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【一乗】糸桜・一乗谷朝倉氏遺跡復原町並エリア


書き手:伊藤ゆか

毎年、春になると朝倉氏遺跡保存協会さん主催の「糸桜まつり」が開催されます。(2023年は4月8日でした)

2023年の糸桜まつりに行ってみると、今年は暖かく早めに花が咲いたため少し満開を通り過ぎてしまっていました……ですが、それでも美しく、参加者の目を楽しませていました。

まつりの会場は一乗谷朝倉氏遺跡復原町並エリアです。
この「復原」という表記、「復元」ではないのかと思われる方も多いようですが、間違いではありません。
このエリアは発掘資料をもとに正確に再現を試みています。ですから、当時の姿を再現する際に使う「復原」という言葉を用いているのです。

建物の柱の跡などが見つかっていて土台はおおよそ分かっても、高さなどは分からないだろう……と思いきや、こちらも考えられています。隣の家との間隔から屋根のせり出しを考え、屋根から高さを考察したそうです。

(こちらの写真は3月の「おもてなし&体験 春の陣」の際の写真です)

そんな基本情報からマニアックな知識まで楽しく解説してくださるガイドさんが、復原町並エリアにいます。普段は有料なのですが、イベントの際には無料ガイドが実施されている場合もあるので、要チェックです!

当時の一乗谷に迷う込んだかのような光景ですね。


3月に開催された「おもてなし&体験 春の陣」に参加した際、ガイドの方が「糸ざくら」について解説してくださいました。
枝が垂れる桜のことを現代では「枝垂れ桜」と呼ぶことが多いですが、一乗ではあえて「糸ざくら」と呼んでいます。

その理由が上の写真の歌です。
「もろ共に 月も忘るな 糸ざくら 年の緒ながき 契と思はば」
こちらは足利義昭(当時は義秋)が一乗谷で詠んだもので、糸ざくらという呼称を用いています。
武士にとって「下がる」を連想させる「垂れる」は縁起の悪い言葉です。そこで「糸桜」や「柳桜」などと呼称していたそうです。
この歌は、朝倉義景に向けて、長い付き合いを望む意味があると考えられています。

この歌が残っていることもあり、一乗地区では「糸ざくら」と呼んでいるのだそうです。

トボ餅を焼いている様子。

ちなみに、糸桜まつりでは戦国ぜんざい・戦国トボ餅焼きもあったので、美味しいものを食べながら休憩して、ゆったり楽しんできました。

興味のある方はぜひ一度、訪れてみてください。

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