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ルキンフォー

 花粉が来てると言う人もいれば、ストーブの灯油をもう1斗買い足そうかと悩む人もいる、今日はそんな気候でした。

 2月の終わりは、参観や学習発表会をこなし、学年の締めくくりに奔走しながらも、来年度の担当学年が良くも悪くも気になり始めます。この頃には「あー、来年あの学年もちたい(たくない)なぁ」なんて仲の良い人とはこっそり話します。
 人事の希望調査には、特に家庭(子ども2人夫1人)の事情がない年には「一任」で出していました。だいたい一任しても、1年生を3年連続とか支援学級から離れられなかったりとかで変わり映えしないので、タネが落ちた先でどんな花を咲かせられるかを楽しんでいるようなここ10年ほど。転勤先でも支援学級にすぐに配置になり2年が経つところでした。

 そんな中、在籍校に新設の自校通級指導教室が立ち上がりそうだと言うまことしやかなウワサが聞こえてきたのです。それまで5年ほどの他校通級はあり、中学校区の他校の先生2人で6人を指導してもらっていました。先生方からも教材の相談をしたりされたり、良い関係でしたがやはり他校から来られている遠慮のようなもの少しありました。痒いところまでは手が届いてないなと言う感じでしょうか。

今回も人事の希望調査には、「一任」と書きましたが、続けて「もし自校通級が設置されるなら、立ち上げに関わりたい」と書きました。若い頃は、まだやったことがない仕事に就く時はワクワクして、力んで、がんばりすぎたりがんばりきれなかったりしたものですが、自身の子どもを持つようになってからは似たようなことでお茶を濁したり、ベストまでいかずにベターでこなしている事も増えていました。ここ数年何かまた、自分のためだけに時間を使えたあの頃みたいに新しいことに必死でくらいついていけるような何かがないか常に探してたように思います。(ルキンフォー!!してた。笑)
 公認心理師や英語の勉強をしたのも、そんな気持ちからだったのかも。これはまた別の機会に書けたらと思います。

 通級指導の担当になりたい!いや、なる!と思っていましたし、知り合いの通級担当の先生たちに話を聞いたり本を読んだりし始めました。そしてラッキーなことに、周りを見回してもライバルはいなかったのです。5年も他校から通級に来てもらっていたのに、興味や関心を持っている方は少ないように感じていました。それに加えて、支援教育の経験がある人自体がとても少なく、誰も、進んで得体の知れない通級なんてやりたくなかったのです。

そんなこんなで管理職からもほぼ一択だった私は、望み通りの通級指導担当教員になれたのです。
名前だけはとりあえず。本当に名前だけはとりあえずは。





今日の歌詞  スピッツ  「ルキンフォー」


誰にもまねできないよな
燃えカス時代でもまだ燃えそうなこの
モロく強い心君につなげたい
かないそうな気がしてる

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