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田中泯・スガダイロー二夜公演「虚水脈〜瞼闇抄〜」雑感

田中泯・スガダイロー二夜公演の初日に行ってきた。「虚水脈〜瞼闇抄〜」と名付けられた本公演の会場は「かつてプラネタリウムだった場所。幾千もの星々が輝いており、その光の軌跡は毎日描かれていた。しかし現在すべての星々は堕落し永遠の暗闇に包まれている」(ヴィヴィアン佐藤の文章より引用)

そういったシチュエーションで両者がどんな表現を見せたのか。最初に書いておくが、今回の公演は極めて観客の想像力が試されるものだったように思う。元プラネタリウムとはいえ、投影機はすでに役目を終えているために光を発することはない。特別な照明効果があったわけでもない。フロアにグランドピアノを弾く者と踊る者が存在しているに過ぎない。見て聴いて感じ取った印象と元プラネタリウムだったという場の定義でもって各自が思い思いの物語を読み進めるしかないのだ。何が正解だったかなんてわかるはずもないのだから、ここでは自分が妄想したことを素直に書いてみようと思う。

開演に先立ってノイズ中村氏による諸注意の説明。普段マイクを持てば誰よりも饒舌に喋る男が真面目なカンペを手にした途端、どこか日本語が辿々しくなっていたことに笑いがこみ上げてきたが場を支配する独特の緊張感のおかげでなんとかこらえることができた。

間も無くして両者がフロアに登場。ドーム上の天井の内側に設置された曲面スクリーンに両者の影が浮かび上がる。スガダイローのピアノが旋律を静かに奏で始める。徐々に打鍵が激しくなるものの一定の暗さを帯びている。田中泯は呼吸を整えて摺り足のようなステップで暗闇に包まれた世界に入っていく。「場踊り」と称される彼の舞踏は場所で踊るのではなく、場所を踊ることがテーマであると言われている。自らの踊りで世界を開拓していくのではなく、場の一部として自分が存在しているということなのであろう。瞼を閉じれば闇。星々が堕落したこの世界では瞼を開いたとしても闇が広がっている。彼が闇に絶望していたのか、光を求めていたのかは自分にはわからない。ただ闇そのものを身一つで表現していたのではないかということかもしれない。

スガダイローはピアノの前から離れることができない。そこにピアノがある以上、音を奏でなければいけない宿命にある。絶望・恐怖・孤独を纏った田中泯の影が何度も彼の姿を覆い尽くす。それでもなお、激しさを伴って打鍵は加速していく。立ち向かうことを決してやめない旋律はやがて大輪の蓮の花を咲かせた。自分にとっては悟りではなく希望に見えた。何度も聴いたことのある曲だが、この時ほど美しく咲き誇っていたのを自分は聴いたことがない。鳥肌の立ち方が尋常ではなかったので寿命が縮まったような気がしている。

時間にして50分強。間接照明が消されて場内が暗くなって終了。わかりやすいかたちで闇に星が瞬いた訳ではない。二夜連続公演だからトータルで体感しないと本公演の意図はもしかしたら掴みきれないのかもしれないが、初日を観ただけでも凄味は存分に堪能できたし、この場限りの感動というよりかは例えば明日の夜とか何気無く空を見上げた時にふと両者の表現を思い出してじわじわくるみたいな余韻が続きそうな感じがする。綺麗なお星様、観たさしかない…Σ(゚д゚lll)

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