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シブヤ大学の授業のつくりかた

なにかしらの企画だったりプロジェクトだったり、ふと、やってみたい!って直感や好奇心がほとばしったとき、いわゆる”企画のプロ”に限らず、もっといろんな人がそれを形にしようと試みたら面白いなあ、と。

企画を本業にしている人のみならず、いろんな人が授業づくりを担っているシブヤ大学の事例が、その一助になるんじゃないかと思い、ちょっと「シブヤ大学の授業のつくりかた」をまとめてみようと思います。

って、まずはご存じない方に向けて、「シブヤ大学」とはなんぞやの話を。
知ってるよーって方は、冒頭部分を読み飛ばしてくださいまし。


シブヤ大学について

シブヤ大学」は、2006年に開講し、現在では首都圏在住の20〜30代を中心に約25,000人の方が登録している市民大学です。ジャンルを問わず、日常がさらに充実するような学びやチャレンジの機会を、基本的には1回完結のスタイルで、これまでに1,000講座以上、年間で100講座ほど(たとえば、こんな授業たち)をつくっています。

シブヤ大学の主な特徴は、次の3つです。

ひとつめは「シブヤのまちが、まるごとキャンパス」
シブヤ大学は特定の校舎を持たず、まちのお店や公民館から、デパートの中や劇場、代々木公園でキャンプ、明治神宫の禊場、駅前再開発の工事現場まで、渋谷じゅうのいたるところに教室がポップアップします。また、渋谷のまち全体を”大学”に見立てて、ヒト・モノ・コトといった地域の資源を、最大限に活用・編集して学びの場をつくっています。

ふたつめは「誰もが学生になれて、そして先生にも挑戦できます」
授業を行う”教室”は基本的に渋谷ですが、渋谷区に在住・在勤に限らず、学びたいと思う人は誰でも受講できます。また、各授業の先生役も、著名人から小学生!まで、老若男女さまざまな方々が、仕事やライフワークなど自分の得意なことを活かして登壇しています。

みっつめは「入試も卒業も、授業料もありません」
誰もが気軽に参加できるように、材料費を除く授業料は無料です。結果、授業の先にある”目的”への意識が強い人だけでなく、さまざまな”興味”の切り口を持った人が集まる。無料であることが、普段は出会わないような”価値観の異なる人たち”と触れ合う機会と、上下や主従のないフラットな関係をつくる。それらが、より”素の自分”で感じたり考えたりするきっかけを生みやすくすると思っています。

授業料を無料にできるように、(現状では)主に行政や企業からの業務委託による収入と、加えてシブヤ大学の取り組みを応援してくださる皆さんからの寄付・会費によって運営しています。(助成金・補助金は使っていません)

”業務委託”といっても、単にお題どおりの授業を下請け的にやるのではなく、コラボレーションによる共創型プロジェクトとして、委託元と一緒に企画を進めていきます。
その際、一番気を付けているのは、業務委託に紐付かない自主企画の授業同様、あくまでも参加者の満足を一番に目指すこと。授業料無料だからって、コラボする行政や企業のメリットを優先してしまうと、それは必ず伝わります。この軸をぶらさない上で、委託元の課題解決・目的達成も試みます。

また、地域に根差した市民による大学として、ボランティアスタッフたちの「やってみたい!」を様々な活動の起点にしています。事務局は”縁の下”を担い、関わるスタッフたちが、自身を”お手伝い”ではなく”主体者”として実感&活躍し続けられるようにするのが役割です。

※もっと詳しくは、Webサイトや、活動報告書をどうぞ。 


ぼくが、シブヤ大学をやっている理由

2008年から、フリーランスとしてシブヤ大学の運営に携わりはじめて8年。こうした、事務局として裏方(=有志主体のプロジェクト運営)や、行政や企業からの委託業務(=共創型プロジェクトの企画〜実現)を担ってきました。

ぼく自身、なんでまたシブヤ大学に携わってきたかというと、フツーの人がもっと活躍したら、世の中もっと面白いなって思う故。(”フツー”ってなんだろう?の深堀りはまた後日にでも)

なんというか「すべての人は、自分の人生を自分でつくれるはず」と信じているのですが、同時に「そんなに強い人ばかりでもないよな」とも思います。
じゃあ、特段強くもない人が、自分の人生をたぐり寄せるには、どんな機会があるといいか?

