傾城反魂香

「傾城反魂香」通称『吃又』その妻、おとくを演じるのは15年2月鴈治郎ご襲名興行以来の猿之助さん。当時は鴈治郎さんに合わせてコミカルとも言えるおとくを演じながら細やかな愛情表現で涙も誘うと言う猿之助のおとくが予想外に良いと言う評判だった。ファンとして周囲の評判の良さに心密かに盛り上がったものである。

しかし、今回は又平が手水鉢に渾身の絵を描き、切腹の直前におとくが水杯を酌み交わそうと柄杓を取り上げた瞬間に裏に描いたはずの自画像が手水鉢の表に抜けている事に気づき、又平を手水鉢に導き絵を見せる。又平驚き「かか、ぬ、抜けた」までのすべての場面が悲劇的だ。

絵が抜けた場面は笑いを誘う場合が多いコミカルな芝居が多い中で、白鸚又平は一切の笑いを封じた。驚きの表情で呆然に近い芝居。
おとくも特に笑いを取りに行かない素直な妻である。


歌舞伎は型という物を大切にされるが今回はの演技プランは根底が違うのだろう。
白鸚さんの又平はどもりと言うだけで差別されてるいる事に強い怒りを持つ者と言う立場だ。へりくだるだけではないのだ。
猿之助おとくは又平を支えて又平に促されてよく喋る。しかしそこに笑いはない。おとくも夫ともに怒り悲しみを押しかくした笑顔。

又平が絶望したとき「手は二本指は十本あるものをなんでどもりにうまれしゃさんした」と腹の底にあった鬱憤を口に出して泣いてしまう。その直後いらんことを言うてしもうたと又平に平謝りする。この一連の場面は
レジ袋の音どころか咳払い一つ聞こえない歌舞伎座の静寂。
それほどに又平おとくの嘆きは深く、夫婦の絆は強い。言われなき差別に対して死を選ぼうとする二人。

近松門左衛門には珍しく心中はせずにハッピーエンド。
又平の絵が奇跡を起こして土佐の苗字を許可されるのだ。

同じ演目同じ役を演じた猿之助おとくだが、お相手が替わり役の性根の捉え方が変わると当たり前だけど、全く見える景色が違う芝居になる。
又平は悲しいが哀れではない。絵師として自信もあり人として認められたいと強い願望を持っているのにどもりだというだけで虐げられる立場に怒りで対抗するのだ。師匠と夫の間に入っておとくはおろおろと悲しむ。
こんなに控えめで優しいおとくは観たことがない。

おとくはずっと泣いているのだ。
おとくの嘆きは客席の涙につながる。


「大頭の舞」でおとくの鼓、又平が謡い舞う姿を観た時にようやくほのぼのとした心持ちになる。
猿之助おとくの微笑みが白鸚又平の笑顔に寄り添う。
白鸚さんの世話物はいつも新鮮な解釈。猿之助さんは白鸚さんの大きな芝居の中で新しい色の花を咲かせる。
幹部俳優との共演は花形役者を育ててくれる。
#白鸚 #猿之助 #傾城反魂香 #吃又

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