジュールはこじ開けるものと心得ている。他人様が働いている最中に、のうのうと竿を出す。イソップ寓話のアリとキリギリスよろしく、労働に勤しむ人々を尻目に、生産性のない遊びに精を出して

日常と足下。 2020.9.28

詰まるところ、大事なことはそこだろう。非日常のお祭りではなくて。いつか行ってみたい遠い外国ではなくて。繰り返される日々と、僕らが立っている足下。そこをかたちづくっていくことこそが、何よりも確かな未来を導くのではあるまいか。確信は強まるばかりだ。 地域系のプロジェクトをいくつもやってきた。やればやるほどはっきり見えてくることは、宝は常に足下に埋まっているということだ。ただし、それはあくまでも原石で、磨かれればという条件が付く。すべてのローカルがそのままで素晴らしいわけではない

茶室憧憬。 2020.9.21

茶室のような空間に住みたいとずっと思っている。極小で、シンプルで、そぎ落とされた質素な美しさを備える住まい。ル・コルビジェのニースに近いカップマルタンの別荘、カバノンを知ったときは、洋の東西を問わず、突き詰めればそこなんだと合点がいった。 ここで言う茶室とは、あくまでも比喩であって、本当の茶室仕様の空間を指しているわけではない。例えば、そこには超高速のWi-Fiが飛んでいるし、机の上には一冊の薄いPC。水屋はコンパクトな厨房で、食事は小さなカウンター。シャワールームとトイレ

読書は交際? 2020.9.14

僕はずっと、読書は対話だと言ってきた。著者の言説を聞き、そうかあなたはそう考えるのか、翻って僕はどうだろうと自問自答を繰り返す。本の種類にもよるが、多くは著者の思想や世界観が露出するわけだから、結果そんな展開になる。対話は延々と続いている。 先日、松岡正剛氏の人気企画、「千夜千冊」の秘密を語るとするオンライン講演があった。その窓口サイトにあったフレーズ。読書は交際。松岡氏の洞察と考察の深さ広さは、その質量で常に僕を驚かせるのだが、実はこの知の巨人は、その表現力においてもあり

鈍亀の如く。 2020.9.14

そろそろ6年目に入る。ジョギングの話だ。まさかこんなに続くとは思わなかった。走るのは、登山と同じくらい嫌いなのに、登山はここのえ低山部をずっとやっているし、ジョギングはこんなことになっているのである。人生は楽しく哀しく、ときに不可思議だ。 散歩は毎日しているが、それだけではやはり衰える。ジムに通った時期もあるが、もっとシンプルで継続が可能なスタイルを探していた。理屈で突きつめて行くと、どう転んでも下半身と心肺機能の強化が必須になる。逃げようにも代案は見出せなかった。背中を押

EZOESAKI 2020.9.3

何かと縁の深い大阪で始まったふたつのトークイベントがある。そのひとつ、「クリエイティブは旅に出よ」は、異分野のゲストを招き、クリエイターに越境を勧める仕立て。もうひとつが、今回紹介するEZOESAKI。僕、江副直樹と、大阪のエサキヨシノリの掛け合いだ。 クリ旅は、僕がファシリを務め、三木健氏と服部滋樹氏とがゲストに絡む、楽しくもマジメなセッションだが、EZOESAKIはそもそも単なる公開型の飲み会だった。ユルユルとグダグダを開き直って、そこに現れるその場だけの本音を楽しんで

蓮花茶会の粋。 2020.8.28

去年春から、ほぼ1年を掛けて、USAMI fine food &cuisineさんのお仕事をさせていただいた。それが、クリエイティブプラットフォーム大分の事業として、サポートが始まった。じっくりコンセプトを突き詰め、サイトを立ち上げた。そこへコロナ禍の襲来。 母体である石仏観光センターへはもちろん、催事の激減でケータリングにも当然の打撃。センターの夏の風物詩だった蓮料理も提供が危ぶまれた。川を隔てたご自宅に併設されたGallerySARAYAMAは、ご主人H氏が復興した臼杵

芸能的情報群。 2020.8.23

テレビの凋落が著しい。特に在京の民放。NHKは好番組も少なくないので、まったく同じではないが、タイトルの傾向と無関係とは言わない。さらにそれらを臆面もなくなぞるローカル局の惨状には今回は触れない。とまれ、問題は発信される情報の質についてである。 テレビがお茶の間に登場したのは、60年ほど前。力道山の勇姿を、僕はリアルタイムでテレビで観た。そんな自分史はともかく、ここ20年余りの情報の芸能化は、眼を覆うばかりだ。芸能人の結婚話がニュースになる。アスリートを芸能人のように扱う。

面白がること。 2020.8.18

人生は解釈である。悲喜こもごもの日々が積み重なって、僕らの一生はでき上がる。それをどう受け止めるかで、その幸福度は変化する。禍福はあざなえる縄の如しで、善いことも悪いことも、代わる代わる現れては、夥しい喜怒哀楽をつくり出している。だったらねえ。 いま、目の前で起こっていること。昨日の出来事。去年のあのこと。いつか経験したあんな話。それらをどう解釈するかで、僕らの日常は大きく左右される。起こること自体が、面白いかどうかではなくて、それらをいかに面白がれるか。あるいは、面白そう

真夏の昼休み。 2020.8.12

そもそも昼休みなんて概念がない。始業も終業もそうだ。曜日も仕事関係のやり取りで意識することがあるくらいで、自分の中では平日か休日かの区別程度。起きてから寝るまで、仕事は常にしてるし、一方でクライアントが絡む打合せや会議以外はいつでも休みになる。 これが夏になると、昼休みは特別な意味を持つ。3月から5月迄は、僕の関心事はヤマメ釣りだが、気温が上がる6月以降は対象はアユに変わる。筑後川が貫流する大分県日田市は、全国的なアユの名川でも知られる。朝夕にピークが来るヤマメと違って、ア