見出し画像

BiSなりの武道館と俺なりの武道館

自分の好きなアーティストが解散する。そんなことは数え切れないほど過去にもあったけれど、たいていその日を迎える前の時点で対象に興味を失っていたので思い出らしいことは特にない。なのでずっと好きでいるBiSが解散してしまうことに対してどういうテンションでいればいいのかよくわからないまま当日を迎えた。

「BiSなりの武道館」in 横浜アリーナ。
研究員有志が入り口に献花台を作っていることを事前に知っていたので、会場付近の花屋で謎の花(あの日買った花の名前を俺はいまだ知らない)を買う。胸に「IDOL」と書かれたTシャツを着た連中が同様に購入を求めて店の外まで並んでいる。そして思い思いの花を片手に会場に向かう。その光景がなんだかすごく微笑ましかった。傍から見たら戦慄が走ったかもしれないけれど。

会場に到着すると笑っちゃうくらい立派な献花台が設置されていた。6つの花輪に6人の遺影。棺桶だの盛りかごだのあって本格的にもほどがある。故人を偲ぼうにもお供え物にローションのボトル、えのきたけ、Red Bull、ドリンク無料サービス券、期限切れのBiSメンバー全員握手券などが視界に飛び込んできてちっとも悲しい気持ちにならない。

自分の席に座ってフロアを見渡しながら、「こんなに広い会場がガラガラだったらむごいよな…」とか「指定席だと動きが制限されてストレスたまりそう…」とか「っていうか解散か…」とか、ぼけーっと考えているうちに場内暗転→開演。

何度も何度も聴いた「nerve」のイントロだ。視力の悪い俺でも余裕で確認できるほどめっちゃ笑顔の現メンバーと脱退したメンバー(ユケ、りなはむ、みっちぇる)が勢揃いしている。初太刀でいきなり涙腺ぶった切られて目がじんわりと潤んできた。っていうか、スーツ姿で踊るみっちぇる超かわいいじゃねえか。懐かしさと楽しさに満ち溢れたまま曲が終わり彼女たちが一旦はける。

マネージャーの淳之介とプロデューサーのケンタ氏による余興と煽りのオープニング映像をはさんで、再びBiSがステージに登場。ラストシングルの「FiNAL DANCE」からライブ再開。新しい楽曲から始まって徐々に古い楽曲へと遡っている事実に気づいたのは結構遅かったので、ここからしばらく俺自身は解散モードにありがちなしんみりした感じにはならず、どちらかというと今回のツアーファイナルでも観ているような気持ちとともに彼女たちの頼もしさに素直に感動していた。

セットリストに込められた真実に気づくということは当然のように突き当たる命題がある。脱退したメンバーの存在だ。とくに関わりの深い曲なんて聴かされようものなら、懐かしむ→寂しくなる→泣き出すという展開も十分考えられたけど実際にはそうでもなかった。いちばんヤバイかと思っていた「Hide Out Cut」だって、コショージを先頭に、二列目テンコ、ウイぽん、サキ様、三列目プーちゃん、のぞしゃんの隊列で歩いている時にそれぞれ繋いでいる手がモニターに映し出されたその瞬間、過去を乗り越えたこれが今のBiSだよなってエモい感慨に押しつぶされながら笑い泣きが発動。現メンバーが過酷なツアーを経て築き上げた新しい世界観を贔屓目抜きに俺は肯定できた。そう、29曲目までは。


俺が初めてBiSに触れたのは2011年12月20日のリキッドルームである。
彼女たちのことは楽曲も含めてほとんど知らなかったけれど、過激なPVなどの噂はうすく聞いていたので行ったら何か面白いものが観れるかなという安易な好奇心がきっかけだったように思う。

最初はなんとなく最後方で全体を眺めていたものの、そのうち一人の女の子の動きばかり追ってしまうようになっていた。メンバー全員が同じ振り付けなはずのに、一人だけ自分なりのリズムも表現できていて、とてもステージ映えする子だなと俄然興味がわいてきた。ここまで聴いてきた楽曲も結構いいし、アイドルを好きになってもいいんじゃねえかって多少前のめりになったところにその名前も知らない子が放った一言は強烈すぎるカウンターとして俺の脳を激しく揺らすことになる。

「私、ユケことナカヤマユキコは12月31日の下北沢シェルターをもって
BiSを卒業することになりました」

その時点ではもちろん彼女が脱退するにいたった経緯なんてわかるはずもない。ただ、自分の中で最後まで見届けたいという気持ちになってしまった。脱退の日はどうしても行けなかったため「推し」としっかり認識したうえで接することができたのは22日のタワレコ新宿店でのインストアイベントと、25日のチェキ会で人生初めての2ショットチェキを撮ってもらったことだけである。後にも先にもBiSで単推しした唯一の存在とわずか11日間しかいられなかったことは月日がたってもなんとなくシミのような形でその後も残ることになる。


横浜アリーナの俺の座席はDブロックだった。「レリビ」で最高の多幸感を演出した大量の風船はここにいる多くの研究員が頭フラフラになりながら口でふくらましていたものである。ライブが始まればいつものように派手にぶち上がってセキュリティと常に一触即発状態という最高にゴキゲンなエリアでずっと楽しかったんだけれど、ふとした瞬間に前方の関係者エリアとおぼしきところに後姿しか確認できないがやたら華麗なフリコピをキメてる子がいることに気付く。


