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きみのさち 彼のさち 私のさち

和田彩花さんの新曲「sachi」が配信された。

和田さんの朗読原案をラッパーのvalkneeさんがリリックに落とし込むことで完成した詞に、Tomgggさんが曲をつける形で完成した一曲。「簡単なことではないからこそ、人の幸せを願うとはどんなことなのかを知りたい」と願う和田さんのシビアな目線が、軽快で独特なラップと温かく優しい音に包まれ、不思議な心地のする一曲になっている。

この曲の配信開始に向けて、21日に和田彩花デジタルスタッフ主催のTwitterスペースが催され、TLが大いに盛り上がっていた頃。私は10年来の友人宅にいた。彼と夜通し語って気付いたわかりあえなさに痛みを抱きながら早朝帰路につき、ようやく床に就いて聴いた「sachi」は、まさに彼と私のことを歌っているようで、和田さんに見透かされたような気持ちになった。


ずれていく価値観

彼とは高校時代からの10年来の付き合いで、地元を離れてからも定期的に遊ぶ仲だ。今まで出会ってきた人の中で最も波長が合う相手で、親愛の情を抱いている。体育会系的な付き合いが苦手で同性の友達が少ない自分にとってかなり救いとなっている存在である。

高校時代、大学時代、社会人と歩んでいく中で、彼との関係性は徐々に変質していったが、それでも会うたびに何やかんや話のタネはあり、それぞれの恋愛絡みの進展だったり、お互いの仕事の悩みだったりを、口下手ながら赤裸々に語り合った。

風向きが変わったのは、コロナ禍に入ってからだ。2020年、2021年にかけて、私の価値観は以前と比べて大きく変化した。ジェンダー・フェミニズムを学ぶことによって、自分の価値観へ疑いの目を向け、社会が示す「普通」に違和感を覚えるようになった。今思えば、和田さんの音楽に触れたことが最初のきっかけだったように思う。学ぶたびに、少しずつ、しかし確かに変わっていった。

その間も彼と会っていたのだが、これまでと同じ話題なのに、自分の変化によって噛み合わないことが増えていった。仕事観、生活観、恋愛観、結婚観……。お互いに共感ベースで話すタイプの人間だから尚更、会話の節々に訪れる「それは何か違う気がする」という違和が彼と私の心を乖離させていったのだと思う。


行きたいとこ別々

それでもしばらくは「ちょっと違うけど」くらいで何とかなってきた。Noを会話に出すときも温もりだけは忘れずにやってきた。しかし、「sachi」が配信されて間もない時間帯、彼の家で語り合った時、彼と私は明確に「行きたいとこ別々」なのだと自覚し、お互いに強くNoを突きつけてしまった。

その日は「〇〇に色々聞いてほしい話があって」と彼の自宅にお呼ばれし、しっぽり飲みながら色んな悩みを聞いた。社会人生活が上手くいかない話、将来の目標が見つからない話、最近ハマっているコンテンツの話などなど。その中で、話題の多くを占めたのが、恋愛と結婚についての話だった。25を過ぎた我々にとって段々現実味を帯びてきた結婚は、他のコミュニティでも必ずといっていいほど登場する話題だ。

彼はものすごくピュアでロマンチックで、漠然と「愛」を信じている人だ。無条件に愛し愛されて生きることこそが結婚相手とのあるべき姿だと信じ、過去の付き合いでは、相手から寄せられた好意に対し、同じか上回るほどの愛を返さなきゃいけないと奮闘し、自滅してきたという。「人を本気で好きになったことがない」というのが彼の口癖で、段々と人付き合いが減ってきた最近は、特にその考えを拗らせていた。

そんな彼の考え方は認識していたけれども、「そろそろ作りたいのに、好きな人ができないのが苦しい」という出発点で始まったお悩みはいつもより長く、胸焼けしてしまうような内容だった。理想が高いだけならいいのだけれど、自らの恋愛道はひとつしかなく、到達できない場合はすべて妥協なのだという風に縦軸だけで考えてしまっており、視野狭窄になっているように自分には思えた。

それまではうんうんと頷きながら聞いていたのだが、ふと思い立って「他の道もあるんじゃないの?」と提案してみた。「必ずしも愛を優先した選び方に縛られなくても、信頼関係を築ける相手や価値観の合う相手といった他の探し方をすれば、妥協にはならないのではないか」という風に。私の今の理想像が、「友情結婚」のような性愛がなくとも信頼できる相手と一緒になることだということも伝えてみた。彼からしたら極端に真逆でも、ひとつのモデルケースになると信じて。

しかし、彼の目には、自らの理想以外のすべてが「妥協」だと映っているから、(自分の説明能力不足もあり)他の可能性を伝えきることができなかった。そのことが引き金となり、お互いムキになってしまった。理解できない価値観に対し、余計なNoを突きつけてしまった。