それには、新しいなにかと出会える学びの機会や、気軽に失敗できるチャレンジの機会があるといいんじゃないか。また、”つながり”そのものが目的化してしまうとちょっと気持ち悪いのですが、同じテーマへの興味を触媒に人が集まることで、副産物としての”つながり”が生まれやすくなることも、その助けになるんじゃないか。そんなことを考えながらやってます。

それと、もうひとつ思っているのが「本気の素人は、やっつけのプロを越せる」ってこと。

いや、一番面白いのはやっぱり”プロの本気”なのですが、素人が臆せず本気でやってるとプロはやっつけ仕事をしにくくなる。また、素人の本気を積み重ねた先にプロの世界が拓けていくと思うので、シブヤ大学で授業をつくったり、プロジェクトを起こしたりすることが、その入口のひとつになれたらって。

、、少し脱線しますが、「なんでまた?」を考えてて思い出したことが2つ。
子どもの頃に、夜テレビでやっていた『土曜倶楽部』って番組をたまたま観て(もはや内容は忘れましたが)「誰かの好奇心がほとばしる”学び”ってなんだか凄え面白いぞ!」って感じたこと。
それと、高校生の頃に『水の波紋 '95』という、原宿〜青山のまちなか一帯にアートを点在させる展覧会を体験して、歩いていたら唐突に”よくわからないもの”が現れる、その気付いたらボーダーを踏み越えてた感から、「日常と非日常は地続きなんだ!」って腑に落ちてしまったこと。
この2つが、ぼくが今やっていることについての原体験になっている気がします。


だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、そろそろ本題に入ります。

「シブヤ大学の授業のつくりかた」なんて題したものの、”シブヤ大学”自体が、主体性と多様性を大切にしたい取り組み故、参加された皆さんの「出てよかった」を目指そう!って軸さえブレなければ、それぞれがやりたいように/ありたいように授業をつくるのがよいと思います。(むしろ、マニュアルめいたものは、自分で考えるチャンスを奪うよなあ、とも)

とはいえ、なにもないところから「さあ、授業をつくろう」といっても、企画慣れしてないとハードルが高い。実際、シブヤ大学を運営する中で、授業づくりに挙手してくれる面々が偏っているのを課題に感じて、もっといろんなメンバーが授業づくりに挑戦できないかなって。

その打開策として昨年、まずはためしに小さくやってみよう!と「世界を食べるゼミ」という授業づくりチームを募ってみました。

世界を食べるゼミ ロゴ

まったくシブヤ大学の授業づくりをやったことがない皆さんと、1年間という期限の中で、いくつかの授業づくりに挑戦する。(それが成立しやすくなるように、授業のテーマを”世界を食べる”に絞りました)

ぼくがこれまで暗中模索でやってきた授業づくりを振り返って(数えたら105講座ありました)棚卸したポイントをタタキ台に、「世界を食べるゼミ」による授業づくりを通して気づいたことを反映して、これから”はじめての授業”をつくろうとするメンバーに手掛かりを残せればと。(そしてそれが、フツーの人が企画を起こす際の一助にもなればって)

授業のつくりかたは多様でありたいとも思うので、あくまで”一例”にはなりますが、以下まとめてみます。


ひとり目の”学び手”になる

シブヤ大学の授業づくりで一番大事にしてることは「自分が、ひとり目の”学び手”になる」こと。
ぼくらの授業は、授業の教え手である「先生」役と、授業のつくり手である「授業コーディネーター」の二人三脚でつくっています。授業コーディネーターは、シブヤ大学のボランティアスタッフが挙手して担います。そんな彼/彼女たちと、授業づくりについて共有している指針は一つ、「自分がひとり目の学び手となって、受けたい授業をつくろう」、これだけです。

