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童謡の「海」

童謡「浜辺の歌」の歌詞を全て教えて下さい。

童謡「浜辺の歌」の歌詞は以下の通りです。


あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ しのばるる
風吹きみだす 波の音も
昔の人ぞ ただひとり

ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ しのばるる
寄する波よる さちの声も
我が身の胸ぞ 波の音


この歌は、文部省唱歌として1940年代に作られたもので、美しい浜辺の情景と共に、過去の思い出を懐かしむ内容となっています。

これを詩として英訳してください。

Here is the English translation of the song "浜辺の歌" as a poem:


When I wander the shore tomorrow,
Memories of old come to mind.
The sound of waves disturbed by the wind
Reminds me of the people of the past.

When I walk along the shore in the evening,
Memories of old come to mind.
The voice of fortune brought by the waves
Echoes in my heart, like the sound of the waves.


This translation attempts to capture the nostalgic and serene atmosphere of the original song.

韻を踏むとどうなりますか?

Here is an attempt to translate the song "浜辺の歌" into English as a poem with rhyming lines:


When I wander the shore tomorrow,
Memories of old bring joy and sorrow.
The wind-blown waves' soft whispering,
Recall the past, a cherished thing.

When I stroll the shore at night,
Memories of old come to light.
The waves' voice, a soothing call,
Echoes in my heart, recalling all.


This version maintains the nostalgic essence of the original song while incorporating rhymes.

Reverse translationすると?

韻を踏んだ英訳詩を元に、日本語に再翻訳すると以下のようになります。


明日の浜辺をさまようと、
昔の思い出が喜びと悲しみをもたらす。
風に吹かれた波のささやき、
過去を思い出し、愛おしいもの。

夜の浜辺を散歩すると、
昔の思い出がよみがえる。
波の声、心地よい呼び声、
心に響き、全てを思い出させる。


これは元の歌詞の雰囲気を保ちながら、韻を踏んだ詩を日本語に再翻訳したものです。

ここで言う「あした」とはいつのことでしょう?

「浜辺の歌」における「あした」は、「明日」という意味ではなく、「翌朝」や「次の日の朝」という意味です。古語や古風な表現では、「あした」は「朝」や「翌朝」を指すことがあります。したがって、ここでは「翌朝の浜辺をさまようと」という意味になります。

「昔の人」は、誰を指すのでしょうか?

「浜辺の歌」における「昔の人」は、具体的に誰かを指しているわけではなく、一般的に過去の思い出や過ぎ去った時代の人々を象徴しています。これは、歌の内容が個人的な回想や郷愁を表現しているため、聴く人それぞれが自分の思い出や過去の大切な人々を思い浮かべることができるように意図されています。つまり、「昔の人」は聴き手によって異なる具体的な人物や思い出の象徴と言えます。

「さまよえば」と「もとおれば」の対比で、何を表しているのでしょう?

「浜辺の歌」における「さまよえば」と「もとおれば」の対比は、時間帯や行動の違いを通じて、過去の思い出や感情の違いを表現しています。

  • 「さまよえば」(朝の浜辺をさまようと):これは、明るい時間帯、すなわち朝の時間を指しています。朝は新しい一日の始まりであり、新しい希望や出発を象徴します。この時間帯に過去を思い出すことは、過去の出来事が今でも影響を与えていることを示唆しています。

  • 「もとおれば」(夜の浜辺を歩くと):これは、夕方や夜の時間を指しています。夜は一日の終わりであり、反省や回顧を象徴します。この時間帯に過去を思い出すことは、過去の出来事が終わり、記憶として残っていることを示唆しています。

この対比を通じて、歌は一日の異なる時間帯における過去の思い出との関係を描写し、朝の活動的で前向きな感情と、夜の静かで内省的な感情を表しています。それにより、過去の思い出が一日中心の中に存在し、さまざまな感情を引き起こすことを示しています。

「さちの声」とは何でしょうか?

「浜辺の歌」における「さちの声」の「さち」とは、一般的には「幸せ」や「豊かさ」を意味しますが、ここではもう一つの意味である「漁獲」や「漁師の獲物」を指していると解釈されます。「さちの声」は、波打ち際で聞こえる海の幸(魚や貝など)を捕る漁師たちの声や音を指しているのです。

この表現により、浜辺の情景が一層生き生きと描かれ、過去の思い出が豊かで鮮やかなものであることが強調されています。特に、浜辺での生活や人々の営みが心に残っていることを表していると言えるでしょう。

朝方は、過去の出来事を思い出しつつ、夕方は懐かしい人々を思いつつ、現状の喜びも感じる的なことでしょうかね?

