やわらかいままで

これは去年6月のメモ。

人と会話するのがにがてだ。上手く話そうとしてしまうから自然と気疲れしてしまう。自分でもいやなくらい人に対して気を遣う。相手に気を遣ってなくて自然に話せている時でさえ、気を遣ってないことに気づいてしまうことで、気を遣いが始まってしまう。ものすごくしんどい。ただでさえ何も詰まっていない頭の中が情報のカケラひとつない状態になるし、真っ白になる。


こうやって自分一人でパソコンに向かって執筆してる時は本当に何も考えていない。ただブラインドタッチの練習としか捉えていない。だからぱって思い浮かんだことをひたすらに書き起こしている。

テーマやそれに沿う項目を書き出して綺麗な文章を作らなきゃいけない時もあるけれど、にんげん、読めたらいいでしょ、なんとなくでも伝われば。と思いながら生きている。

綺麗な文章を書きたくない。適当に書いたものでなんとなく、なにかが伝わればいい、正直伝わらなくてもいいと思っている。誰かに何かをわかってもらいたいわけでもないし、どこかの誰かに刺さればいいなって思いも、ない。むしろみないでほしい。勝手にみられて批判されたら、なんやねんってなる。別に見て欲しいわけでもないのに、それでもって批判されたら、成長するしない関係なく、つらくなる。

ちょっとはちゃめちゃでやわらかい人をみるとそのままでいてほしいなとよく思う。大抵本人たちはその自分の柔らかさに悩んでいて苦しいって言うし、筋の通った硬い人を目指そうとするけど、ほんともったいないなと思う。それぞれ特性を持ってるのに、あれが一番強いからあれを目指さなきゃいけない、自分の体質には合わないかもしれないのに。その体質になっちゃったら、もう元の姿には戻れないのにな と思うと、みんなもっとじぶんを大切にしてあげてほしい。ガチガチのデータベースもかっこいいし、尖ったふわふわパンも、進みっぱなしのスライムも、みんな素敵なのでほんと、しあわせでいてほしい。

しあわせを強制するのもおかしい話だけど、その人がそこにいてくれるだけで救われる人がいるってことは忘れないでほしい。ほんと、ただ今日を生きているその姿をみるだけで、またちょっとだけ生きてみようと思えるから。

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