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『モンテーニュ逍遙』第6章

第六章 フランスの廷臣ジャンティヨム・フランセから〈世界の市民シトワイヤン・デュ・モーンド〉へ ──無の思想家が異国漫遊の間に体得したもの──

(pp.186-213)

人間の判断は、繁く世間と交わることから、あのすばらしい明晰を養われるのです。我々はいずれも自分の殻のうちに閉じこもっております。視界は狭くて鼻の長さを越えません。人がソクラテスに向って「どこの者か」と尋ねましたところ、「アテナイの者」とは答えないで「世界の者」と答えました。彼は普通の人より広く豊かな思想をいだいておりましたので、宇宙を抱くことあたかもその町の如く、その知友その交際その愛情を全人類に及ぼしていたのでございます。

『随想録』「子供の教育について」(I・26・215)

彼〔ソクラテス〕は、どこの人かと尋ねた人に対して、アテナイ人だとかコリントス人だとかけっして言わないで、むしろ世界市民だと答えたのだ。

エピクテトス『語録』第1巻第9章、國方栄ニ訳(岩波文庫、『人生談義』上巻)

ソクラテスがそういったからではなく、本当にそう思っているから言うのだが(そこには多少の誇張もないことはあるまいが)、わたしはすべての人をわが同国人と思っている。そしてポーランド人をもフランス人と同様に抱く。つまり同国の誼みの方を世界を同じくする誼みの次に置くのである。わたしは生れ故郷の味わいにあんまり恋々れんれんとしていない。まったく新たな・まったく自分だけの・知合いも、あの隣り同士の縁からただ偶然に生じた・同郷の・知合いも、わたしには同じように尊く思われる。だが我々が自分で得た純なる友愛は、通例、郷土や血肉の縁によって結ばれる友愛よりもつよい。自然は我々を、自由な何の束縛もないものとして産み出したのに、我々はどこかの地域にとじこもる。

『随想録』「すべて空なること」(III・9・1122-1123)

  • モンテーニュの生き方、コスモポリタン(世界市民主義者)としての生き方は、単にソクラテスに賛同するだけのものではなく、生涯よく旅行をした彼自身の実体験から会得したものでもある。

  • モンテーニュの運命随順の姿勢は、受動的に忍従するもの・虚しく諦めるものなどではなく、知恵をもって積極的に受け入れるもの・これを楽しんで生きるもの。

  • 本章は『随想録』第3巻第9章「すべて空なること」を軸にして語っている。


(本章から)

モンテーニュはその一生を通じてよく旅をした。その最も大きなのは南ドイツを経てイタリア各地をまわった十七か月にわたる旅であったが、そのほかにも遠近公私のいろいろな旅をした。(p.186)

  • 十七か月にわたる旅 ... 1580年6月下旬から翌年の11月末(モンテーニュが47〜48歳の時期)にかけて行った旅。このときの旅の記録が18世紀後半、モンテーニュの没後180年ごろに発見され、『ミシェル・ド・モンテーニュのイタリア旅日記』として刊行された(1774年)。関根秀雄・斎藤広信訳『モンテーニュ旅日記』(白水社)、斎藤広信著『旅するモンテーニュ』(法政大学出版局)など参照。

 
たまには知らない土地に旅して自分独りになり、〈自分対自分〉の対話をしてみたかったに相違ない。(p.186)

妻も持たねばならない。子も持たねばならない。財産も持たねばならない。できれば特に健康をもたねばならない。だが我々の幸福は、かかってそこに在るというほどに、それらに執着してはいけない。全く我々の・全く自由独立の・そこに我々のまことの自由と本当の隠遁孤独とを打ちたてるべき・裏座敷を、一つとっておかなければならない。我々はそこで、毎日我々対我々自身の話をしなければならない。どんな交際もどんな外部の交渉も、そこには入りこまないほどの内輪話をしなければならない。

『随想録』「孤独について」(I・39・310)


彼に従えば、本当の知恵とは、必然的なるものすべてを受諾受容すること、我々人間の空虚をすら己れの糧とし、いわばそれを無用の用として役立てることでなければならない。(p.199)


ここにモンテーニュが、おとなしくそれに引かれてゆきたいという〈自然的傾向アンクリナシヨン・ナテュレル (inclinations naturelles)〉・生まれつきの傾向というのは、我々が考えるように盲目的衝動ではなくて、むしろ知恵に連接する行為なのである。(p.199)

Michel de Montaigne, «Journal de voyage en Italie par la Suisse et l'Allemagne»,
Bouquins Edition, 2023
2023年にフランスで出版された『モンテーニュ旅日記』。図版が豊富。


この人間そのものと、そして人生の無常ということこそ、『随想録』の第一巻第一章以来モンテーニュが繰り返してやまない彼の根本理念なのであって、それが《世界は永遠のブランコにすぎない》(III-2 p.935) という彼の宇宙観の上に立っているということは、この私が本書の中でしばしば繰り返さずにはいられないことなのである。この動かすべからざる人生の実相を、身をもって感じとるには、そして人間の根源にかかわる問題を己れ自ら語り合うには、できるだけ自分の家や近親や、強度の習慣やその国の伝統から離れて、自分ひとりになることが、すなわち漂泊の旅に出ることが、何よりも有効なのである。(p.200)


ところが世のフランス文学者たちは、モンテーニュにモラリストとか思想家とかいう肩書をもたせて、文学の世界から哲学の世界へと追いやる。そして彼のディアレクティック、彼のロジックは隙だらけだ矛盾だらけだと言って彼をそしる。彼はよく己れの分を知っていて、常に己れ自らであろうと心がけているのに、〈拙ヲ養イ愚ヲ守リワガ真ヲ全ウセン〉としているのに、世の人は彼の思想には体系がないとか、彼の著書は構文をもたないとか言う。本来が芸術家であり詩人である彼にとって、これほど迷惑な話はないであろう。(p.206)

  • *〈拙ヲ養イ愚ヲ守リワガ真ヲ全ウセン〉の典拠が分かりませんでした…… 意味は「生まれつきの傾向を保ち(養拙)」「才智をひけらかさず(守愚)」「本来の自分で正直に生きよう」といったことでしょうか。


世間には分析の迷路にわれから迷い込んで覚らない哲学者や宗教家があまりに多い。その向こうを張ってわがモンテーニュは、書籍的知識をしりぞけ、詩人の直観によって物の核心に迫ろうとしているのだ。(p.209)


(余談)

本書では全篇で『随想録』第2巻第12章「レーモン・スボン弁護」からの引用・言及が最も多いが(60箇所以上)、次いで第3巻第9章「すべて空なること」からの引用が多い。40箇所弱、うち本章では25箇所。



  • 関根秀雄著『新版 モンテーニュ逍遙』(国書刊行会)

  • 関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)

  • 関根秀雄・斎藤広信訳『モンテーニュ旅日記』(白水社)

  • 斎藤広信著『旅するモンテーニュ』(法政大学出版局)

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