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エイプリルフール

これは 十人十色Adventar Advent Calendar 2023 の15日目の記事です。
https://adventar.org/calendars/9231

他の人のを読むと素敵な記事ばかりで何を書こうかと悩みました。逆張りでひたすら気色の悪い文章を書こうかと思ったのですが、最近の出来事を書きます。実話です。


ふと、ポストに一枚の葉書が投函されているのに気付いた。宛名は書き損じてぐちゃぐちゃに塗りつぶされている。切手も差出人の名前も無い。ざっと目を通したが何も文章は書かれていないようだった。まあ、よくあることか。

お腹が鳴った。そういえば朝ごはんを軽く食べたきり何も口にしていなかった。手に持った葉書をむしゃりと食べ始める。あまり美味しくはないが、食えなくもない。

ここに住み始めたのは去年の秋頃だ。やけに家賃は安いし、事故物件のようなものではないかと疑っていた。最初の1年は何も起こらなかったが、周りの部屋から生活音がほとんど聞こえず、じめじめとした雰囲気があった。不安を感じていた矢先に、不可解な現象が始まったのだ。ある時ポストの中を確認すると、トカゲの尻尾が3本入っていた。1本なら偶然尻尾が偶然挟まるようなこともあるかもしれないが、3本は多い。些か気味が悪いと思いつつ、晩ごはんのおかずにして食した。意外と美味しかったかもしれない。

それ以来、色々なものが届くようになった。ある時はカビの生えた蜜柑、またある時は麻布の切れ端が入っていた。カビ蜜柑は味が薄いし、麻布は繊維質で不味かった。割れた手鏡が投函されていた時には、流石にこれは食べられないと思って手をつけなかった。偶に美味しいものが入っていることもあって、特に蛙や団栗はご馳走だった。

食事はポストに投函されたものを玄関で食すというスタイルをとっている。というより、全ての生活を玄関からほとんど動かずに行っている。風呂もトイレも数歩歩けば行けるし、寝る時は廊下にうずくまれば良い。短い廊下と居室とを隔てる扉は、もう何週間も閉ざされたままになっている。向こう側が今どうなっているか、想像もしたくない。

また今日も、ひんやりとした床の上で丸く縮こまって目をつぶる。

そんなこんなで、辛うじて日々の生活を営んでいる。何日経っただろうか。曜日感覚はとうに消えてしまった。自分が何者であるかも、もうよくわからない。記憶に靄がかかって薄れていく。このまま私も消えていってしまうのだろうか。

目を覚ましてはトイレやシャワーに行ったりポストに届いた何かを食べたりし、また横になって瞼を閉じる。そんな日々がまた続いた。

鳥の声が夜明けを告げる。遠い故郷でもよく聞いた音だ。急に懐かしい気持ちになる。こちらに来てからは2年も経っていないはずだが、ずっと遠い昔のことのように感じる。

ふと、両親の顔が脳裏に浮かぶ。景気の低迷する中、身を粉にして働いて育て上げてくれた。家賃や光熱水費は出すからしっかり勉強して来なさい、と送り出してくれた。引っ越したばかりの頃は内向的な性格の私が孤立していないかと心配して、まめに連絡をとってくれた。そうだ、私は大学生をやっていたはずなんだ。どうしてこんな空虚な日々を送っているんだ。こんな所で何をしているんだ。

ふつふつと湧いてくる自責の念は一旦振り捨てる。今行動を起こさなければ、きっともう変われない。

かたん、と後ろから小さな物音が聞こえた。ポストに何か入ったようだ。腹が減っては戦ができぬ。ひとまず食事をとることにした。今回は封筒だった。中身も見ずに、むしゃむしゃと音をたてて威勢よく食べた。やはり紙は美味しくない。ただ少しだけ、甘味を感じた気がした。

一度深呼吸してから、部屋の戸を開けた。埃っぽい空気に少しむせる。部屋は思いのほか散らかってはいなかった。ただ全体に、うっすらと埃が積もっている。掃除機を手に取り、壊れていないことを確かめる。まずは床の埃をざっと除いて、部屋に踏み入れる。それから棚や机の掃除をして、最後にもう一度床を綺麗にしよう。

掃除と片付けは3日ほどで何事もなく終わった。寝具も洗って干したので、今日からは布団で眠れる。カーテンはカビが生えていたので処分することにした。明日も晴れていれば買いに行こう。

