【昔書いた小説】他国のクーデター
学生時代に書いた小説は、Web小説サイト向けでも、公募向けでもないものが多いので、こちらにいくつか置いておくつもりです。
今回のは、ソビエト連邦のクーデターのニュースを見ていたときの実話を元に書いたもの。ほぼエッセイですが、一部創作があります。
お読みいただけましたら幸いです。
テレビの横っ面に、九〇年製、とラベルが貼ってある。だから、その頃のはなしだ。
当時、高校生だった私には、新しいテレビは大きくて、ニュースが近づいた気がした。大きさは、父の希望だった。
母はそれが気に入らなかったらしい。テレビと一緒についてきたビデオラックを睨み付けながら、首が痛い、目が疲れる、と文句を言った。
思うに、母は父や私より目線が低かったのだろう。だから、三〇センチ以上あるラックの上を見るには、顎を上げなくてはならない。
だが、私達はそんなことには気がつかなかった。ただ、子猫を拾ったみたいに、テレビに夢中になる家族が嫌なのだろう、と思っていた。
テレビの環境について、父も私も何ら改善をしなかった。
その日もぼんやり授業を受けて、他愛もないことで友達と笑いあって、いつもの我が家に帰ってきた私は、居間に入るなりテレビの異変に気がついた。
テレビに、枠がついている。
画面の周りのプラスチックがどうだと言うのではない。それは買った時のままだ。けど。
テレビの画面は、明らかに小さくなっていた。
画面に、画用紙の枠が貼り付けられていたのだ。
真ん中が前のテレビの画面とほぼ同じ大きさにくり抜かれた、画用紙……。
目への優しさを追求したのか、画用紙の色は若草色で、上品だった。
私は母に、何か声を掛けた方がいいと思った。でも、何て? なかなか色がいい? 考えたね? インテリアとしては上々? ……冗談じゃない。これじゃあ、画面の端で誰かが何かしていたってわからないじゃないか!
怒りをぶつけようとして、やめる。そうだ、怒りなんてものは、三度同じことで怒ってから爆発させても遅くはない。大体、私はまだ、この状態でテレビを点けていないじゃないか。そうだ、見てからにしよう。
コンセントを入れて、リモコンのボタンを押した。ニュースキャスターが深刻な面もちで、こちらを見ていた。
「ソビエト連邦でクーデターが発生しました」
映像が切り替わり、蝋人形みたいにきちっとした男が大写しになった。彼は早口に途切れるような重たいような音を画面の左下に向かって発している。
リポーターは出てこない。ただ、映像が転々として、誰も皆、同じ発音で、きっと何かを言っている。
クーデターが起きて、現地の人に話を訊いているのなら、どうして字幕をださないのだろう? 私にロシア語を理解しろって言っているのか?
テレビにつかみかかって、途端、理解した。
画用紙の隙間から、日本語の文字が見えた。
字幕は出ていた。ただし、若草色の画用紙の下で。
力が抜けた。画用紙を剥がせば良かった。が、脱力していた。怒りのエネルギーが全て筋肉の弛緩に使われたようだ。
画面にレーニンの像だとか、エリツィンの顔だとか、色んな物が映っている。私には、何故それが映されているのかわからないまま。
世界中で一人取り残された気がした。隣のスーパーで一枚八〇円の画用紙が、画面を覆っているだけで。柔らかい色の画用紙には、ちゃんと穴が開いている。真ん中だけ。ただ、真ん中に四角く。他のテレビと変わらない四角。でも、私は肝心な所を見ていない。いや、肝心な物を見ているが、理解できない。必要な手助けが一つもない。こんな馬鹿なことがあるものだろうか。ただ、字幕がニュースにないだけだ。
ぼんやり見ているうちに、数学の授業のことを思い出した。得意な所は、方程式を立てる意義から答えの導き方までわかっている。が、それ以外は、ただ、誰かの解答を暗記して、そこから逆に、どれが伏線で、どれが証明で、どれが核となる方法なのか、想像する。結果、同系統の問題が解けたって、こうなるからこう、以上の理屈を、わかっていない。誰かが最初に模範解答を見せてくれなければ、私は同類の問題を解くことができない。
他のことだって同じだ。部活だって、他の先輩がしていることを見て、そこから理解する。星座の探し方も、天気図の書き方も、望遠鏡の設置の仕方も、太陽黒点の観測の仕方も、百葉箱の見方さえ。
それらを除くと、私が持っているものは非常に少ない。テレビを理解出来ないくらいに、少ない。
クーデターは、大変なことになっているらしい。あの巨大なソビエト連邦がなくなるかも知れない。ペレストロイカだとか、グラスノスチだとかやっていたのに。ゴルバチョフだっていたのに。
けれど、私には何もわからない。誰かの説明を見るまで、ずっと。その他のことも、きっと。
ソビエト連邦の映像を意味も知らないで見ている。――結局、人生ってこんなものか。限られた枠の中で、それも心地よい枠の中で、誤解しながら生きていく。理解できないから、自分で理屈のシナリオを作って、くくりつけて。
まあ、いいか。
私は受験をして、大学に入って就職して、僅かな休みをささやかな趣味に費やして、それだけだ。だったら、別に関係ない物に苛々する必要もない。
じっとしていると、突然画面に手が伸びた。母だ。
「あら、これじゃあ、わかんないわね」
母は躊躇うことなく、若草色の画用紙を、字幕の出ている部分だけ破った。
私は呆然と母を見上げた。
画面はいびつな正方形になった。字幕は端がまだ欠けていたが、理解できた。画面と同じ比率の長方形になっていた心が、暖色を帯びた丸になった。
〈おわり〉
お読みいただき、ありがとうございました。
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