教え手が教えたい「答え」よりも、学び手が学びたい「問い」を起点にすることで、必ずそこに、それを学びたい当事者が生まれる。シブヤ大学の授業の最大の特色は「教え手じゃなくて学び手に起点がある」だと思うので、「教えたい・伝えたい」よりも「知りたい・学びたい・チャレンジしたい」を足場にして、参加者とともに学べる場だといいなあと思っています。
なので「授業コーディネーター」はあくまでもひとり目の“学び手”として立ち、「先生」になったり兼ねたりはしません。

また、授業の企画を進める際、主観、すなわち自身の興味・関心・好奇心から入って、それを客観で、どう面白さのお裾分けをしようか?って順番でつくっていきます。
まずは”自分”を主語にしてスタートして、その後で主語をその授業に参加する”相手”に置き換えてみる。もし、最初から相手を主語(たとえば「こういうのがウケそう」などの一般論を起点)にして入ると当事者不在となってしまうし、もし、最後まで自分が主語のままだと面白さが伝わらない。とはいえ、起点はあくまで自分のまま。共感できない人がいてもいい。安易に丸めないからこそ、届く人がいるんじゃないかと。

一方で、授業づくりに限らずですが、シブヤ大学は関わるメンバー自身の「やりたい/ありたい」を大切にする取り組み故に、積極的に他者の眼を受け取っていかないと、“仲良しサークル”で終わる懸念があります。NPOとしてやっているからこそ、参加者にとってどうだったのか?、ひいては世の中的にどう良いのか? ここにちゃんと向き合っていきたい。なので、アンケートやヒアリングなどのフィードバックをできるだけ組み込むようにしています。

余談ですが、毎回の授業アンケートで採っている満足度評価は、「良かったこと」よりもむしろ「なにか懸念事項があった?」のアラートになると感じてます。現在、満足度の全授業平均は5点満点で4.75ですが、これが4.3を下回ると、なにか課題があったのでは?→今後の糧に深堀りしてみよう、というサインとして活用しています。


自分の興味・関心・好奇心を書き出す

具体的な授業づくりのプロセスを抽出してみると、大枠でこんな感じになるかと思います(前後したり同時並行したりもすると思いますが)。

といっても「さあ、授業をつくろう」と、一案づつ決め打ちで「1. 興味・関心・好奇心を言語化」から順に掘り起こしていくわけではありません。いつ実現するかはいったん置いといて、まずは片っ端から「自分が授業にしてみたいかも?」って思うことを、メモに書き出しておきます(予定のない休日などに、ひとりブレストしてました)。

書き出すのは「1」だけでも構いませんが、「2. どうして実現させたい?」までセットだと尚良いです。ただ、玉石混交でいいので、たくさん出します。全部実現できる訳ではないですし、量が質をつくります。もし、あまり出てこない場合は、まずは「1」だけでもいいのでできるだけ多く書き出してみます。

こうして興味・関心・好奇心を言語化しておくと、”アンテナ”が立っている状態になるので、普段の仕事や生活の中での出会いが、自動的に「3. 先生役を探す」に繋がっていきます。

この、授業の種となる興味・関心・好奇心は、経験したことでも想像してることでも構いません。また、特に一貫したテーマにこだわらず、素直に直感をすくいとればよいと思います。

たとえば、ぼくの場合を振り返ると、”知りたいこと”だったら「アートプロジェクトがつくられるプロセス」や「音楽のつくりかた」、”やってみたいこと”だったら「まちなかでリアル脱出ゲーム」や「初対面の人とバンド」、”会いたい人”だったら「お化け屋敷プロデューサーの五味弘文さん」や「大坊珈琲店の大坊勝次さん」など。

