ルール
自分ルールというと聞こえがいいかもしれないが、私の場合はある種の強制的な効力を持つそれである。
簡単に言えば、『左右平等』ルールである。
例えばあなたが左手で、壁かなんかを触ったとする。
どんな気持ちになるだろうか?
普通の人「固い」「手触りがいい」
私「左手で触ったから右手で壁をもう一度触った後、また右手で触って左手で触らなきゃ」
こうである。
これは私が「癖」と呼んでいるものの一つで、一般には強迫性障害なんて言われたりもする。
では、『左右平等』とは具体的に何を意味するのか説明する。
まず自分の中で、左右に質量が存在するイメージがある。
例えて言うならば天秤のイメージだ。
この天秤を釣り合わすことがこのルールにおいて最優先事項である。
ここで、左手で壁を触ってしまったとする。
すると私の中の天秤は左に傾く。
もうわかるだろうか。
左右の質量を釣り合わせるため、私は右手で壁を触るのだ。
これで天秤は釣り合った。
本当にそうだろうか。
確かに天秤には『左』『右』にそれぞれの質量が等しく存在するように思える。
しかしよく見てほしい。
それ、『左1』と『右2』じゃん。
まだ釣り合ってないじゃん。
『左1』とは、『1回目に触った左』のことである。
『右2』とは、『2回目に触った右』のことである。
これに釣り合う質量を考えると、答えは自ずと出てくるだろう。
そう、
『右1』と『左2』である。
つまり、行為(特に触れると言う行為)に対して『左右』と『順番』のラベルを付け、それが均等になるよう努める、と言うのが私の癖の正体である。
ちなみに壁の触れ方も五指なのか手のひらごとなのかを揃える必要があったり、
『左1右2右1左2』だけでは気持ち悪く
『左1右2右1左2右1左2左2右1右1左2左1右2左1右2右1左2』と16回触れる必要があったりとめちゃくちゃなことになる。(羅列に見えるけど左右の質量は同じになる)
これをしないとどんな気持ちになるか。
「不快」である。
どのくらい不快か。
雨の日にぐっしょぐしょの靴で校門をくぐる時くらいの不快感。
壁を触るたびに。
ここまで客観的に書いて「地獄じゃん」と思った。
しかし恐らくこの症状を持っている人は世界に多くいると思う。
まあまあめんどいので、もし前の人がもたもたしててもちょっとだけ待っててあげてほしい。
ちなみに癖はあと2つくらいあります
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