見出し画像

note版オンライン絵画講座 『線』

線、それは一体何か。
線、それは形であり、色であり、切り替わりであり、囲いであり、空間であり。。。
線と一言に言っても、色々なものが繋がった、入り組んだものであると言わざるを得ないでしょう。

線なんてないさ、線なんて嘘さ♪

僕らは絵の描き方を教わる中で、線なんてないンダゼ!線なんてどこにもないのに、書く時に現れてくるもんなんだぜ!と仕切りに言われたものです。

でも、描いていく側としてはやりきれないところもあった。
なぜなら、線を引かなければ絵を描けないと思ってたから。
ほら、いままさにここに線がある、と内心では思いながら、講師に打ちのめされる、線なんてどこにも無いんだぜ!と。描くものではなく現れてくるもんなんだぜ!と。

それは石膏や静物の表面を棒でなぞって現実として教わった。
線などどこにも無い!と。

そのうちに知っていくことになる、線なんてモノは無いんだなぁという実感。
陰影やそれに伴う色価などを意識して描くと線自体の存在意義がなくなるということを。むしろ線は一種の区分けや簡易的なナビゲーションであり、描き進んでいくほどに必要なくなるものだということがわかっていきます。

上記のような感覚は、ある程度描けるようになった人なら当然、わかっていることだと思います。どちらかと言えば、描画深度が深くなればなるほど打ちのめされると言った方がいいかもしれませんが。

未だ、そのことに気が付かない方々や、眉唾だとお思いの通りすがりのあなたは、できれば、実際に『線などどこにも無い』という、言わば短期的な絶望の端を見に行ってみてはいかがでしょうか?もしもそれを知ってしまったら、今までのようには描けなくなるだろうし、別の世界は間違いなく広がるだろうと思います。
短絡的な上手か下手かという話では表せないですが、表層的には下手になると思います。なぜって、前のようには描けないからですね。

新線感! ※造語です。

商業的な絵を御所望の方々は、迂闊に近寄らない方がいいのかもしれません。
それまで描いてた線の感覚を取り戻せるようには、そうそうならないかもしれないです。

線にそれほど意味はなく、ただの形態や様子を表すだけの記号を練習中の方は絶対に近寄らない方が良いと思います。

記号的な絵をご所望の皆様には、クイズで正解を出しつつ迷路を突破するような、必ずゴールがあるゲームを攻略すべく、自分や周りのみんなを信じて愛と勇気で進んでください。

たまに現れる、賢者の動画を観て、コースレバーとか、コノホーホーデとか、呪文を唱えるだけで画力レベルが一気にアップし、転職を重ねて突き進んで欲しい。

そんな彼らの行手を「線」が阻むはずもないし、転生したら「線」だったということもなく、自身の画力レベルを数値化し、ドラクエの呪文を覚える感覚でスキルを会得しては、他人の数値と比べて会って5秒でバトルしながら楽しく進んでほしい。

そしてついに、賢者のデッサン力という神聖なる剣を携え、パース四天王や魔王骨格理解や、大魔王重心などを無事討伐して大海原へ出ていく、、、

ふざけましたが、それはそれで楽しそうですね。
ただし、この上記のお絵かきクエスト的な冒険を初回クリアしたばかりの方々は、できれば絶望の淵には立たない方が良いかと思います。場合によっては死にます、リアルで。

それでも試してみたい、のぞいてみたい、と興味本位でというならば、ある程度の覚悟が必要と思われます。
全く知らないジャンルへ飛び込む覚悟で。
あんなに学んだ様々なスキルや武器、技術は全く役に立たないかもしれない、という気持ちで。

新たに自身の中に芽生えるであろう、新「線」感、を描き出そう、何かを掴み取ろうという猛者(まあ、普通の話なのですが。)は是非、絶望の淵に足を運んでみましょう。

そこには、ブルースリーのセリフさながらの世界が待っております。
Don‘t Think Feel!
線はまさにそういうものなのかと、個人的な感想を抱いております。

線を意識すればするほど線は見えないし、線を意識しないで面や空で描こうとすればするほどなぜか線が浮かび上がってくるという。色即是空!

線=表現 かも。

それでも線にこだわるとなるとそこには別の感覚や意識が介在するということになりそうです。

ここからは私見です。っていうか、最初からずっと私見ですが。

線とはきっと表現なのだと考えます。

人によって線の在り方が違ってくるのはなぜか。
きっと、それは表現だからだと考えられます。

どこに重きを置いているか?によって線の表情が変わってくる。
きっとそういうものだと、希望を込めて思いたい。

決して習熟度の違いや、造詣の深さなどではなく、個々人それぞれの想いから描かれた代物、表現物なのでは無いかと考えています。

と、いうことは、正解なんてあったものじゃ無い。その人のその時のその瞬間の想いで形取られていくものなのだと考えています。

しかし、描かれた線はその人を表すほどの威力を携えて形作られるものだ、とも考えています。だから、絵を描く人は色々な線の在り方を知る必要があるのだと、私は考えていますし、教える場合にも意識をさせようと奮闘しています。

希望的な観測でしかありませんが、線のあり方を意識できるようになった暁には新たな世界が広がっていくことでしょう。

線で始まる新世界生活

さて、線が表出するという不可思議現象を体感するに至った場合、その後の世界はどんなものになるでしょう?

線が線としてでなく、形や空を表すように感じられたなら、その描き手はたくさんの要素を意識していくことになります。

意識するとは言っても、初級者的な、「モノをよく観察する」や「意識的にモノの状況を見る」のような感覚ではなく、ただ万物がそのままに見えてくると思います。
それらは、線が形と白地をただただ分けるだけのものだった時とは違うものの見え方をし始め、それまでの世界は、まるで新世界へとシフトしたかのような感覚に包まれることでしょう。

今まで描けなかったものや意識できなかったものも描けると思われます。

しかし、線を描くことしか知らない場合、非常にあべこべなものを描いてしまう可能性があります。

もちろん、線だけで全てを描こうと覚悟した場合は、色即是空感を伴う可能性は間違い無くありますし、そう言った作品を描いておられる方もたまに見かけます。
ですが、それはかなり特別な状態。一般的な方法では成し得ない状態と思われます。

ですから、一般的なまだ「線」を見、「線」を描くのが当然のような方々は、たくさんの事例を描いていくしか方法がないと考えられます。

結局は、絶望の淵に足を運ぶこととなり、強制的に気づきが訪れ、画力が一気に下がったような感覚に陥るでしょう。まあ、そういうことはその後も何度となくあり得ますし、とても普通なことなので、そこで挫折したならば、しばらくは絵筆を置いて、ブラック企業にでも勤めた方が良いかもしれません。

いろいろな最悪の経験をしたのちに、新線感を体験しに行けば、その時にはきっと、
新世界が待っていることでしょう。
ただし、あくまで表現者のスタートラインに立てるかどうかの話ですので、それほど大袈裟な話でもなかったりします。もちろん、新世界を体験できたとして、売れっ子になれるわけでもありません。そこはご了承願います。

※あくまでも個人の見解です。

それでは今回はこの辺で終わらせるとしましょう。
線の話はもっと違う角度から、たくさん書きたいことがありますので、またそのうちに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?