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note版オンライン絵画講座 閑話

今回のお話はちょっとセンシティブな話だと思いますので、興味のある方だけお読みいただければと思います。

実力とは何か

です。私も実力をつけたいと思っている今日この頃ですが、実力とは一体なんなのでしょう。

私の場合は画力や営業力と相場は決まっていると思います。たくさん描いて、たくさん売り捌いて。。。そう言うことが絶対的に必要な実力かと思います。

ですがここで忘れちゃいけないのは運の存在です。

私は何を隠そう、運をよく信じます。運が良けりゃいいなぁと常々思っていますが、なかなか難しいところでしてね。それでも、人より運がいい方かと思っています。と言うより、自分の感覚で生きるようにしてるので良いことがあれば運がいいなと思うことが多い、と言うだけなんですけど。

そうやって運を呼び込んでいることを続けていますと、不思議と仕事が来たりするものなんですね。その仕事たちは大概自分の能力よりも少し上の難しい仕事なので、頑張ります。そして運以外の実力もついていくのだと思っています。

これらはあくまでも主観的なものですね。感じ方次第というか。ですから、「そんなの自分にゃ関係ねぇ」と思う方もおられることでしょう。ちゃんちゃらおかしいぜ!と。非科学的だ、とかね。

まあまあ、人間ですから、非科学的なことを信じても良いんじゃないかなぁと思いますけどね。ロボットにはなりたくないので。非科学的だとか言ってただただ自分が知らないだけの解明されているであろう科学的な要因を感覚とか雰囲気とか言って絵画に盛り込むのは愉しいのでしばらくはやっていたいものですね。

よく機械的な物言いをする方はいますけど、どういう了見なのか理解し難いと思っています。せっかく人間なんですから鳥と話もしたいし、虫と会話をしたいし、木の葉で風を吹かせたいと思いますけど、科学的じゃないとかいう人、居られるでしょう。なんなんですかね。

まだ熱々のご飯が冷凍庫で凍るシステムは解明されてないんですよ?それなのにね。非科学的だとか。でもそういう人でも神とかいう表現は使ったりしますね。困ったものですね。どちらかといえば私のこの了見の狭さがですけどね。

話が大きくそれました。本線に戻れるか心配ですが、続けます。

実力とはもう一つあります。

大人の事情ですね。この大人の事情というやつ、なかなか芸術分野で多いような気がします。なぜなら、絵の見た目や雰囲気ではその人の実力を正確に測れないからなんでしょうね。

そもそも、大学入試の実技試験なんかも、実力で判断されていると信じたいですが、中身はどうかわかりません。いや、受かった方の人間がそんなこと言っちゃいけませんが。

私の話をすれば、多分変な奴がいると言った感じで滑り込めたと勝手に思っております。入試の課題で時間を描こうとしましたから。その時間経過ごとに教授が見にきてましたから、それで受かったのだと思っています。

とりあえず、大人の事情の例え話としては超綺麗、最高に美麗な絵を描く人がいたとして、実力的にはばっちりだと思うのですが、人間的に最悪、、、という方がいた場合どうなるんでしょう。

その方を紹介する場所がどこなのかで色々なパターンがあると思います。ちゃんと実力がある芸術家として紹介されれば良いですが、もっと下世話な最悪な人柄などにスポットが当たってタレントとして成功していき、実は天才的な芸術家だったと10年後くらいに脚光を浴びる・・・みたいなパターンもよくあることだと思います。その見せ方や演出がまさに大人の事情になることでしょう。

決して全ての事例が悪いことではないと思いますが、紹介や発表に本人の意思とは別のベクトルで演出がかかってしまうようなことが、よくあると思います。

きっとそれも含めて実力なのだと思いますが、そう考えると実力があるっていうのはどういうことか?と思うところもほんの少しあったりします。

もちろん私自身は画力や営業力などのノーマル実力スキルもほとんどないので、こんな話は自分語りする時がまず来ないだろうと思っています。

ああ、でも一つあります。

これはちょっとセンシティブな内容なので固有名詞は一切出しませんが、

大学在学中、私は教員免許取得のため母校に教育実習にいくことになりました。母校で行けるのは高校と中学。私は高校に行きたかったので、打診したところ、

「あなたは我が校の普通科の卒業生で、美術科ではなかったし、専攻も美術をとっていなかったから、教員のことを知らない。知らないと教育実習生として迎えることはできない。他を当たって欲しい」

はてながでまくりましたね。WHY?母校なのに。多摩美から行くんだし、大学からの紹介もあるのでなんとかならないか、と何度もお願いしても、「来てもらっては困る」の一点張りで。仕方がないので中学に行くことにしましたが、よく考えてみたのです。

たとえ母校の売りの一つ、「美術科のある高校」だとしても、たとえ、そこから美術大学に入学した卒業生だったとしても、普通科卒の美大のやつが実習に来てしまったら美術科のなんたるかを生徒に問うことがあるかもしれない。美術科の教員はその異端児のことを把握していないので、そういうヘイトスピーチを実習中にされたら困る、みたいな会議でもあったのだろうかな?と21歳の私は思ったものです。今より大人ですね。

まあこれはわかりやすい大人の事情かと思いますが、そういうことが多岐にわたってあるのが社会ですし、もれなく美術界にもあることだと思います。

例えそうであったとしても、色々な実力を装備して、晴れて実力者になった時、どのようになるかはその人の辿ってきた道によって変わってくるので予想できないんですけど、それはそれは険しい道なのだと想像できます。

険しい道の先にやっかみとか嫉妬とかもっといやらしいアンチからの印象操作やヘイトなど、そういう面倒なこともいろいろあるのでしょう。私、そう思うと全く羨ましくないんですけどね。

まあ、あまりそういうのとは無縁な気もしますので、地道に最低限の実力を身につけるために邁進していきたいと思っております。

実力があれば、生き残るだろうし、成功するだろうから、それを目指していくのは今も昔もそれほど変わりません。

note版オンライン絵画講座ではこれからもどうでも良いかもしれない話を多めにして行きますのでよろしくお願いいたします。

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