わたしが絵画講師になるまで その6

マニュアル式の講座を考案し、作成する過程で、その後の運営方針ができ始めた、というのが前回までのお話。
今回はそのマニュアル課題の成果をどこに定め、生徒をどのように育てていくか、というお話です。

マニュアル課題はどのくらいの成果

そもそも、大人数を教えるためだけに作ったマニュアルが、その後の講座運営持続のための鍵として運用していくにはどのくらいの成果を設定するか、を考える必要があった。

少なくとも、1課題に一つの成果があればいいのだが、それでは今後入ってくるであろう生徒たちへの売り文句にならない。

ここで先に、どのようにして講座に入会するのかといえば、概ね、見学や体験講習を経て新規入会となる。
その見学や体験講習ではその教室でどのようなことが学べるかのプレゼンが必須である。そのほかにも入会検討者には様々な要素を伝える必要があると思うが、講師が直接できることといえば、この講座での成果を真っ先に伝えなければと思うのである。
それを考えると、その未受講の段階でまずは体験用のマニュアルを実施してもらう。そしてそのようなマニュアルを続けていけば、結果的にどのくらいの成果になるか、と予感させる必要があると考えた。

思い切って最初は大見えを切ってみたのだ。
このマニュアルをこなせばおよそ3年で、10年経験した人と同じくらいの成果が出るだろう、と。
これを発した最初のうちはデータがなかったので、ハッタリに近かったが、今現在ではほぼそのくらいの成果が出てるので、凡そ間違いではなかったのだ。

3年で10年分の習得内容と反射的にいったのには一応、理由がある。

今まで多くのアマチュアや日曜画家を見て、その経験年数を確認し続けてきた。そしてわかったことは、10年近く経験してやっと陰影のイロハの「イ」がわかるようになった、という人が圧倒的に多かったからだ。基礎的なものの習得にはそれなりの時間がかかるのはわかるが、絵画予備校で1年くらいで習得させられることを趣味の教室では10年以上かかるというのはなんの冗談なのか。

私は非常に残念に思うと同時に、講師の立場になるととても理解させづらい項目だとの認識もあって、その方法をずっと模索し続けてきた。
そんなある日、出会ったのだ。伝統技法の中に、理解しやすく実践しやすいものを。それがグリザイユ画法。まずモノクロで仕上げた後に彩色していくやり方である。
これならば、恐らく10年近くかかる陰影の認識は半分以下に短縮できる。
事前に理解するというよりも、実践した結果で理解する。アプローチの仕方は違うが、初心者や中級者にはわかりやすいやり方だろう、と。この画法と出会った時に構想ができ、ハッタリへと繋がったわけである。

3年頑張れば10年分の学びになるための必要な要素

3年の実施で10年の成果となると、かなりハードな内容のマニュアルが必要だ。しかしハードに見えないような工夫をしなければならない。何せ、それを実施するのは初心者なのだ。

初心者ということは、まだ何もわからない状態の人もいれば、ある程度はわかっているが実践経験が少ないという方もいる。その両者を意識すると、どんなマニュアルが必要になるだろうか。

初心者や中級者が習得するのが難しい部分にしっかりとメスを入れるための課題であり、その内容は実施しやすく、結果的にはっきり成果がわかりやすい。それはグリザイユ画法なのだろうと確信した。

例えば、私のマニュアルではこのグリザイユ画法を課題に盛り込むようにしている。なぜなら、鉛筆デッサンにおける陰影の認識や描き込みを初期段階で身につける方法として、絶妙に良案だからだ。

『陰影だけ』を意識して描く方法がグリザイユである。
デッサンに似て非なる行程だ。
鉛筆などで行うデッサンは陰影の観察もさることながら、もう少し深いところまで詮索するような行為だ。
しかし、グリザイユは描画法といって作品を描くにあたって施されるもので、その内容は、陰影を認識し画面に映しとることなのだ。
この画法ならば、否応なく一度陰影に縛り付けることができる。
マニュアルの中にその工程があれば意識せざるを得ない。
それこそがこちらの狙いであり、10年を3年に短縮しうる唯一の方法だと考えた。