ここには授業になったものを並べてみましたが、もちろん形にならなかったもの=まだ適切な出会いを待っている授業もたくさんあります。ただ、こう改めて思い返してみると、できる/できないは置いといて、まずは書き出してみることがポイントだったなって実感しています。


仮説にビビらない&こだわりすぎない

「1. 興味・関心・好奇心を言語化」と「2. どうして実現させたい?」と「3. 先生役を探す」が繋がったら、「4. 具体的にどんなことを知りたい・学びたい・チャレンジしたい?」を考えます。

いろんな切り口を思索する際、こちらの、コップを例にした「多様な視点や価値観は心を自由にする」考え方がとても素敵だなと思います。

また、「4」を考えることはそのまま、「5. 先生候補に会いに行く」際に話が弾む&失礼じゃない準備になります。

「4」を考えるにあたって、合っているかどうかは置いといて「もし、こうだとしたら」って仮説立てして進めた方が、考えが拡がりやすくなります。ですが、実際に先生候補の方と話してみると、立てた仮説は見当はずれってことも。ただ、見当はずれでも、その仮説があるから”違和感”に気付けるので、話しながら臆せずありのままの理解に努め、方向転換します。「1」と「2」が言語化できていれば、「4」がズレていたとしても、授業の軸はたいしてブレません。

また、自分が学びたいことをもって臨みつつも、こちらの思い込みに当て込まないように注意します。「答え合わせ」や「欲しい素材を取りにいく」みたいになっちゃうと、結局、誰にとっても面白くないものになってしまう。Plan(計画する)の前に、See(見る)とThink(考える)があるよねって「STPDサイクル」の思考プロセスが、この辺りの考え方の参考になると思います。

先生役の方と話していると、やっぱり話が面白くて、わりと「この人(の話)を、もっと色々な人に知って欲しい」って姿勢になりがち。ただ、そうすると、授業をどう構成するかの舵取りが先生の側に行ってしまう。なので、ぐっと踏みとどまって、あくまでも「(先生役が)教えたい」よりも「(自分が)知りたい」に重心を置くようにしています。

また、授業コーディネーターは”ひとり目の学び手”のスタンスで先生役との企画会議を重ねていきますが、参加者は、コーディネーターと違い、授業当日に初見なので、「盛り上がった話の、その先をもっと深く知りたい」というより、「面白い!と感じたところをもっと丁寧に知りたい」的な切り口で、どんな授業にしようかを考えていきます。

それと、登壇慣れしている方が先生役の場合は、その方がいつも行っているスライドやワークショップの型そのままではなく、”ひとり目の学び手”としての好奇心を起点に「その切り口は初めてだし面白い!」って思ってもらえるポイントを探り、先生役の方にとっても新たなチャレンジとなれるように模索します。


具体的に解れば、扱える

「6. 授業として設計する」際にやっていることは、大枠でいうと、タタキ台としてのタイムテーブルをつくって、参加者に成り代わってシミュレーションして、気になるところの調整を繰り返す、です。
なにかをつくるとき、事前の構想に時間を掛け過ぎるよりも、早めに具体的な手触りのある”プロトタイプ”に落として、そこに実際に手を加えていくと着実に前に進められると思います。

たとえば、タイムテーブルの例として、この授業の時に準備していたものがこちら

ポイントは「5−10分単位で、内容をイメージしていくこと」。たぶん人間が具体的にイメージして算出できる時間単位ってこのくらいかなと。
先生役の方が登壇慣れしていれば、あまり決めすぎてしまうと逆にやりにくくなるとは思いますが、はじめて先生役に挑戦する方が、ばくっと「こんな感じの話を30分」とかで本番を迎えると、タイムマネジメントも予定していた内容も、ブレブレになる可能性大です。また、もし想定より時間がかかってしまった場合も、細かめに工程を出しておけば、以降の進行の調整をその場で即断しやすいです。