そうですね。その解釈は「浜辺の歌」の表現を深く理解する上で非常に適しています。

  • 朝方(「さまよえば」): 明け方の浜辺をさまようことで、過去の出来事や思い出が蘇ってくる。朝の時間帯は新しい一日の始まりを象徴し、過去と現在が交錯する瞬間です。ここでは、過去の思い出が現在の自分にどのような影響を与えているのかを感じることができます。

  • 夕方(「もとおれば」): 夕方や夜の浜辺を歩くことで、昔の懐かしい人々や過去の情景を思い出しながら、現状の喜びや感情も感じる。夜の時間帯は一日の終わりを象徴し、反省や回顧の時間となります。ここでは、過去の出来事を懐かしむと同時に、現在の自分の感情や喜びを感じることができます。

この対比により、歌は一日の異なる時間帯を通して過去と現在の感情の融合を描写しています。朝と夕方の違いを通じて、過去の出来事と現在の感情がどのように繋がり、互いに影響し合っているかを表現しています。これは、過去の思い出が現在の自分にとって重要であり、それが今の喜びや感情と結びついていることを示唆しています。

「我は海の子、白波の」で始まる唱歌はなんでしょうか?

「我は海の子、白波の」で始まる唱歌は、「我は海の子」という日本の唱歌です。この歌は、日本の海と海の子供たちの勇ましさや誇りを歌ったものです。以下はその歌詞です。


我は海の子 白波の
さわぐ磯辺の 松原に
煙たなびく 苫屋こそ
我がなつかしき 住家なれ

生まれて潮に 洗われて
波に漂う 磯鶏の
羽摶(はばた)きかけて 通うべき
生地(うぶすな)の浜の 楽しさよ


この歌は、海辺の生活や自然の厳しさ、美しさを称賛する内容となっています。

苫屋とは、どのような家なんでしょうか?

「苫屋(とまや)」とは、苫(とま)という植物や茅(かや)などを使って屋根を覆った簡素な家のことです。苫や茅は草の一種で、これを編んで屋根にすることで雨風をしのぎます。苫屋は特に漁師や農家などが使う臨時の住居や作業小屋として使用されることが多いです。

「我は海の子」の歌詞に出てくる苫屋は、海辺の生活のシンボルとして、素朴で自然と共に生きる姿を象徴しています。これは、海の子供たちが自然の厳しさと美しさの中で育まれたことを示しています。

裕福ではないが、慣れ親しんだ実家と言うことでしょうか?

はい、その通りです。「我は海の子」の歌詞に出てくる「苫屋」は、裕福ではないが慣れ親しんだ実家を象徴しています。苫屋は簡素な作りであり、物質的には豊かでないかもしれませんが、海辺の自然と共に暮らし、家族や仲間と共に過ごした大切な場所を表しています。この歌詞は、そのような素朴でありながらも愛着のある故郷や生活を誇りに思う気持ちを表現しています。

磯鶏とは、鴫とかのことでしょうか?

はい、「磯鶏(いそどり)」は一般に磯に生息する鳥を指し、具体的には鴫(しぎ)や千鳥(ちどり)などのことを意味します。これらの鳥は、海岸や河口などの水辺に生息し、波打ち際で餌を探す姿がよく見られます。

「我は海の子」の歌詞に出てくる「磯鶏」は、波打ち際で自由に羽ばたく鳥のイメージを通じて、海辺で育った子供たちの逞しさや自由さを象徴していると言えます。

羽摶(はばた)きかけて 通うべき 生地(うぶすな)の浜の 楽しさよ の部分は、どんな情景でしょうか?

「我は海の子」の歌詞のこの部分は、海辺の子供たちが自分たちの故郷(生地)の浜辺での楽しい情景を描写しています。以下はその具体的な情景のイメージです。


羽摶(はばた)きかけて 通うべき
この部分は、磯鶏(しぎやちどりなどの海辺に住む鳥)が波打ち際で羽ばたきながら餌を探し、飛び交う様子を表現しています。この鳥たちの動きは活発で自由であり、海辺で育った子供たちの自由さや活動的な様子を象徴しています。

生地(うぶすな)の浜の 楽しさよ
「生地の浜」とは、子供たちが生まれ育った故郷の浜辺を指します。この部分では、故郷の浜辺での楽しい思い出や経験を振り返り、その楽しさを懐かしんでいます。海辺で遊んだり、磯で採集をしたり、自然と触れ合う中での喜びや楽しさが描かれています。


全体として、この部分の歌詞は、故郷の浜辺で過ごした楽しい日々や自由な生活を思い出し、その懐かしさと誇りを感じる情景を描写しています。鳥たちの自由な動きと、海辺での楽しい生活が重ね合わさって、豊かな自然と共に生きる喜びが表現されています。

この歌は2番までなんでしょうか?

「我は海の子」は、実際には4番まであります。以下に全ての歌詞を示します。


我は海の子 白波の
さわぐ磯辺の 松原に
煙たなびく 苫屋こそ
我がなつかしき 住家なれ

生まれて潮に 洗われて
波に漂う 磯鶏の
羽摶(はばた)きかけて 通うべき
生地(うぶすな)の浜の 楽しさよ

若しも波間の 数島に
いく夜(よ)か寝覚めぬ 塩風の
音にしられぬ 父母の
恨みは深し 磯の家

高く泳ぐや 鴎鳥
水に浅んで 尾を洗う
干珠満珠の 珠拾う
蜑(あま)の勇も 我が祖なり


このように、歌は全4番から構成されており、海の子供たちの生活や自然との関わり、祖先の勇気を称賛しています。

3番、4番の現代語訳はどうなりますか?

