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人生年表③

〈出会いと別れ〉
大恋愛なのか、きつかったけどキラキラしてる青春なのか、人生の中で1番輝いて1番暗くて深い所に落ちた。バスケ部での出来事や思い出はそんな3年間だった。
体を動かすことが好きなので中学校は部活の強そうな所にして、バスケ部に入った。
そこで僕の人生を輝かせてくれた人がと、僕の人生を暗い底に突き落とす人と、出会った

まず、最初は、自分の恩師となる、監督について

女でベリーショートだったので、いろんな運動部に勧誘を受けて、色々行ってみて、1番先輩達が面白い女子バスケ部に入ることにした、バスケは初めてだけど、自分の運動神経でどうにかなると思って、はじめての練習に向かった、ドリブルもつけない自分だったが、初めて監督の指導を近くで見た時、そのバスケに対する情熱に惚れてしまった。すごく真っ直ぐで、バスケのことをいつも考えていて、厳しいようで、たまに意味のわからないことを言い出す所が大好きで、下手くそすぎて、不安で、何も出来ない自分に一からバスケを教えてくれた、何回も何回も同じようなミスばかりで、本当に飽き飽きするような使えないプレイヤーだったと思うし、実際そうだった、だけど、自分はそれが悔しくて堪らなくて、どうすればいいか分からなくなって、監督に何回も聞きに行った、ここは、どうすればいいですか?自主練はどういうのがありますか?いつも質問ばかりしていたし、監督はそれを嫌がることなく答えてくれた、たまには自分で考えてやれよ。と言われたけど、監督の話すのが楽しいので、迷惑かなぁと思いながら、恐る恐る、少し楽しみにしながら、バスケについて聞きに行ってた。自主練を繰り返して、先輩とも仲良くしてもらって、一生懸命なところが監督に伝わって、かなり面倒を見てもらっていたも思う、実際お荷物でしか無かったと思うけど、伸び代しかないよ、いけるよ!という、謎の励ましにより、どんどん成長し、かなりの成長スピードだったと思う。ついには、隣にいたバスケ経験者の子をバスケ初心者が負かしてしまったのだった。そこから徐々に悲劇に変わっていってしまうのだった、、、。

怖い先輩と、同級生からの嫌がらせ

女子バスケ部の人は基本、気がとても強い。自分が初めてその空気感の中に入っ時は正直なところ何も喋れなかった、でも、後輩だからという理由で初対面はすごく優しかった、背番号争いや本気で県大会出場を目指している学校が幾つもあってサッカーをのんびりやってきた、しかも天狗だった自分には、なれない逆境だった。でもまずは、人として、バスケ上手い下手関係なく部員の事を知りたいと思ったので、笑顔で色んな人と話した、その中でこの人は怖いなという人も確かに居て、自分みたいなバスケ初心者がチームに入ってくると明らかに嫌がってぶつぶつ小言を言うような先輩もいて、私の代の同級生はそれほど人として面白い人ではなく、むしろ笑いのツボが誰かを馬鹿にするような腹黒タイプの人で、悪口も簡単に言うし、監督の悪口や先輩の悪口、あまり面白いような話はしない人だったので、全く興味がなかったのだが、自分の背番号が彼女達より若くなってしまうと、嫉妬や嫌がらせが始まり、今までなんとも思っていなかったけど、この人は自分のメンタルに害だなぁと思うようになった。でも、部員が少なくて人数がいないと試合にならないし、ただただ耐えた。先輩からのいじめもあったけど、ただ耐えた。先輩に相談したりしたけど、女子バスケ部ではよくあることらしく、とりあえず先輩と連んでな、みたいな感じだった、監督はもっとぶっ飛んだ酷い経験をしているらしく、それに比べたらなんとでもないらしい。

[限界]
冬休みだったか、夏休みだったか、あまり覚えていないが、長い休みになるとたくさんの課題が出てそれが自分が苦手だった、それをいつも出来ずに学校に行くような人でバスケ部は連帯責任なので、自分が罰を受ける分にはどうでもいいが、同級生に文句を言われてしまい、お前のせいで私たちも居残りで掃除なんだけど、みたいな、陰口が聞こえてくる時はかなりショックを受けて、もう学校行くのやめようと、いう感じになってしまっていた、学校に行かなければ誰にも迷惑かけることなく、自分だけが馬鹿なやつで終わるし、それでいい。と思ってた。学校の中でハブられたり、悪口ドッキリみたいなのをされて嘘だと分かっても傷が癒えなかったり、あまり学校の中で居心地の良い場所がなかったり、、、途中までは友達がいたけど、その人達にもハブられて、部活も少しずつしんどくて、最初は我慢すれば良いと思ってたけど、耐えきれなくなってしまった。毎日厳しい練習を全力で出来ていたけど、監督のことがすごく好きで、先輩達にも良くしてもらってて、思い出をたくさんもらったのに、自分が未熟で弱いせいで学校に行けなくなってしまい、部活を辞めることにし、そこから不登校になり、家で1人、部屋を真っ暗にして泣いて、深夜に起きて、食べて、動画を眺めて、泣いて、音楽を爆音で聴いて、たまに吐き気がして、トイレに吐いて、かなり精神がおかしくなってしまい、叫んだり、物を破壊し出したりしたので、母に心配され、精神科や内科に行って、話はしたけど、何も変わらなくて、とにかく、自分がいいまで溜めてしまっていたもの、我慢するのはやめて、泣き喚き続けた。音楽を利用して、感情を取り戻して、泣く、痛くなってる心の痛みをただ感じて、ました。

なんで私がこんなになってしまったのか?
若くて未熟で、弱かったから。人間関係のストレスに耐えられなかったし、毒を受けてそれをどう吐き出せばいいのか分からないまま、ただバスケを一生懸命やることに集中していたから。
あと、監督は、突然、学校に来なくなってしまった、自分が部活を辞めます。と言いに行った後で、もしかしたら自分のせい?と、なぜか思ったりしたけど、そうではなくて、上からの命令で、監督は学校に来られなくなって、違う学校に行くことになったらしい。その時のショックもすごくて、それを知って、もう自分には何も出来なくて、会えなくて、喋りたいことまだたくさん在るのに、何も出来なくて、大好きな人ともう会えないんだ。と思って、組織ってクソじゃん、大人って何?なんで監督と会えないの?なんで自分はこんなに未熟で弱いの?なんで?こんなに苦しいの?
色々あって、朝目が覚めた時には体の真ん中に大きな穴の空いてる感覚があって、感情のないまま涙が穂をつたっていた。
そこからどんどん自分を追い詰めて、地獄まで堕ちていきましたとさ、ちゃんちゃん。
あまりに状態が悲惨で、今思い返しても、馬鹿で弱い生きるのが下手くそなガキだったなと。思います。
その時の状況を説明すると、憂鬱になってしまうので、ここには書かないことにします。

でも、今は、アーティストになりたいなぁ、と軽い気持ちで思えている、そういう、楽観的な状況なので、心配せず!

めっちゃ長い文章失礼しました。
読んでくれてありがとう。

自分の気持ちはどこかに吐き出さないと、苦しくなるよね、その吐き出し方が分からないよね、黒い空気を吸っても、白い息が吐けたらいいのにな。

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