公園

誕生日だった昨夜、久しぶりに「赤すぎる公園」から通知がきた。何かと思って開いてみると、誕生日の会員限定のスペシャルメッセージムービーだった。後ろの方にまいささんがいた。硬直した。そのままスマホを閉じ、眠りにつき、「あ、もしかしたら1日限定だったのではないだろうか」「だとしたらもったいなかったな...」と確認もせず勝手に諦めたのが今日の朝。前兆、なわけないんだけれども、わたしは前兆だったと思ってる。その動画のことがあったから、仕事終わりにシャワーを浴びたときにまいささんと理子ちゃんのことを考えていたわけで、着替えてTwitterを開いたときにお知らせが流れてきたわけで。「きたか」と思った。でも、また開けなかった。

少し時間を置いて、意を決した。「解散」。正直、ホッとしたのが本音だった。「活動終了」辺りを予想していたのだけれども、まあ、難しいだろうなとは思っていたし。我ながら最悪だと思うが、「訃報」も覚悟していて、だからこそ動悸が止まらなかった。そんなわけない、と言い切れないほどに、あの日から自分は臆病になってしまった。赤い公園の音楽は、まだ聴けていない。

しかし、まいささんの音楽は聴いていた。というか、聴かざるをえない状況にあったというのが正しい。冬のハロコンに行った時、Buono!の「ソラシド〜ねえねえ〜」を伊勢鈴蘭さんと西田汐里さんがカバーしており、意図せずまいささんの音楽と対峙する日がやってきてしまった。でも、そのときは素直に「いい曲だな」と思えた。ずっと歌い継いでいってほしいな、と思った。そこからは「泡沫サタデーナイト!」「TEKI」「笑って」「光の方へ」を聴くことに抵抗もなくなった。それでも「オレンジ/pray」は未開封の状態で埃を被っている。なんの意地なのかわからない。

本来ならばCOUNTDOWN JAPANで「再生」するつもりだった。サポートギターに我らが小出祐介が助っ人に来てくれたことには大いに感動したし、絶対に目撃して、目と耳と心に焼き付けようと思っていた。しかし、運悪くコロナの波に飲み込まれ、その機会は失われてしまった。あのライブがもしあったら、続いていただろうか。意味のないたらればだが、どうしても考えてしまう。でも、その一方で「そんなに早くステージに立たなくていいよ」という思いもあったから、その時も実は安心していたのかもしれない。

「まいささんの音楽は世に残り続ける」。それはまぎれもない事実だ。だが、「だからまいささんは死んでない」と言い切れるほどわたしは強くなれない。ずっと心の奥底に「なんで」「どうして」「信じられない」が沈殿している。その泥を、当時マンボウやしろさんが自身のラジオ番組で「きっといつものように酒呑んでて、たまたまふっとそうなっただけなんだよ」という言葉が取り除いてくれるのだけれど、すぐにたまって、掃いて、たまって、掃いての繰り返し。モヤモヤはなかなかとけない。音楽を聴いたら「彼女はいない」ことを結局痛感してしまって苦しくなるだけなんじゃないかって、ずうっと立ち止まって俯いたままだ。

だから、ひとまず「解散」して、各々が別の道を歩んでいくことを肯定できたのかもしれない。ものすごく歪んでいるし、最低だと思う。赤い公園の音楽にたくさん支えてもらってきたのに。

でも、時々ふと口ずさんでしまうのは、やっぱり赤い公園の音楽で。「このメロディなんだっけ?」と考えて「赤い公園だ」と気付く、というのをこの数ヶ月で何回繰り返したことか。身体にすっかり馴染んでしまっている。だからどれだけ逃げようとも切り離すことなんてできない。支えてもらったことを否定することはできない。

まいささんの音楽は魔法のようだったけど、いまは呪いみたいだな。この呪いをお呪いにできるかどうかはわたしにかかっている。はやく聴けるようになりたい。赤い公園の音楽を体内にたっぷり入れて駆け出したい。りんりんらんらーん、って。

その機会を自分でつくればいいのだけれど、やっぱり怖いので、ラストライブで今度こそ正面から向き合いたいと思っている。5月28日。絶対に空ける。この日しか、理子ちゃんの唯一無二のうたと、ひかりちゃんの遊び放題なベースと、うたこすの凛としたドラムが絡み合うステージはもう見れない。たった一日で終わってしまう。儚い。悔しい。苦しい。

でも、文面だけで終わる可能性もあったのに、最後の最後に音を鳴らす場を設けてくれたのは嬉しかったし、彼女らの覚悟なのだと受け止めた。この一日ですべてを出し切るのだろう。向き合いきれるだろうか。一歩踏み出す勇気をもらえるか、はたまた更に絶望へと落ちてしまうのか、その日その場で目撃しない限りはわからない。目撃しなかったら何も始まらないし何も終わらない。だから、どうしても行きたい。

ただ、ひとりでは心細かったので、先程知人に相談し、2枚分申し込んできた。その知人とは久しく会っていないのだけれども、一昨年の秋頃から徐々にバンドにハマっていき、自分が行った「FUYU TOUR 2019 "Yo-Ho"」を興奮気味に薦めたら、いつの間にか向こうも地元でチケットを取っていた。向こうが見たあとに改めて感想を語り合い、「赤い公園っていいなあ」と思いを共有できたことの嬉しさが忘れられなくて、あと1回しかないのなら...と思い誘ってみた。で、一瞬で快諾され、ペアで購入に至った。心強い味方を得た。

こうしてラストライブへの準備は整った。倍率は高いだろうから当たるかはわからない。でも、絶対に当てて目撃したい。じゃなきゃ先に進めない。まいささんの音楽を、赤い公園の音楽を、もう一度聴きたいんだ。


グダグダしてきたのでそろそろ締めるつもりだけれど、ひとつだけ書いておきたいのは、解散時のうたこすのコメントがめちゃくちゃ良かったということ。

出入り自由な赤い公園なので、みんながこれからも思い思いに過ごしてくれたらいいな。
みんなでワイワイ遊んでもいいし、コーヒー持って一息ついてもいい。
失恋したら1人で泣きに来ればいいし、子供が生まれたら家族でも来て欲しい。
そんな、みんなの公園になるといいな、と思ってます。

Berryz工房が「活動終了」と言葉を選んだことや、こぶしファクトリーが増員を受け入れずに解散したこと。ちょっと違うけれど、「いつでも戻ってこれる場を残す」という意味ではある種共通しているような気がする。でも、うたこすは上の2グループよりももっと広くおおらかな意味合いを持たせてくれた。

赤い公園はまいささん、理子ちゃん、ひかりちゃん、うたこす、ちーちゃんらの場所ではあるけれども、そこに「みんな」を巻き込んでくれたことが嬉しい。出入り自由な場所。だから「THE PARK」だったんだ。最初出会ったときは変なバンド名だな〜なんて思っていたけれど、これほどしっくりきて、やさしい名前はないよ。11年間、ありがとう。

まずは5月28日。目まぐるしく過ごしているうちにすぐにその日はやってくるだろう。でも、簡単に波に流されるんじゃなくて、しっかりと一日一日を生き切って、その日にたどり着きたい。真正面から向き合うために。