不思議なことに、ポストへの投函はピタリと止んでいた。疲れていてスーパーまで買い物に行く気力は無いので、近所のコンビニで夕飯を買った。ずっとまともな食事をとっていなかったからか、おにぎり1個で満腹になった。今日はよく眠れそうだ。

窓から差し込む日の光で目が覚めた。なんだか体が軽い。そう言えば、と思い普段使っていた鞄の中を漁る。あった。携帯電話を取り出す。ずっと人と関わらない生活を送っていてすっかり存在を忘れていた。当然ながら画面は真っ暗だ。充電をしている間に、買い物に出ることにした。

街はクリスマスの装いだった。もうそんな季節か。この時期になると思い出す。小さい頃は毎年プレゼントを貰っていて、サンタクロースの存在を信じていた。素直な幼少期は過ぎ、サンタクロースを疑い始めたある年、「衣食住に困らない生活」をお願いしてみた。その年のプレゼントは結局、本だった。親に訊いてみると、たくさん本を読みしっかり勉強すれば幸せな暮らしが得られるんだよ、と苦笑いしながら答えた。その次の年からはプレゼントを貰えなくなった。

この話は親戚中に広まっていて、しばらくはお盆や正月に会う度に蒸し返されて恥ずかしい思いをした。

買い物を済ませると、日は既に傾き始めていた。大きめのリュックを持って来て正解だった。肩にずっしりとした重みを感じつつ、ここから生活を立て直すのだという決意と共に自転車のペダルを踏み込む。

そばをバイクが追い越していき、落ち葉が舞い上がる。バイクの音で、また少し記憶の靄が晴れる。同時に複雑な感情が湧き上がってきて、思わず膝から崩れそうになった。どうしてこんなに大切な思い出を忘れていたのだろうか。

隣の市には叔父が住んでいて、夫婦で弁当屋を営んでいた。私が一人暮らしを始めると、バイクに乗って頻繫に訪ねてきた。手にはいつも弁当を携えていた。本人が言うには売れ残りらしいが、作り立てのような温かさがあった。叔父は私の顔を見るなり、きまってこう言うのだ。サンタが衣食住を持って来てやったぞ、と。手に持っているのは「食」だけなのだが。

ちょうど夏休みに差し掛かった頃だったと思う。いつもの如くやって来た叔父の手には弁当が無かった。そして酷くやつれているように見えた。曰く、弁当屋が倒産してしまい、もう弁当は届けられない、と。申し訳なさそうに帰っていく叔父の姿を、私はただ見つめることしかできなかった。

それきり叔父は来なくなり、夏休み中だったこともあり私は家に引きこもるようになった。誰とも会わず、話もしない状態が続いた私は、次第に壊れていったようだ。ポストに入ったものを手当たり次第に食べるなんて、正気の沙汰ではない。今思い返すだけでも気持ちが悪い。

風が冷たくなってきて、少し身震いをする。ようやく家にたどり着いた。

携帯電話を確認すると、不在着信が1件あった。今日の朝、叔母からだ。折り返しかけると、手紙を送ったのに返事が無いから心配して電話をかけたと言う。少し考えて、最後に食べた封筒だと気付く。流石に正直には答えられないので、失くしたかもしれないと言って謝る。手紙の内容は、叔父が入院するというものだった。

弁当屋の倒産後、叔父は物事への興味を失ってすっかり抜け殻のようになってしまったと言う。好きだったバイクも手放してしまったらしい。それでも、私に何かしてやらなければという思いだけは残っていたらしく、時折何かに憑かれたように自転車に乗って私の家の方へ向かって行った、と。

もしかすると、ポストに入っていたものは叔父が必死にかき集めて来たのかもしれない。いつものようにチャイムを鳴らさなかったのは、顔を合わせるのが気まずかったからだろうか。

ある時深夜に出て行こうとすることがあって、流石に叔母が見かねて精神科を受診させたらしい。

電話の最後に私は叔母に1つ頼み事をした。料理を教えてほしい、と言うと叔母は二つ返事で引き受けてくれた。退院はいつになるかわからないけれど叔父が退院したら、今度は私が叔父に弁当を持って行くんだ。そしてこう言おう、サンタが衣食住を持って来た、と。

古いカーテンを外してふと窓の外を眺めると、空き地の枯草が風に揉まれている。春はまだ少し遠い。


こんな駄文を最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。内容は全て存在しない記憶に基づいており、実在する人物や団体とは全く関係ありません。

それでは、よいお年を。

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