更に気まずい空気になってしまったのは、出産に対する考え方の相違だ。彼は上記のような人なので、出産についても「愛の結実」「生命の神秘」といった捉え方をしていた。私は少し先の未来で仮に誰かと一緒になったとしても、出産という選択はあまりしたくないと現時点では考えている。自分と相手の膨大な時間を我が子に費やしてしまうことへの抵抗感や、子を守るためにと常にのしかかってくる責任感。パートナーに痛みを担ってもらうことへの罪悪感。また、その子を不自由なく育てていけるだけの地盤がちゃんと整っているとは思えない社会への不安感。様々な不安要因を並べて、「愛とか神秘とか、そんなもののために出産なんてしたくない」と、少し強めに否定してしまった。その否定に対し、彼も同じく強い否定を投げつけた。「その考え方は相手に対して他人行儀だし失礼じゃない?」「結婚する意味ある?」


I wish

気が付いたら、彼はいびきをかいて眠っていた。私の目は完全に冴え切っていて、かといってスマホを見る気力もなく、見慣れない天井を眺めてぼーっとしていた。言ってしまったことへの後悔と、でも自分はこういう価値観なんだからしょうがないという諦念と、様々な感情がないまぜになった。この先彼と友達のまま続けていけるのだろうか、なんてことも考えた。少し前までは、明確に老後まで仲良くしていたいと思っていた相手だから尚更。

私が共感ベースのコミュニケーションしかしてこなかったことも足枷となった。価値観が同じもしくは近い人と同調することがコミュニケーションなんだと信じ、Noを前にしたらすぐにシャッターを下ろして生きてきたことで、どんどんNoに対する耐性がなくなっていった。「温もりだけ忘れんな」どころじゃない。「Noである時」から逃げまくってきた人生だ。

彼に対してもシャッターを下ろしてしまおうか。でも、10年も一緒にいた相手をそう簡単に突き放すことなんてできない。でも、でも…と思考はループする。そんな私の胸中はつゆ知らず、のっそりと起き上がった彼に対し、「もう電車あるし帰るね」と目を合わせることなく背中を向けた。玄関でぎこちなく笑みを浮かべながら「また明日からもたまに会おうね」と告げ、扉を開けた。

帰り道に昨晩のTwitterスペースを聞き、和田さん、山田社長、劔さん、デジタルスタッフさんらの、軽快なのに時々不穏さが顔を出す奇妙なトークに心が和らいだ。小一時間経ち、ようやく床に就いた私は、意を決して「sachi」を聴く。すると、今の自分の状況にピタリとはまる曲で、心底驚いた。

I wishきみのさち
言ってくれてたけど、
どんな形だったんだろう
I changed気に入ってるよ当然
You don’t change 2人はそう自然

和田彩花 – sachi

「I changed」した私と、「You don’t change」な彼。価値観が合わなくなってしまった相手に対し、内心とズレた「応援してる」を告げたことも、「I wishきみのさち」というフレーズと重なる。

I wishずっと友逹
明日からもまた、たまに散歩しよう
行きたいとこ別々
あの頃と同じは難しい

和田彩花 – sachi

「I wishずっと友逹」「行きたいとこ別々」「あの頃と同じは難しい」。どのフレーズもシビアで、ぽかぽかと温かい曲調なのにうすら寒くなる。この後のフレーズも終わりを予感させるものばかりで、でも明確に別れを結末に置いているわけではない、絶妙に現実味のある温度感が保たれている。その温度が、つい先程彼の家で肌に張り付いてきたそれとほとんど同じだった。

どこをとっても、今の私と彼は、「sachi」における「私」と「きみ」のようだった。


たまに散歩できるなら

それでも、「明日からもまた、たまに散歩しよう」「明日からもまたたまに散歩できる?」というフレーズには、救われる思いがあった。このフレーズも流れで考えたら他と同様シビアな一節なのだろうが、明日以降の未来を(不確定であったとしても)見据えているのは希望だと思った。たとえ「散歩」のように一時的で行先の決まらない営みで繋がっていたとしても、今はそれでいいと思う。

私が玄関先で彼に伝えた「また明日からもたまに会おうね」という言葉も、少し重なる部分がある。「たまに」なんてわざわざつけて伝えたのだ。心の内がダダ洩れである。彼はどうかわからないが、少なくとも私は、会わない可能性も残して彼の前から去ってしまった。でも一方で、そんな心を認めていながらも、一縷の望みを賭けているからこそそう伝えたのだとも思う。

この先彼との関係がどうなるかはわからない。会うことは会うと思う。けれども、「元トモ」になってしまう可能性はある。そもそも、どれだけ親密な関係性であろうと未来は不確かだ。その瞬間瞬間を大切にしていくしかない。「そして静かに心は離れてゆく」結果になったとしても、今が輝いていればきっとそれでいい。たぶん。

様々な可能性が残されているからこそ、彼とたまに散歩したい。視線が交わらなくたっていいから、距離が埋まらなくたっていいから、ただただ散歩していたい。さちを祈りながら。