小3
結局物事には知るのにふさわしい順番というものがあって、それを逸脱しても完全な効果は得られないんだと思う。
小3の時の担任は道徳の授業が嫌いで、授業をしなかった。
その結果空いた時間にミスタービーンを見たり、日体大の集団行動やラーメンズのコントをみんなで見たりして、とにかくそれが新鮮だった。
また、僕のように割とできる方の生徒には優しくて、上の学年で習う事柄や教養雑学を教えてもらったりしていた。
あとは、内輪ネタが面白いということを知ったのもこの先生がきっかけだった。
以下、覚えているノリ。
「怪奇現象〜」
と言いながら、手足をくねくね動かす
チューチュートレインみたいに重なってやる
なんかの機材が変な挙動をした時にやる
「プシーーーーッ」
教室がうるさくなったら誰かが言い始めて、それに気づいた人はみんなやる
「シーーーッ」のところを息が続く限り伸ばす
「梅干し」
詳しい内容は忘れたが、黒板の上に紙粘土の梅干しが置いてあった気がする
で、この内輪ネタを外から見た時に恥ずかしいことに気づいたので、内輪ネタは内だけでやるということの大切さも知った。
雑学に関してはノートを捨ててしまったのであまり覚えていないが、二進法について教えてもらったことを覚えている。
「両手を使って表せるよ〜」とか、「コンピューター内の情報は二進法だよ〜」とかの内容で、嫌いな人は嫌いな先生だっただろうなと思う。
とにかくその先生から受けた影響はそれなりに大きくて、何気なくしてくれた雑談からいろいろ吸収していた。
特に高校の頃の話が面白かったのを覚えていて、変な落書きがあるトイレの話とか、赤い海パンで泳ぐ臨海学校の話、夏場クーラーがなくみんな服を脱いでいる話(男子校)などがあった。
高校という教育機関に対して具体的なイメージを持ち出したのもこの頃が最初だったのだろうか。
ともかく、それ以降会わないような距離感の、たった1人の人間から受けるにしては大きすぎる影響を受けてしまった。
ちなみにその先生は教え子にあった際ボコボコに蹴られたらしく、その話を聞いた小3当時はピンと来なかったが今ではなんとなく背景が理解できる。
あとは暇な時にピッコロを練習していて、音楽会でソロパートをもらっていた。
受け持っている放送部にやたらと厳しかった。
「個人情報だから」と1年間で撮った写真を全て消すという宣言を僕達にした。
気がつくと6年くらいが過ぎて、進路を初めて己で決めることになっていた。
学校コードには、1と0だけを書いた。
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