帰国しました。
日本に帰国しました。
休学の手続きをし、またジュネーブに戻るかもしれませんが、ひとまず、拠点を日本に戻すことになりました。
無理しすぎてしまった、頑張り方を間違えてしまったなぁ、という感じです。
長くなっちゃいそうですが、ここは色々書いて記録する場所だと思っているので、自分のために記しておこうと思います。
異変はずっとあったけど、誤魔化しながら過ごしていた。
去年の春、イースターでカラフルになる街中も、空も、全てグレーに見えて、色が見えなくなりました。
その前から、どこにいても涙がでるし、自分の事を話そうとすると涙がるし、実は極端な選択を何度も想像しました。
それでも、何とか試験を終えて、成績を評価してもらえて賞を受賞したり、夏の講習会では演奏会の出演者に選ばれたり、今までの苦しさから救われたような、そんな時間を過ごしました。
夏の一時帰国でパワーをチャージしたつもりだったのですが、夏の終わりに出張があり、実は、出張先に向かうために乗った飛行機が離陸する時、上手く呼吸が出来なくなる、ということがありました。
たった1泊2日のなんでもない出張なのに。スイスに戻るわけじゃないのに。
これは結構まずいかもしれない…と感じていました。
みんな誰かに助けてもらって過ごしてきたはず。
9月、「あと少し頑張れば全て終わる」と言い聞かせ、スイスへ戻った私。
この時は少しポジティブな気持ちも持ちつつ、飛行機に乗ることが出来ました。
そして最後の一年が始まり、課題の大変さと共に、日本人コミュニティの難しさが始まりました。
新しく入学した日本人に対して、誰もが冷たい言葉や対応をし続けました。
表向きはそれほどでもありませんでしたが、
「私は一人で乗り越えてきたから君も一人でやるべき」
というスタンスで、相手がいないときに意地悪な言葉ばかりを言いました。
正直、私は、自分がいくら相手を助けたって相手は苦労するし、わかることは教えてあげられるけど、そのかわり、私がわからないことは教えられないし、ただそれだけのことだと思うんです。
私も色々な人に数えきれないほど沢山助けてもらった。でも、自分でも解決して乗り越えたこともあった。
それはみんな同じです。
でも、みんなの考えは違いました。
そこから、どんどん、私は日本人達にパワーを吸われていきました。
きっと日本にいたら、上手く距離を取っていたと思います。
みんなの事は嫌いじゃない。悪口も言いたくない。
でも、共感できないことが沢山ありました。
共感できないからって、蔑ろにもしたくない。
でも、年長者である私に対する失礼な言動も沢山あったし、誰かに対する強気な言動を聞くのも見るのも、どんどんうんざりしていきました。
フランス語がなかなかうまくいかなかったのも、同じ学校の日本人に散々攻撃されたからです。
フランス語を武器に、随分と見下され、意地悪なことをいわれました。
私からしたら、大した技術も、知識も、経験もないのに、私に随分と偉そうな言動をする後輩もいました。
仕事の後輩だったら指導していたかもしれないけれど、そういう関係ではないから、随分と受け流しました。
正直なところ、相手にしていなかったのもあります。
でも、気付かぬうちに、私は小さな傷を沢山作っていました。
みんなが仲良く平和にいるなんて、ある意味、幻想。
そんなことは十分すぎる程わかっている年齢です。
でも、留学という特殊な状況で、同じ国の人間で、とても狭いコミュニティーで、私はなるべく良い雰囲気の中で過ごしたかった。
ただ、それだけ。
空気を読まないってどうやるの?
