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「ズレ」た人生、生きています



2018年、わたしは3回も、くるまをぶつけている。

1回目は、自宅の壁に、ガリガリ。
2回目は、ほそい路地を通りぬけようとして、石垣にガリガリ。
3回目は、縁石ブロックにのりあげ、ガリガリ。

1回目は、言うまでもなく、落ちこんだ。
2回目、あきれた。
3回目になると、笑いがでてきてしまった。

「おいおい、わたし。なにをしているのだい?」

くるまの運転は、得意ではないが下手でもない、と自分では思っている。
しかし、これだけ続くと、疑わざるをえない。
自分のどんくささを。

「でもさ、ぜんぶ、人身事故じゃなくてよかったと思わなくちゃ」

自己嫌悪で、落ちこんでいるわたしを、なぐさめて下さる方もいて。
修理費で、サイフにもかなりのダメージがあったわたしは、そのことばに救われた。

たしかに。
あのガリガリが、壁や石垣や、縁石ブロックあいてではなかったとしたら。
ほんの少しタイミングがずれて、だれかを殺めていたとしたら。
わたしは、いま、ここでこの文章を、かいてはいないかもしれない。

ほんのすこしの「ズレ」
それが、よくもわるくも「生きる道」をおおきく変えてしまう。
くるまの事故などは、まさにその、わるい方の例だろう。

飛行機に乗り遅れたおかげで、事故にあわずにすんだ人の話を聞いたことがある。
これもすこしの「ズレ」

話題の店にならんで、次が自分の順番、というところで「本日のご用意できる分はここまで」と言われたこともある。
あとすこしの「ズレ」

なんとも。
わたしたちは、日々、さまざまな「ズレ」をかわしたり、かわせなかったり。
大小にかかわらず、そんなことをしながら、生きているらしい。

それにしても。
わたしの、人生最大の「ズレ」を感じた瞬間。
それは、あのできごとの他、ない。


ひとり暮らしも、3年目をむかえた秋。
わたしは、すこし情緒不安定になっていた。
どうも、そわそわするのである。
職場でも、すこし注意されただけで落ちこんだり、腹が立ったり。
あんなにしていた自炊も、なぜか全くやる気がおこらなくなっていた。

もともと「人生経験のひとつ」のつもりではじめたひとり暮らし。
はじめは気がすすまなかったが、やり始めると、実家では味わえない生活を、それなりに楽しんでもいた。

しかし、なにかきっかけがあったというわけでもなく、じわじわと、その「そわそわ」は、まるで煙のように、わたしを取り巻いていた。

どうも、わたし、様子がおかしい。
このままでは、自分にとってもよくないし、まわりにも迷惑をかけてしまう。
なんとかしなくては。
とにかく、自分をとりまく環境を変えなくては。

いっそ、ひとり暮らしをやめて、実家に帰ってしまおうか。
でも、ついこの間、マンション更新の支払いをしたばかり。
こんな中途半端な時期に引き払ったら、またお金がかかってしまう。
しかも、しごとも忙しいこの時期に、引っ越しなんてできるのだろうか。

「今月いっぱいで、マンションを出ようと思います」
あれこれと、頭で考えていたわたしだったが、気がついたら大家さんに電話していた。
そして、電話を切ったとたん、あの「もやもや」が消えていたのである。

実家にもどり、1ヶ月ほどたった、ある日のこと。
くるまを走らせていると、ついこの間まで住んでいたマンションが、遠くに見える。
「最近のことなのに、もうすでに懐かしいな」などと思いながらながめる。
しかし、なにやらマンションの様子がおかしいのである。
白いはずのマンションの壁が、一か所だけ黒っぽくなっている。

「木の陰でも映っているのかな」
そんな風に思いながら、気になってマンションに近づいていく。
マンションの前に、くるまを停めたわたしの口は、あいたまま、しばらく閉じることを忘れていた。
ただただ、鳥肌がたった。

「え……? 火事?」

マンションの壁の一部が、真っ黒に焼けている。
バルコニー越しに見えるはずの窓ガラスは、跡形もなく割れている。
まだ発生してから、それほど日数は経っていないのだろうか。
真っ黒に姿を変えた部屋は、なにかで覆いかくされている様子もない。

信じがたいことに、その火事が発生していたのは、わたしが住んでいた、ちょうど真下の部屋だったのである。
わたしが、まいにち洗濯物を干していたバルコニー。
その壁には、いきおいよく炎があがったのであろう焼け跡が、くっきりと残っていた。

「ズレ」
あの時、わたしの中で、無性にわきあがった「もやもや」
あれを、ごまかして、そのまま住み続けていたら……。
引っ越しのタイミングを、あと1ヶ月遅らせていたら……。
わたしは、いま、ここでこの文章を、かいてはいないかもしれない。


虫の知らせ、とはよくいったもの。
「実家に帰る」と決めたのは、ちょうど祖母の命日あたりのことだった。
祖母が、わたしの中の「もやもや」となって、知らせてくれたにちがいない。
そんな、祖母にまつわる「ズレ」のエピソードもある。


祖母がまだ生きていたころ。
車いすをおして、ふたりで近所の公園に桜を見にいったときのこと。
昔のことは、あまり話さない祖母が、そのときはなぜか、若いころの話をしてくれた。

親が勝手に決めた相手と、いやいや結婚したこと。
結婚式の日は大雪で、馬車がすべってこけたこと。
嫌だった結婚も、案外たのしかったこと。
子ども(つまり、わたしの父親)が生まれて、とてもうれしかったこと。

いちばん驚いたのは、結婚した相手は、すぐに戦争に徴収され、帰らぬ人となったこと。
聞くところによると、祖母の結婚生活は、たったの80日間だったそうだ。
祖母が、20歳になったばかりの頃のはなしである。


「ズレ」
あのとき、祖母が父をみごもっていなかったら。
わたしは、いま、ここでこの文章を、かいてはいない。
それどころか「わたし」として、この世に存在すらしていないのだ。

もしかしたら、生まれてこなかったかもしれない、という「ズレ」
そんな「ズレ」を、見事にかわして、いま、ここにいるわたし。
ほんのすこしの「ズレ」で生まれた、わたしの「生きる」道。
人生最大の「ズレ」は、この時すでに、発生していたと言えるのかもしれない。


「どんなにつらいことがあっても、朝は、かならずくるからね」
幼いわたしをおんぶしながら、朝日にむかって手をあわせていた、祖母のことばを思い出す。
きっと、いつだって「ズレ」たわたしの人生を、そばで、そっと見守っていてくれる。


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