と同時に、こらえる間もなく血が逆流して心のずーっと奥のほうにかすかに残っていた感情が一気に爆発した。あの日を境にもう見ることが叶わなくなっていたBiSのユケが、あの頃のように華やかに曲を踊りこなしている。
建前も本音も理性も肯定も否定もぶっ飛んだ。自分の顔面がぐしゃぐしゃに崩壊しているのも気にせず、ひたすら彼女の一挙手一投足に心を全て持っていかれた。

30曲目「豆腐」リキッドルーム当日に卒業を発表した彼女を除く3人が初披露した脱退メンバーをDiSった曲。知らされないまま舞台袖でこの曲を聞かされて膝をかかえて号泣していた彼女は当時のそんな姿までセルフパロディに昇華して再現する鬼のエゲツなさ。

31曲目「primal.」PVで何の許可もなく2ちゃんねるに上がっているプリクラを使われたりするなど「こういうところが嫌なのでこうしてほしい」という彼女の思いが全く運営に伝わらず脱退の契機にもなってしまった曲。個人的にはこの曲もPVも大好きなので、彼女のことを思い複雑な気持ちを抱いたこともあったが、最後の最後で完璧に踊りきってくれたことがなによりすごく嬉しかった。

32曲目「ウサギプラネット」彼女の作詞による最も美しい曲のひとつ。サビで研究員が手でウサ耳つくってぴょんぴょん左回りするところで、それまで踊り狂っていた彼女が号泣してたのがとても印象的だった。この曲が終わる頃には俺の視界からは消えていたんだけど。

関わりが深すぎるこの3曲は、ずっと彼女だけ観ていた。BiSの特攻隊長として悩んで傷ついて、それでもなお掲げた理想に向かって突っ走ることを止めずに、今では自信をもって自分の表現を全うしているからこそ、元BiSとして何ら恥じることなく全力で踊り狂うことができたのだろう。あの日に観られなかった最後の勇姿としてしっかりと受け止めて自分の中でガッツリ過去を清算できたのはとても幸せなことである。

33曲目「YAH YAH YAH」以降は、賢者タイム突入というか呪縛から解き放たれてわちゃわちゃはしゃぎながら存分に楽しんだ。セットリストの流れを考えてみても終わりが近づいてきてるのはわかっていたので、悔いの残らないようにメンバーと研究員のパフォーマンスをしっかりと目に焼き付けた。

俺のいるエリアは基本的にはモッシュやリフトなどが禁止なので相変わらずセキュリティと研究員の衝突はあったし、何人かはつまみ出される事態にまで発展していた。有刺鉄線に囲まれた最前列超絶プレミアムエリア(チケット代10万円)にいた研究員も同様に下手したら流血上等でせめぎあっていたようだ。それでも研究員はひたすらに愛を叫び続けて、湧き上がる衝動を全身で解放していた。かたや職務遂行、かたや情熱のスタミナの根競べのような様相を呈している。どちらが正しいかって話をしたい訳ではない。しいて言えばお互いに正しい。

47曲目「レリビ」最上段から無数の風船が投げ込まれた。メンバーはステージを離れて場内を一周している。この瞬間、同時多発的に指定席という概念が崩壊した。アリーナだろうがスタンドだろうがお構いなし。メンバーと研究員が呼び起こした終末感がサークルという大きなうねりとなって横浜アリーナ全体を支配した。もはや制圧は不可能だったように感じる。かくいう俺も頭より先に身体が反応してしまい、今世紀最大の条件反射でもってうねりの中に突っ込んでいった。案の定、速攻で足がもつれて鬼無様に転倒したけど。これもまたどちらが正しいかって話をしたい訳ではない。しいて言えば…こちらが悪い。ごめんなさい。

ライブの最後を飾る48曲目「nerve」俺はこの時に目の前に広がった光景を一生忘れない自信がある。靴擦れした両足で立ち続けて走り続けた先にあったゴールは、横浜アリーナをほぼ埋め尽くすほどに集まったたくさんの観客による史上最大規模のエヴィゾリ。俺の周りにいたどいつもこいつも最高の笑顔で踊ってた。BiSと研究員が生み出す場はいつもこんな感じだった。彼女たちのパフォーマンスに呼応するように研究員が全力でバカなことやって、その熱が螺旋状に折り重なってひたすら上昇していくっつーか。ある意味ではコール&レスポンスの理想系なのかなって思ってみたりもする。

伝説のライブになったとか、BiSとは何だったのかとか、んなこたぁ、俺にはまだわからない。メンバーそれぞれ次の展開がもう始まっているし、幸せなかたちで解散できたことはとてもよかったとも思っている。今の心境で言えばそんな早急に総括なんてしないでもいいかなって。いい意味での思考放棄。楽しかったことたくさんあったから、その余韻にもう少し包まれていたいなっていう感じ。

7月8日の解散ライブも振り返れば泣いている時よりも笑っている時のほうが多かったと思う。いまだに解散したことが嘘みたいに思えなくもないんだけれど、いまだに転倒した時にできた足の傷の痛みは残っているし、あれからずっとBiSばかり聴いてしまうし。きっとこれが現実なんだろう。ならば伝えたいことはただひとつ。

解散おめでとう!!

(インターネット経由でひろった画像を表紙に使わせてもらっています。不都合がありましたらお手数おかけしますがご連絡ください)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?