『モンテーニュ逍遙』第11章
第十一章 モンテーニュの創造的懐疑説 ──〈現象学的・排去的〉懐疑説──
(pp.338-369)
モンテーニュの懐疑思想(scepticisme)は彼自身の天賦の特質であり、常に彼の精神の根底で絶えず働きつづけたもの。
一方でそれは、あらゆるものを疑ってかかり、あげくニヒリスム(虚無的態度) に行き着くものではなく、自然に囲まれながら物事に冷静に対峙するときの〈方法〉、幸福に生きていくうえで最も有効な〈知恵〉だったのではないか?
モンテーニュの懐疑思想を端的に解説するものとしては、『モンテーニュ随想録』623頁、「わたしは何を知っているか?」への注釈を参照。
(本章より)
多くのモンテーニュ学者は、自分が本格的な学者であるがために、かえってモンテーニュを学者として買いかぶっている。前出ビュトールにしてもギェルツィンスキーにしても、モンテーニュのこの我儘勝手な性分を忘れているのではなかろうか。毎度言うように、モンテーニュは学者先生でも神学者でもなく、至極気まぐれな、自分本位の、アルティストであり詩人であったのだ。(p.343)
『随想録』は矛盾に満ちているという。モンテーニュのセプティシスム[懐疑主義]はローマのカトリシスムと相反するという。だが、『随想録』の世界には多様性があり変化があるけれども矛盾はない。『随想録』はシステムやドグマの世界ではなくて宇宙そのものであるから。モンテーニュは知識人、思想家ではなくて、実存する人間(実存者 existant)なのである。彼は思想と生活とを分離しない。セプティシスムは彼にとって思想の方法であると共に生活の方法なのであった。(pp.345-346)
〈徳〉とはモンテーニュにとっていわゆる〈道徳〉のことではなく、人生の理をわきまえる〈分別〉のことである。〈知恵〉〔叡智〕のことである。(p.353)
モンテーニュの思想をあれこれと分析して知ったのでは、彼のペルソナリテ、彼の魂にふれることはできない。それにふれるには我々自ら、モンテーニュと同じ生活態度のうちにその身をおかねばならない。つまり彼と同じように、自分の生活態度の修正・立て直しを志すのでなければならない。(p.353)
特に書籍的源泉に遡及したり時代精神に結びつけて解釈したりすることは、彼の独自性を晦まし誤解を生むおそれがある。彼は時代の児であるよりは、どこかちがった世界から流されて来た異邦人であり風来坊である。もちろん十六世紀文化の中には彼を説明するかに見える幾多の要素が発見されるであろうが、それらはいずれもばらばらの事実であって、それらはモンテーニュの裡に入ってはじめて深い意味を帯び、はじめて共通の尺度では割り切ることのできない一人の独自な人格を生んだのである。だから彼の作品の各方面を切り離して時代精神の各要素に結びつけてみても、彼が結局その時代における一浮浪児ないし反逆児であったことを認めないわけにはゆかない。(p.354)
特に注意せねばならないのは、モンテーニュのセプティシスムは、〈通例西欧の人たちが考える意味での思想を執拗に拒否〉(ジャン・ビエルメ) するものではあったが、決して知的活動の全面的拒否ではないということである。それどころか、豊富で微妙な陰影をもった知識欲の変種であり、旺盛大胆な好奇心の結果であって、無限の多様変化に対する愛がなくてはとうてい生まれえない思想である。(p.359)
(参考)
関根秀雄著『新版 モンテーニュ逍遙』(国書刊行会)
関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)
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