テレビのリモコンの民放のボタンが押せない話

1月の下旬に、漫画原作のドラマをめぐるニュースをたくさん読んだ。

以来、ちょっと不便なことになっている。
テレビのリモコンの、民放のボタンが押せないのだ。
最初に気づいたのは1月の末だ。
朝、時計代わりにしているEテレを点けようとしたときだったと思う。
指が滑って、別のボタンを押しそうになった。
途端、腹の底から気持ち悪さがこみ上げて、指が震えだした。
NHK総合と、Eテレ以外のボタンを押すのが、怖かった。

怖い理由は、すぐにわかった。
ボタンを押せば、画面にその局の番組が映しだされる。
もちろん、そうでない番組も多いはずだが、さまざまな思惑が行き交って、負の感情も、その番組に関わる人たちの中で、ふくれあがっているかもしれない。
そういったものが、画面を通してリビングにあふれ出してくるような気がしたのである。
私は、その手のホラーが極端に苦手だ。
(今回の場合は、私の想像こそがホラーだという気がするが。)

それから、民放のボタンを押していない。
民放の番組は、家族が録画したアニメを見るくらいである。
今まで見ていた番組も、見なくなった。
ドラマかどうかに関わらず。
とにかく、民放のボタンが、怖い。

テレビを見る習慣がなくなるとは恐ろしいことで、
現在は、以前に比べて、NHKでも見る番組が減っている。
仕事のためにニュースを見ることが多かったのだが、それも、インターネット上の記事などで情報を得ることが増えてきた。

朝、テレビの電源ボタンを押すと、表示されるのがEテレという場合がある。
前日の朝つけていたものが、そのまま表示されるのだから、夜のニュースを見ていないことがわかる。
あれ、見なかったっけ、と思う。
あわてて新聞を確認する。
仕事で使うような情報を含むニュースは、昨日はなかったようだ、と安心する。
やれやれ。

仕事に支障をきたすまえに、なんとかニュースを見る習慣だけでも戻って欲しい。
民放は……大相撲の時期などで、早めにニュースを見たいときに、ニュース番組を見ていたので、見られないのは、ちょっと困る。

いちおう、新聞のネットのサイトに登録しているので、何とかはなるはずだが、落ち着かない気持ちになっている。

仕事だけではなく、娯楽でテレビを楽しんでいることも多かったのになあ。

娯楽が減った分、電子書籍の購入額がこれまでの数倍になってしまった。
家族に教えてもらった、ユーチューブの流行の音楽なども、よく聞くようになった。
気がつくと、紙の本が身の回りに積み重なっていることが多い。
どうやら、以前より読んでいるらしい。
季節に合わせて、仕事場のポスターをかえたり。

でも、どこか空しさがある。

しばらく、この状態は続くだろう。

最初のうちは、今日は押せるようになっているのではないか、と試してみることがあった。
その度に、腹の底からこみ上げる気持ち悪さに閉口した。
嫌になってしまった。

今は、試すことすらしない。
時間薬だろうと思っている。
たぶん、私には、テレビドラマに関するあれこれのニュースやXなどで書かれていることの、刺激が強すぎたのだろう。
まさか、とか、そんなことが、とか思いすぎて、ボタンを押すという行為の向こうに、怪物を生み出してしまった。
そして、まだ、私には、その怪物を呑むほどの気力がない。
あのことから、まだ一か月も経っていないのだ。

時間薬は、じわじわと効いてきているのだと思う。
正直、今も、よくわからない気持ち悪さがこみ上げる。
それを押さえ込みながら文章を書けるほどには、回復していると考えていいだろう。

あるとき、ふと、「あれ、民放のボタンを押していたよ」というときがくるだろう。
好きなアニメの続きがもしあったら、そのタイミングかもしれない。

そのときを、ただ、待っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?