初心者に大事な『陰影』

市民ギャラリーなどでよくアマチュアの画家たちが展示をしているが、多くの初心者や中級者は陰影の認識が甘く、その重要性もほとんど理解できていない。
しかし、絵画において、陰影を意識できないということは輪郭以上に大事な立体感を取り逃すことなのだ。もっといえば、作品全体の一体感にも関わってくる。

それは長年講師をしてきて痛感してきた事実だ。教えるのがとても難しい部分で習得が滞ればわかりやすく完成度が落ちていってしまう。そして、受講者は自身の作品の完成度が上がりにくくなるため描き続けることに嫌気がさし、結果、辞めていってしまう。

ではその陰影の習得を充実させれば良いのでは、と安易に考えたいところだが、事はそう容易では無い。何度も意識して観察し、描く。それくらいの事しか方法を示せないことなのだ。
しかし経験上、初心者や中級者にはそのような単調な訓練じみた行為はできないことの方が多い。
この観点での話は以前にも、書いた気がする。その1、や2で話した内容とほぼ同じである。

だからどうにかその部分を簡潔に説明し、実践してもらう必要があるのだ。
もしも、初心者の段階で意識できなければ、その後の制作人生はほとんど無駄になる。雰囲気がいくら良くても、完成度は一般的に評価できるものにはならない。

私ももちろんそうだが、それ以外の絵画講師、評議員、審査員その他の生徒を監督する立場の画家や先生たちは陰影を必ず意識する、描写することを否応なく経験している。どちらかといえば避けては通れない事をよく知っている。
それに伴って認識の可否の差が作品にどのような影響をきたすかを熟知している。そして、何よりも作品の思想的な部分にどう関わっているかもよくわかっている。

講師という立場の人間は陰影という基礎的な知識を無しにして考えるのはほぼ不可能だ。だからこそ、初心者には何がなんでも習得してもらいたい認識なのだ。

初心者が一般的な評価を求めなかったとしても、どうにかしてそれだけでも押さえてもらいたい。
経験上、今までの生徒のことを考えても、始めた頃は無欲に「ただ絵を描くことが楽しい」と言っていたとしても、上達をしていく中で、「もっと他人にみてもらいたい」だとか、「評価をしてほしい」と言って公募展などに出す可能性はかなり大きいのだ。

陰影習得における救世主

グリザイユ画法を実践してもらうと、意識することを強引に理解させることが出来る事に気がついた。正攻法のやり方ではないかもしれない。だが、正攻法自体が難易度がかなり高く、実践させることも難しければ、なんのための講師なのか、ということにもなる。

やり方の是非ではないのだ。目的は理解させるということ、最優先だ。

なぜなら必ず必要だからだ。そうしてグリザイユ画法は初期段階で必ず実施する課題となっていった。

今現在の私の生徒を見ると、10年未満の在籍年数でグリザイユをするか、そうはせず、その都度陰影を意識して描くかを選べるようになってきている。

これは本当に素晴らしいことだ。技術レベルで言えば予備校生以上かもしれない。その上で自分の意思と直結して技術を行使できるようになっている。

この現状を考えるに、グリザイユ画法が少しでも理解できた場合
鉛筆デッサンなどで必要になるような深度のある陰影認識をしなかったとしても、ある程度は描けるようになることが実証された。

そして、三年間マニュアルを実施し続けた結果、色々な画法や技法、視点を持って作品を描けるようになったとき、新たにもっと違った視点、陰影の知識や認識を改めて身につける。そうやって書き続けていけば、短期間で10年選手クラスへとなれる可能性も出てくる。これは十余年この方法を続けて実際に肌で感じた大事な成果である。

長くなってきたので今回はここまでとします。
次回も同じようなテーマで続きます。
お読みいただきありがとうございました。

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