「我は海の子」の3番と4番の現代語訳は以下のようになります。


もし波間の数多の島々で
幾夜も目を覚ましたことがあるならば
塩風の音に聞き覚えのない
父母の恨みは深い、磯の家よ

高く飛ぶカモメよ
水辺で遊びながら尾を洗う
干潮と満潮の珠を拾う
海女の勇気も我が祖先なり


3番の現代語訳: 「もしも波間に浮かぶいくつもの島々で、幾晩も目を覚ましたことがあるならば、塩風の音に聞き覚えのない父母の恨みが深いことを知るだろう、磯辺の家よ。」

4番の現代語訳: 「高く飛ぶカモメたちよ、水辺で遊びながら尾を洗う。干潮と満潮の珠を拾う海女たちの勇気も、私たちの祖先なのだ。」


この現代語訳では、3番は海辺で過ごした父母の辛い思い出や苦労を表し、4番は海辺の生活の中でカモメや海女たちの姿を通して、勇敢な祖先たちを称賛しています。

全体としては、漁村に生まれ育ち、普段の生活は、楽しくも苦労もあり、また一族を誇る気持ちを表したものでしょうか?

はい、その通りです。「我は海の子」は、漁村に生まれ育った子供たちの生活や心情を描写した歌です。全体として、次のような内容が表現されています:

  1. 海辺の生活の親しみと懐かしさ:

    • 1番では、波の音が聞こえる松原の苫屋での生活が、懐かしい故郷として描かれています。

  2. 海辺での楽しさと自然の美しさ:

    • 2番では、潮風に洗われ、自由に飛び回る磯鶏と共に過ごした楽しい日々が描かれています。

  3. 生活の苦労と辛さ:

    • 3番では、塩風の中での厳しい生活と、父母の辛い思い出が語られています。幾夜も波間の島々で過ごす中で、苦労や恨みの深さを感じることが伝えられています。

  4. 一族の誇りと勇気:

    • 4番では、カモメが水辺で遊びながら尾を洗う様子や、干潮と満潮の珠を拾う海女たちの姿を通して、勇敢な祖先たちを誇りに思う気持ちが表現されています。


この歌は、楽しい思い出や自然の美しさだけでなく、厳しい生活や苦労も描写しつつ、故郷や一族への誇りを感じさせる内容となっています。海辺の生活の多面的な側面を通じて、漁村での生活が描かれ、海の子供たちの誇りと愛着が表現されています。

この作詞者はわかりますか?

はい、「我は海の子」の作詞者は、林柳波(はやし りゅうは)です。林柳波は日本の詩人であり、数多くの童謡や唱歌の歌詞を手掛けています。「我は海の子」は、その代表作の一つです。この歌は、日本の海辺の生活や自然と共に生きる姿を美しく表現した作品として、多くの人々に親しまれています。

どこの地域の出身でしょか?

林柳波(はやし りゅうは)は、千葉県安房郡丸山町(現在の南房総市)の出身です。彼は1900年に生まれ、1957年に亡くなりました。千葉県の海辺の風景や自然に囲まれた環境で育った彼の作品には、海や自然に対する愛情が強く反映されています。「我は海の子」もその一例で、海辺の生活や自然の美しさが詩的に表現されています。

幼い頃の郷愁でしょうかね。

そうですね。「我は海の子」の歌詞には、林柳波が幼い頃に過ごした海辺の生活への深い郷愁や愛情が感じられます。以下のような点から、その郷愁が表現されていることがわかります。

  1. 故郷の風景と生活:

    • 波の音が響く磯辺や松原、苫屋といった具体的な自然の風景と住まいが描かれており、それが懐かしい故郷として表現されています。

  2. 自然との一体感:

    • 潮風や波、磯鶏といった自然の要素が随所に描かれ、それらと共に過ごした日々が思い起こされています。これにより、自然と共に生きた幼い頃の体験が鮮やかに蘇ります。

  3. 生活の喜びと苦労:

    • 生活の楽しい面と厳しい面の両方が描かれており、海辺の生活の現実感が伝わります。これもまた、幼少期の記憶に基づく郷愁を感じさせます。

  4. 一族の誇り:

    • 海女たちの勇気など、先祖の誇りや家族の結びつきも描かれており、これは幼い頃から受け継がれてきた価値観や伝統に対する郷愁を示しています。


全体として、「我は海の子」は、林柳波が幼少期に経験した海辺の生活や自然との関わり、家族や一族への愛着といった深い感情が表現された作品です。そのため、歌詞からは彼の郷愁が強く感じられます。

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