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【Letter for XXX】#5 たかはしともや さん

こんにちは、Shihoです。独断と偏愛で他己紹介をさせて頂く3Minutesマガジン「Letter for XXX」。
# 5 は、たかはしともやさんです。

■#5  たかはしともやさん/Status:イベントでお会いして以来2回目

例えばヨハネス・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」。その創作過程をフィクションも交えて描いた同名の映画作品を観た当時、私は「絵を描く」という創作行為がフェルメールから“少女”への最大にして唯一の愛情表現であることに心を奪われました。今回ともやさんとお話しする中で「なぜ創り続けるの?」という質問に対する彼の答えを聞きながら思い出したのは、この時の感覚でした。

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ともやさんは現在、動画制作コミュニティプロダクション「株式会社ナチュラルパラドクス」でプロデューサーをつとめながら、俳優、イラストレーター、デザイナーなど様々な顔を持つクリエイターとして多方面で活躍中。最近では、キュウソネコカミさん「わかってんだよ」、ワタナベシュウヘイさん「I'm free」などのMVで主役を演じています。

これだけフィールドが広いと「あなたは何者なの?何をしたいの?」と周りから言われることも多く、また自分の中でもそれがわからずに問い続けた時期があったといいます。でも、現在の彼の中には明確な答えがありました。

もともとともやさんが創作を始めたのは大学生の時。その頃から独学でデザインを学び、所属していた演劇サークルのフライヤーを作ったりしていたそうです。原点は「好きな人のために何かを創ること」。当時付き合っていた彼女対し、絵を描くのはもちろんのこと、卒業制作では「一度だけ夢で見て二度と出てこなかった場所へ彼女と一緒に行く」お話を本にしたというエピソードも。そこにあるのは、好きな人へ「好きだ」という愛情を伝えたい、そしてそんな自分の気持ちを記録したい、という想いそれって(映画の中の)フェルメールと何ら変わりません。

しかし大学時代の関係は長続きしないもので、ともやさんもその彼女とは別れることに…。その出来事が彼の“愛情”の所在と向かう先を亡くすことになり、表現したいというモチベーション、創作意欲を失ってしまったそう。しかし、しばらく落ち込んだあとで「創作のモチベーションは誰か一人に依存しているべきではない」と思い至り、一方向に向いていた愛情は全方向へと向くことになります。「創作を続けたい」という想いが勝ったことによる意識転換と、元来もっていた愛情深さが組み合わさったのが現在のともやさん。たった1人へ向いていた愛情が、全方向へと解き放たれることでその形も少し変わっていきます。

ともやさんにとって「創ること」は愛情表現であり、「自分が唯一誰かを救うことのできる手段」。誰かのセーフティネットになりたいと想う時、友達になるのが最も早く確実な手段ですが、それでは届く範囲にも届く速さにも限界がありますよね。今一番救いを欲している人に、間に合わないかもしれない。しかし、愛情を刻んだコンテンツや表現は、そのセーフティネットを「拡張」してくれます。「誰かが飛び降りた時の網になりたい」曇りなくそう言える彼だからこそ、そのためには表現の手段は関係ないのでしょう。それは企画であり、演じることであり、デザインであり、、、形はさまざま。

そうして広がった愛情の届け先は今、「コミュニティ」「場」として少しづつ形が出来つつあるといいます。誰かにとっての居場所であり、うまくいかない一日だったとしても光で照らしてくれるもの。喧嘩の絶えなかったという幼い頃の家庭環境は当時の彼にとっては辛いものでしたが、その経験が彼の「その場の幸福の総量」に対する感度、そしてその場の不幸=問題の構造や状況を把握し適切に対処するバランス感覚を研ぎ澄まします。「場」を客観的に捉え、そこに不幸の種があれば、自らの表現方法で救い上げる。そこに愛情が満ちるよう、自らの表現方法で降り注がせる。

愛情が全方向に向いた今、ともやさんにとって「創ること」はすなわち「世界の幸福の総量を増やすこと」。「100人中10人だけがとても楽しくて90人が楽しくない空間より、100人がちょっとだけ楽しい空間」を、そんなロマンチストなプロデューサーは今、創ろうとしています。


▽所属ユニットMoratoriumPants公演フライヤーのデザインなども担当。

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Letter for XXXは、不定期かつ独断と偏愛で随時更新していきます。


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