五月、

憧れたひとがいた、
その人に追いつこうと、
ある時は無意識に、ある時は意識的にその人を追った、
いつか、そう思ううちに数年が経った。

ある時、自分というものが見え始めた、
気が付くと憧れは尊敬へと形を変えていた。
一人として、僕は存在することができたのかもしれない、
そう思うと少しだけ誇らしかった。

その認識が幻想だと知った。
自分という個が、まだ存在していないのだと知った。
自分だと思っていた何かは少しづつ摩耗していった、
僕の中から消えてしまった。

一年前、二年前の自分に憧れることが増えた、
あの頃の僕も、五年前の自分に憧れていた、
底のない、真っ黒な空白に沈んでゆく、
気が付いた時、目の前にいるのはずっと自分、自分、自分、
どう足掻いても過去の自分を超えることはできないのだと悟る、

何のために、を突き詰めて考えると、
自分が生きていることにたどり着く、
だがよく考えてみると、自分が生きる意味すら僕は知らない、
自分が何故、生きなければいけないのか、
その問いに答えられない自分が、
食事をするのは、家事をするのは、学習するのは、
マスクをするのは、どうしてなのだろう、

多くの人が割り切れる意味を、
割り切れない僕は、それだけで世界と隔離される、
自分が特別だなんて慢心はとうの昔に捨て去った、
だがそれでも自分は一人しかいない、
拙い思考で、無い頭で考えて、考えて、
いろんな人に救われて、助けてもらって、

それでも、


今日、五月が始まった。
もう五月か、驚いた。
でも多分、明日も、明後日も、その先も毎日驚くのだろう、
驚いた感情を忘れて、驚いたということを忘れて、
現実味のない現実の中で着実に自分の心が死んでいくのを感じる、忘れる、

何を求めているのかも分からないまま、
ただ満たされないで、
死ぬこともできないから生き続けている、

五月、

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