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地球のどこかで想う事-短編集Ⅳ-満月とじいちゃん

"僕"は月を眺めるのが好きだ。
シンガポールの夜景などではなく、大自然の星の輝きを隅々まで身体に吸収したいといつも想う。
特に満月の夜は気持ちがワサワサする。
スケジュール帳に満月の星座と日時は1年分つけている。

そうすると自然に月読みや占星術にも興味が出てくる。
日常的にいつも導きをくれる占いはここ数年自分の生活の一部になっている。

月と潮の満ち引きの関係(満月のウニなど)神秘的な魅力がある不思議な月、古来からヒトの営みを満ち欠けによって支えてきた様なエネルギーを感じる。

"僕"の月への原始の記憶は、月見をじいちゃんとしたこと。
自衛隊出身のじいちゃんは厳格な人だった。
そして戦後の日本を強く逞しく生きてきたであろう"僕"の誇りだ。
そんなじいちゃんも当時こどもだった"僕"にとってはただただ優しい存在。
物知りで穏やか。たまに一緒のベッドで寝るのは小さな頃の楽しみであり、良い思い出だ。

そんなじいちゃんが大切にしていたことにお盆や季節行事がある。
ナスやらきゅうりで馬を作ったり、提灯でご先祖さまを迎えにいくよくわからない儀式めいた行事。
こういった日本人としての魂を受け継いでいく場所がどんどん減ってしまっていると感じる。
それはきっと淘汰されるべきモノではない、不合理だったとしても継がれるべき
シャーマニズムやアニマニズムに近いような"部族の誇り"なのではないか?
合理制の先にあるのは、全てが生まれた瞬間にデザインされた自己の人生ではないだろうか。
かくいう"僕"もネットやSNSをひらけば、アルゴリズムと広告に支配され
欲しいモノややりたい事 消費や人生観まで"デザイン"されているではないか。

もうすぐ満月だ。
"僕"はこれからも、じいちゃんの大切にしてきたモノを忘れずに生きていこう。

いつの日かの"僕"の脳内

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