そして、このタイムテーブルに沿ってイメージトレーニングして、気になるところを調整していきます。大事なのは、参加者に成り代わって見直すこと。こうした企画の際、企画者目線でダダーっとつくって、ヤベえ!天才かも!とかブチ上がって、そのまま現場で蓋をあけてみたら詰め込みすぎ、って陥りがち。目指すところは、自分が「どんな場や体験にしたいか?」よりも、参加者が「どんな場や体験だと面白いか?」です。タイムテーブルを見ながら「どうして、これをこのタイミングでやるのか?」って問いを当ててみるだけでも、ずいぶん推敲できると思います。

見直し、めちゃめちゃ大事なので、自分だけだと手に余る場合は、身近な人をつかまえて積極的にフィードバックをもらいにいきます。


「どうして実現させたい?」が一番大事

上で、授業づくりを6ステップに抽象化してみましたが、一番大事なのは「2. どうして実現させたい?」に尽きると思います。

こちらで『人は「何を(What)」ではなく「なぜ(Why)」に心動かされる』とプレゼンされていますが、授業づくりにおいて、先生役の心が動かないことには、その先に進めません(ちなみにシブヤ大学の先生役の謝金は交通費程度です)。それには「どんな授業か?」よりも「どうしてやりたいか?」が肝だなあと。

先生役の依頼をしに行く際、ただ「わたしがやりたいから協力してください」では、メリット⇔デメリットで考えられがち。ですが、もし「それは実現したほうがいいね」「それはぜひ一緒にやりたい」って思ってもらえたら、「→←:受発注の相手」から「↑↑:共につくる仲間」へと、立ち位置がガラッとかわります。

それに、先生役からの「いいね!」を得られないものは、参加申込を集めるのも簡単じゃないです。過去のシブヤ大学の授業を振り返ってみても、ここがフワッと進んでしまったものは申込に苦戦しました。逆に、ここの共感が強いものは、たとえシブヤ大学のプラットフォームに載せなくても、参加したい!って方々はたくさん集まるだろうなあと。

また、シブヤ大学の授業はありがたいことに「満足度の全授業平均は5点満点で4.75」と高いですが、これ、先生役の方から活動を伴う支持を得られるかどうかが、結果的に面白い授業にできるかどうかの”ふるい”になっているからだとも感じています。

、、授業って、削ぎ落とすと「先生役」と「参加者」がいれば成立します。で、特に難易度が高いのは、先生を探してくることだろうなと。なので以前、先生を”本”で代替することでもっと学びの場を増やせないかな?と「読書会ジェネレータ」を妄想したことがあるのですが、ここをラクにしちゃうと、当事者として場の実現を担う人も薄まっちゃうなあと、結局うまく設計できませんでした。(ただ「読書会」そのものには、ますます可能性を感じています)

なお、シブヤ大学では過去に開催した授業の”再放送”をほとんどしません(...抽選倍率が高いので落選されてしまう方も多く、ご要望は多いのですが)。
そこには「先生役はかなり準備が大変なので、何度もお願いするのは忍びない」とか、「運営的に授業を開催できる総数に限りがあるので、出来るだけ多くの方が先生役に挑戦できる機会でありたい(webからの先生役の公募は”はじめての授業”に絞っています)」などの考えもありますが、それら以上に、授業づくりの起点として、新鮮で強い「どうして実現させたい?」を更新し続けられるようにしたいからです。



以上、正解も王道もない(=たくさんある)ですし、あくまで大枠(”好きな感じ”はみんな違うので、中身の具体詳細は各々が試行錯誤した方がいい)ではありますが、どうやって授業づくりをしてきたかをまとめてみました。

次回はもう少しフォーカスを拡げて「自律・分散・協調型の場づくりにあたって」をまとめてみようと思います。

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