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正解がない世界に覚える違和感

今日は、最近、僕が個人的に違和感を覚えていることを書いてみようと思います。
決して他者批判ではなく、あくまで僕個人の意見として「そうなんや〜。」くらいに読み流してください💡

よく映像の世界は「間違いはあるけど、正解はない」と言われますが、確かにそうだなと思います。
例えば、撮影をする際、イマジナリーラインは意識して撮ることが大切です。
もし、やむを得ずイマジナリーラインを越えて撮る場合は、前のカットとの繋がりに違和感が出ない「繋ぎ」のカットを撮っておくことが重要です。
これを言い出すとキリがないので端折りますw
というような失敗例はあり、これをすると先輩から怒られます((((;゚Д゚)))))))コワイ

で、本題はここからです。
正解がない世界において、映像を撮影する時、
皆さんは『構図』を意識しますよね?
カメラを始めたての人は、構図の決め方が分からず、勉強のために本屋さんで立ち読みしたんじゃないでしょうか。
僕もしましたし、写真や映像の構図集を買って読みました(^ ^)
とても勉強になりますし「なるほど〜。」と、なんとなく上達したような気になりましたw(実際は全然でしたw)

ここです!天邪鬼な僕が感じはじめた違和感!w

本に書いてる構図の決め方や作例を見て、
何も分からない初心者は「なるほど、これが正解なんだ。」と思い込んでしまうんじゃないかと。
僕もそうでした。
いや、実際には美しい構図やなと思うことはあるんですが、なんか…正解を押し付けられてる感じがして
「ほんまに美しいんか?今、自分の感情は揺さぶられてるんか?ただの思い込みちゃうか?そこに愛はあるんか?」と思うのです。

例えば「画面を縦横3つに区切って、縦線と横線の交点に被写体を配置するのが美しい」って意見について(もちろん美しい場合もあります)、
「学校の先生が言ったことは正しい。」とか、
「歴史の教科書に載ってることは正しい。」みたいな類いの話と同じで、
『誰が決めたん!!?』と思っちゃう僕はダメな奴なんでしょうか(笑)
(ほんと昔からかわいくない子供でしたw)

有名な写真家の方が撮った写真だからとか、
この映像は『三分割構図(あくまで例)』だから美しいんだって思い込もうとしてませんか!

実際、写真展に行くと、たくさん素敵な作品が並んでいます。
そこで、写真愛好家の方々が大賞を取った写真の前で「見事な構図ですなー」って言ってる横で、写真に興味なさそうな子供や付き添いの人が
「なんかこっちの写真のほうが好きー」って言ってるのを聞くと、
その『なんか』という感覚の方に僕は興味が湧きます。
その子供が好きって言った写真に対して、
構図がダメだとか説明してるおじいちゃんを見ると、
いや、それはなんか違うんじゃないかなぁと(^_^;)
それが人の感情を揺さぶるってことなんじゃないかと。
まぁ…厳密に言うと、写真愛好家のおじいちゃん達も感情を揺さぶられてるってことなんやろうけど…。

という感じで、だいぶツッコミどころ満載の屁理屈っぽくなっちゃいましたが、
僕が言いたかったのは、
本に書いてあったからとか、本に載ってた構図とズレてるからとか、有名な先生が言ってたからって理由じゃなく、
自信を持って、「この切り取り方がカッコいい!」って思うからとか、
こっちの方が被写体の表情がキレイとか、
自分の感情の赴くままに撮ろうよ!ってことです(^ ^)
自分が撮った写真や映像で誰かが喜んでくれるのが一番嬉しいし、
撮影って楽しいですよね〜♪

最後に改めて言いますが、決して他者を批判したいわけじゃなくて、『こっちの方が楽しくない?』っていう僕個人の撮影への向き合い方の考えを書いただけですm(_ _)m
この記事への異論はあると思いますが、
めんどくさいので聞きませんwww
ご自身と意見が違うと思ったらスルーしてくださいw

以上、今回も散文すみません!
ありがとうございました!٩( 'ω' )و

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