本業ジャーナリストへの違和感。言わないでおくこと、言うべきこと、経済原理。
某国に潜入するとそういう問題にぶつかる。逆国だとジャーナリストがポリコレ棒をぶん回して、無価値な記事を書いて、それで寄付を募っている。なむなむ。
某国のことをNHKで語りながら某国の現状は誰も見に来ない
経済原理である。経済が足元なのである。RubyOnRailsを書きながら自分も足元を固めている。そのため、大きなことは言えない。ギリギリで生きている。
しかし、おそらく「ギリギリで生きる」からこそその傍証として、ジャーナリズムがあるのではないか。本業ジャーナリストという経済原理がガチガチにポリティカルな人が議論を正しくできるのだろうか。違和感がある。
情報統制をされたら一瞬で消滅するような職業。イーロン・マスクは投資家としての能力をもってTwitterのオーナーになった。
そういうことができない限りそもそもジャーナリストというのはできないのである。副業でやるものなのではないかと思う
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