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【Letter for XXX】#15 賀來寿史さん

こんにちは、Shihoです。独断と偏愛で他己紹介をさせて頂く3Minutesマガジン「Letter for XXX」。

#15 は木工家 賀來寿史さんです。

■#15  木工家 賀來寿史さん/Status:初対面

bosyu経由でご連絡を頂きながらも、現在関西にお住まいとのことで「オンラインか~」と思っていた3月のある日。「明日東京行くんやけど、どうでしょう!?」と突然の吉報を頂いて直接お会いできた賀來さん。

TOYデザインの専門学校を出て、某おもちゃメーカーに企画開発・デザイナーとして入社して・・・といった経歴を通常であればご紹介するのですが、今回は割愛(当日賀來さんも「こんなペースで話してたら朝になってまうで」とおっしゃっていました笑)。30年以上もある長く濃いキャリアの中で確かに最初はおもちゃ作家を目指していましたが、おもちゃの持つ「遊び」という面ではなく「道具」という面に視点を移すと、「木工家」という肩書で活動する賀來さんの輪郭がよりくっきりと見えてきます。

「木工」といえば、まず思い浮かぶのは「自然」や「オリジナル」といった要素。一つ一つ手作りで作られたそれらには、例えば「素材にこだわった良い暮らし」といった“1ランク上の生活”のようなイメージが添えられています。しかし俯瞰してみると、それは大量生産の時代を経たからこそその対比として感じることであり、そもそも木や石など身の回りの材料を使って道具を作り生活することは、ごく根源的な人間の活動だったはずです。旧石器時代の尖頭器や石斧、歴史が進みより精巧になった縄文土器や弥生土器など、身の回りの材料で道具を作り、道具を使って文化を作ってきた、それが人間らしさではないか?と。

この「身の回り」という要素は場所に依存し、代替することが難しい要素でもあります。例えば、現在国内生産されている家具はそのほとんどが材料を海外輸入に頼っているそう。日本にもたくさんの木があるのだからそれで作ればいいのに…と思ってしまいますが、椅子、テーブル、ラックなどの家具は、そのほとんどが欧米の生活様式に根差したものであり、もともと日本になかったもの。最適な材料で作ろうとすると、どうしてもその生活様式の大元である欧米の材料に行き着いてしまうのだと賀來さんは言います。

では、日本の豊富な木が材料として機能するにはどうしたら良いのか。そのヒントも歴史にあります。平安遷都後、京都には日本独自の文化が生まれ、500年にも渡る平和な江戸時代の間にもガラパゴスな文化が醸成されました。その時生まれた道具は、まさに日本のその時代、その場所、その状況が規定した「文化」。例えば刃物は、材料が少ないため合わせ刃物になり、広葉樹の多い欧米とは異なり針葉樹が多い日本により適したものとして、研ぎやすく鋭い形態へと変化していきました。

もちろん、現在流通する様々な道具は人間の英知が詰まったものであり、世界との交易はとても大切なこと。しかし、欧米からきたフォーマットは簡単には日本に置き換えられません。全ての道具には、それが生まれた背景があり、生みえた土壌がある。時代、場所、状況、それらによって規定される「文化」が表出した存在として「道具」を捉え直し、今の日本だからこそ生まれるものを生み出すこと。日本の豊富な木々は、今の日本に生き、今の日本が沁みこんだ材料として、今の日本だからこその道具となれるはずなのです。

賀來さんが「木工家」にこめた想いはまさにそこにありました。某おもちゃメーカーに勤務していた当時から作りたかったのは木のおもちゃ。それは、木はそれそのものでひとつの生命体だから。木は道具のはじまり、人類の歴史の始まりから存在し、生命体としてとって代わられることのない個別性を持った材料なのです。人が生活し、文化を作る、そこに寄与する道具を作りたい。同じ時代、場所、状況を共に生きる木とともに、それを成し遂げたい。

以前はオーダー家具販売を行っていたこともあったという賀來さん。しかし、出来上がった作品をただ売ることは肌に合わず辞めたそうです。現在は木工に関するワークショップを開催したり、木工での空間建築に関わったり、創る技術・知識・経験の3つを活かして文化に寄与するための活動をメインにしています。時代、場所、状況などあらゆる要素を踏まえて出来上がる文化の結晶としての「道具」を、同じ時代、場所、状況に生きている「木」とともに作り出していくことを目指して、賀來さんはこれから先に生まれるかもしれない「文化」に向き合い続けていきます。

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Letter for XXXは、不定期かつ独断と偏愛で随時更新していきます。


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