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【上文殊】豪族・諏訪神九郎
書き手:伊藤ゆか
※地元に伝わる話を紹介しています。歴史的事実とは異なる可能性があります。
地元で多くの話が残る諏訪神九郎の祖先は神武天皇とされています。神武天皇の第二皇子の末裔である衛門少領徳光が延暦2年(783年)に北山に居住し、50町歩を領有していました。その後、現在の上文殊地区や文殊地区の多くの土地を安堵され治めます。
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衛門少領徳光から続く諏訪の一族は約800年間北山に住んでいました。その間、田の開墾に尽力し、徳光用水を最初に開くなど、地域の発展に大きく貢献して敬われるようになったそうです。
ちなみに、諏訪神九郎が最初の形を作ったと伝えられている徳光用水は、足羽川を源とする歴史ある用水です。
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北山には諏訪大明神という神社があります。安波賀川堰を切り立てて用水を改修した功績によって、神九郎の氏神の諏訪大明神として崇められたといわれています。
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神社の鳥居の近くにはナマズが模られた石が置いてあります。
この石は次のような話があるために作られたそうです。
「諏訪神九郎屋敷にはお堀があり、そこには大きなナマズが住んでいました。このナマズがあまりに大きくなったので、窮屈だろうと思い桃垂川の帆谷べい(べい=澱んだ水があるところ)に放流しました。すると甚九郎の家はだんだん貧乏になってしまい、大ナマズは家を守る主だったのではないかと噂になりました」
地元の方によると、ナマズが入った入れ物は、大人8人で持ち上げたと言われているそうです。相当に大きかったのでしょう。
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境内にある灯籠は、近隣では最古のものとされる貴重なものです。模造品が朝倉氏遺跡資料館に展示されていて、歴史好きの方が見に訪れることも多いそうです。
上文殊地区、とくに北山では、現在の田畑や用水の基盤をつくった人物に感謝し功績を今に伝えています。
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