謙虚さを忘れた発言をすると、私は経験が豊かすぎたな、と感じています。
様々な現場で、様々な立場の人と仕事をし、関係を作り、長くフリーランスで生きてきました。
空気を読んでなんぼの世界でずっとしごかれてきたから、自分勝手に、空気を読まずに、自分のやりたい事をやる方法はずいぶん前にどこかに捨てて気たし、思い出すことができませんでした。
このままだと、潰れて戻らなくなっちゃうかも。
今となってはどうでもいいような小さなことでもどんどん傷つき、パワーは減る一方、自分のやるべき課題が大変なのも変わりません。
そして、日に日に、私は自分の中にある様々な「感覚」の変化を感じる様になります。
思考力がいつもと違い、理解するのに時間がかかるようになりました。
論文のために本を読むことも多かったのですが、読解力がいつもと違う。
出来るはずのことが出来なくなったり、言われて気づくことが多くなった。
いつも寂しい。でも、人とはいたくない。
夜、寝られない。
頭の中が、脳みそがどんどんおかしくなっていく感覚もありました。
上手く言えないんだけど、とにかく頭がどんどんおかしくなっていく感じがしたんです。
あと三か月で終わる、あと二か月で終わる、そんな事はなんの励ましにもならない程、心のリミッターはとっくにぶっ壊れていたし、どんどん変わっていく自分に、
「もう私の頭は戻らないかも」
「卒業できたとしても何もできなくなっちゃうかも」
「このままだと確実に私は潰れる」
と、恐怖へと変わっていきました。
何も考えずチケットを買った。
先輩と電話をして今の自分の状況を話し、「もう帰っておいで」と言われたのがきっかけで、恩師にメールを送って相談しました。
恩師にも「骨折した選手は試合には出れないよ。まずは休みなさい。」と言われ、夫に「帰国してもいいですか?」と連絡しました。
途中で辞めることはしたくなかったんです。
少なくとも、夫を日本に残して留学していたし、援助もしてもらっていたし、なんとしてもやり切ることが、私がやるべき責任だと思っていました。でも、もうどうすることもできない状態だった。
夫に「帰っておいで」という言葉をもらって、数日後の片道チケットをすぐに買いました。
学科長には2週間日本に戻り、最後の数週間授業を受けて試験を受けるか、次年度の後期から復学するか、の2つの案を提示されていました。
でも、とりあえず片道チケットで帰国し、日本で、この先の事を考えようと思いました。
私はどんな気持ちで羽田のゲートをくぐるんだろう。
イスタンブール空港のトランジットで帰国しました。
わざとトランジット時間の長い便を選びました。
なぜなら、イスタンブールでどうしてもバクラバを食べたかったんです。
受験の帰り道、イスタンブール空港で食べたバクラバが忘れられなくて、どうしても同じものを食べてから帰国したいと思いました。
あの時のバクラバを食べたら、気持ちの変化とか、あの時のエナジーを思い出せるかな、とか思ったんです。安易だけどね。
結局、あの時と同じバクラバは食べなかったんだけど、食事をしながら一つバクラバを食べました。
飛行機を降りて入国ゲートまでの長い通路をひたすら歩きました。
卒業して、笑顔で歩くはずだった羽田空港を、何も成し遂げられていない私が歩いている事、本当は頑張りたかったけど、頑張り切れなかった私が歩いている事、とにかく気持ちよくない、でも、何も考えられない、複雑な気持ちを紛らわすかのように、ひたすら歩き、入国ゲートをくぐりました。
夫が車で迎えに来てくれていました。
駐車場に着いたとき、ずっと我慢していた涙があふれ、大泣きしながら、「帰ってきてごめん」と謝りました。
本当は、ちゃんと責任を果たして帰国するはずだったのに、本当に申し訳ないと思いました。
今、帰国して一か月経ちました。
自宅につき、久しぶりに安心して眠りました。
数時間で目が覚めてしまうのは、まだ続いていますが…。
帰国はごく一部の人にしか伝えていなくて、あまり人と連絡を取ることもしませんでした。何よりも、自分の心がもう少し回復しなければ、人には会えない、会いたくない、と思っていました。
ただ、報告しなければならない人が沢山いたので、やっと、SNSに帰国の報告を書けた、という感じです。
ここには、このように詳細を書いていますが、FBにはあまり深い事情は書いていません。だから、文章を作るのにものすごい時間がかかりました。
少しづつ、今までの時間を自分で認められるようになってきた。
子供の頃の時間を埋める様に大学では沢山勉強し、それでも足りなくて、仕事しながらも勉強し続け、ジュネーブでは本当に濃い学びの時間を過ごし、私の学んでいる教育を作った教育家(の財団)から賞をいただき、人生のご褒美を貰いました。
でも、ジュネーブでは、なかなか自分らしく学びに取り掛かれなかったりして、ここに記したように、かなり苦しい時間を過ごしました。
自分は結局何者にもなれなかったし、もう、同じ仕事はできないのではないだろうか、卒業していなければ価値のない私は、どこの現場にも呼ばれることはなく、結局この数年間は無駄だったんではないだろうか、など、色々な事を考えました。
でも少しづつ、卒業しても、しなくても、今までの時間はちゃんと自分のためになっていると、思える様になってきました。
この3年間で身についた技術は沢山あるし、今後の仕事に活かせるヒントも得ました。
音楽的感覚や芸術的感覚、美的センス、世界観など、元々私が持っていた感覚を更新することが出来たし、私の強みを改めて確認することができました。
私が努力した時間、体験した苦しみや悲しみ、喜び、素敵な出会い、見た景色、感じた温度や香り、聴いてきた音や音楽、私が肌で感じた全ては、技術の学びと同じくらい、私の中に刻まれました。
いのち削って勉強したなぁ~と感じています。
(もちろん、これからも勉強は一生し続けますが…)
素晴らしい先生達と出会えたことも、私の財産です。
復学するかはまだ決めていませんが、これから、無くしかけていた自分を取り戻して、私らしく、この先の道を決めようと思っています。
しばらく留学日記はお休みになるかもしれませんし、最終回かもしれません。でも、また何か新しい事を始めることができたら、記したいなぁと思っています。
せっかく始めたnoteだから。
見守ってくれていた方々、ありがとうございました。
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