未完フレンズ〜18年前の約束〜

小学校1年生の時の話。遠い記憶だが、何故かふと思い出したので書いてみる。

6歳の僕にとっては、その時に抱いた感情をまだ言葉に出来なかった。同い年の、そんなにクラスでも目立たない女の子。キャラクターが渋滞する文房具なんて使わず、無印良品で買い揃えたような淡白な筆記用具を使う子だった。

当時の女性おばちゃん担任が僕達に指令を出した。「みんなに図工の宿題を出したいと思います〜何か1つ自分で作品を作ってきてください!折り紙でも良いし、粘土でキャラクターを作ってもいいです〜双六なんかも皆んなで楽しめそうですね。来週のクラスレクでお披露目しましょう!」

こういうのは大好きだった。僕が作ったモノで皆んなが喜んでくれるのは素直に嬉しいし、なんだかクラスの人気者になれるような気もした。自分の席の周りを友達がぐるっと一周して囲むような妄想をした。(友達がいなかったわけではないが)


そこで僕は手元で出来るサイズの「ビー玉迷路転がし」のようなモノを作った。段ボールを切り取り貼って、迷路にする。そこでスタート地点のビー玉を傾けて転がしながら、ゴール地点に到達させるゲームだ。先生が出した例えからすると、なかなか攻めた創作物だったと思う。皆んなからチヤホヤされるカラフルな妄想は自分の現実の技量をモノクロにしていた。

期待通りにいかない自分の創作物。当時、21時には寝ているはずの自分。「あんた早く寝なさい」とお叱りを受けながらも毎日24時まで作業をした。眠たいまぶたを擦りながら、段ボールを切り、テープで迷路の壁を作る。テープの貼り方が雑なため、ビー玉は時折、セロハンテープに足をとられて止まってしまう。おじいちゃんの家のネズミ取りシートを思い出す。

試行錯誤を繰り返しながらも、何とかビー玉迷路転がしを作り終えた。レクの時間に皆んな喜んでくれるかなとワクワクやドキドキの感情に包まれて、作品を真っ黒の手下げにしまう。



翌日、自分の周りに集まってくれた人は1人だけだった。右斜め前方にはクラスの3分の1の人数がA君の作った玉転がし迷路ゲームに集まっている。


そんなことある?まさかのビー玉迷路転がしのネタがA君とかぶっていた。それだけでない。A君の父親は大工さん。手伝ってもらったのか、鍵が打たれたり、木片を十分に使った商品同様の玉転がしゲームだった。24歳になった今でも僕は作れないし、今でもやっぱりズルイと思い出す。

A君の制作発表にクラスは湧いた。クラスメイトが称賛の拍手と尊敬の眼差しを向ける中、僕だけはうつむいていた。机の下にはちょっぴり汚れた19センチの上履きがふてくされているように脱ぎ捨てられていた。

適当に制作発表をした僕。眠い目を擦って必死に作ったのに、あの時間は何だったんだと悲しみが心を侵食した。そのあと、僕は昨夜とは真反対の感情でビー玉迷路転がしを真っ黒の手さげにしまった。

そんな時、1人の女の子が近寄ってきた。「ビー玉転がし作ってたよね!やらせてよ〜」彼女とは喋ったことが殆ど無かった。遊んでもらっても、「大したことないじゃん」っていう言葉が返ってきそうで怖かった。イヤイヤ手提げから、日の目を浴びなかった作品を取り出す。彼女はすぐさま手に取り遊び始めた。

「面白いじゃん!なんでも手提げしまうの!こっちの方が一人で大変に作ってるのが伝わるよ〜一緒にこれからレベルアップした良いモノ作ろ!」

そんな感じのことを言われた気がする。

なんだが、気持ちが楽になった。一人でも楽しんでくれる人がいたこと、作品に込めた自分なりの希望を汲み取ってくれたようで。

それからまもなく、彼女は引っ越した。急展開だった。親の離婚が決まったらしい。

大人になってから「必ずあなたを見てくれる、気づいてくれる人がいる」という言葉をよく耳にする。

仕事の話でも、恋愛の話でも、ましてや家族愛の話でもない。

だけどあの時、同じ6歳の彼女が気づいてくれた寄り添い(気遣い?)に僕は救われた。

もう何処にいるかも分からないし、ましてや向こうは僕の名前なんて覚えていないと思う。


だけど、まだ一緒にビー玉転がし迷路を作ってないから、いつか一緒に作りたいと思う。

あのA君のズルイ商品を超えた大作を作ろう。











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