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語るべき相手がいないと音楽は面白く聴けない?(カフカ鼾のライブ雑感)

音楽を好きになった理由ってなんだろうと考える。小学生の頃から音楽が好きだった。家族でドライブするたびに母親から聞かされていたエリック・クラプトンが刷り込まれたのか、音楽会でクラス全員で課題曲を演奏して得られた興奮が忘れられないのか。なにがきっかけだったかは覚えていないけれど、いまだに音楽は好きでいる。

先日、Twitterのタイムラインにこんな内容の投稿が流れてきた。
「CDやライブはあくまで語り合う共通テキスト。語るべき相手がいないと音楽は面白く聴けない。曲や音楽そのものが好きだからという人は稀有な存在ではないか?」(一部抜粋)

同じ価値観の人を見つけては一緒にヤバいを共有したり、自分とは違った感性をもっている人から影響を与えられたり。俺がライブの感想とかを拙いながらよく書いていることも含めて考えると前述の投稿は確かに一理ある。音楽について語ることは自分にとっても楽しいことであるのは間違いない。

石橋英子、ジム・オルーク、山本達久による即興演奏を主体としたバンド「カフカ鼾」のライブに行ってきた。初日は勝井祐二、二日目は山本精一をゲストに迎えるという豪華な布陣である。

自分の心臓音すら気になるほどの静寂を帯びた空間で微かにノイズが立ち上がる。一つ一つの音がゆっくりと浮かんでは消えていく。小さめの音で反復されるリズムやメロディが不穏な美しさをまといながら徐々に深まっていく。ひとつの展開を時間の制約に縛られずにじっくりとおこなうことで純度の増したイマジネーションが爆発の瞬間を待つ。ピアノ、ドラム、バリトンギター、ヴァイオリン、ギター。それぞれの楽器の特性が存分に発揮されているというか、恐ろしいほどにどのパートも最高に鳴っている。最初の方こそ各演奏者の手元や動きなどを目で追っていたものの、これは本当に申し訳ないんだけれども、そのうち目から情報が入ってくるのを無粋に感じてきたので、目を閉じてただ音だけに没頭するようになった。あらゆる音の豊かさが積み上がってやがて爆発を迎えた時に得られた身震いするほどのカタルシスは言葉ではとても追いつかない。あの瞬間に感情が一気に解放されたとしか言いようがない。

語るべき相手がいないと音楽は面白く聴けない。自分はそう思わない。目の前に大好きな演奏者がいるのにろくに姿も見ず、純粋に空気の振動としての音楽が描いた深くて儚い景色はそれだけでとても素晴らしかった。音楽に身をおいて得られた感動が大きすぎて言語化できない以上、誰かに語りたくても語れない。下手に語ってありのままの感動を薄めるくらいならばいっそ一人で抱きしめて、ときどき思い出して、にやにやする卑屈な感じも捨てがたい。稀有な存在かはさておき、俺はただの音楽好き。他人の理解や共感がそれを超えることはない。

では、なぜわざわざこうしていつも文章を書いて公開しているのか。記憶を記録することで現実にしておくためである。あくまでひとりよがりなもの。それともうひとつ。語るべき相手がいたらそれはそれで嬉しいなという単においしいとこどりしたい奴だからである。

(引用したツイートをdisってるつもりは全くありません。むしろいろいろと考えるいいきっかけになりました。発言の意図を俺が捻じ曲げていたり、何か気に障るようなことがあったらお知らせください。もしくは現場で会った時に一杯奢りますので…Σ(゚д゚lll))

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