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#休職

『鬱』な花嫁

深夜2時。川の音がゴーゴーと響き渡る真っ暗で開けた車道。 アクセルを一気に全開にして、このままブレーキを踏まなければ、 もしかしたら少しは楽になれるのかもしれない、そう思った。 *** 2019年の春。私は東京の外資系コンサル企業に勤めていた。 入社をして5年。振り返れば辛いこともあったけれど、それ以上に仕事にやりがいを感じている時期でもあった。 常により上へ、より高いところへ、一息もつくことなく走り続けている感じ。走り続けることは大変だけれど、日々自分が成長できている

自立支援医療制度の手続きへ行ってきました

今日、自立支援医療制度の手続きをしに役所へ行ってきました。 手続きは予想以上に簡単で、ものの10分程で終了。 「きっと面倒な手続きなのだろうな」と、重い腰をあげて、やっとの思いで役所へ行ったのですが、面倒なことは何一つなく、一瞬で終わりました。 「そもそも自立支援医療制度とは?」 「面倒で私もまだ手続きができていないのよ…」 という方がいらっしゃったとしたら、少しでもそのような方の参考になれば嬉しいなと思っています。 ※私の場合は、精神通院医療の自立支援医療制度です。

19歳の私へ―10年後の私が今思うこと

10年前、19歳だった私は、海外へ自分探しの旅へ行くことにした。 バイトをして1年で100万円ちょっと貯め、親を説得し、大学を休学した。 今振り返ると、それはそれは大きな決断。 この決断は人生で唯一「自分の意志だけ」で遂行したものかもしれない。 中学受験も家族や周りが勧めてくれた学校を結局は選んだ。 部活も仲の良い友人が入るということだったので一緒に入った。 大学も推薦で運良く入学ができた。 就職も父の勧めてくれた会社へ入った。 結婚も夫がプロポーズをしてくれた。 なんと

適応障害を治すためにやっている5つのこと

適応障害と診断を受けてから約半年となりました。 私の今の状態はというと、先生いわく、「今は回復期と呼ばれる段階で、来月頃には気分の波の幅がだいぶ小さくなっているか、もしくは、気にならなくなっているはず」とのこと。 倦怠感が強くて心も辛くて「もう治らないんじゃないか」と考えてしまう時も正直まだあるのですが、診断されてから数か月間の私と比べたら確実に回復傾向にあります。 年明けからはどんなかたちであれ少しずつでも社会復帰ができれば良いのかなと思えています。やっと社会復帰のことま

先生、元気になるにはカップラーメンを毎日食べればいいんですかね?

2週間ぶりの通院の日だった。 私は2週間に一度、近所の心療内科へ通っている。 その日、お医者さんに言われたこと、 Etoileさんは、我儘になることが必要です。「我儘になるぞ!」と決心をしても、Etoileさんはド我儘にはなれないと思うから、我儘になることが目標ですね。 結婚したでしょ?これから、出産や育児のフェーズになったとしたら、もっと大変になって、鬱になってしまうよ。 もっと自分に正直に、やりたいように、こうでなければならないという考えは捨てましょうね。 この日か

適応障害の人の取り扱い説明書

まずはじめに私は今年の春に『適応障害』と診断を受けました。 発症当時については下記の記事をご覧ください。 適応障害になって、少し時間も経ち、やっと自分のこの障害を客観視できるようになりました。そして、同じように適応障害に苦しむ方と出会い、情報共有の場を持ち、励まし合い、助け合い、病気になった人にしかわからないであろう辛さを分かち合う経験もしました。 本人は辛いです。 でも、ふと思ったこと。 それは、適応障害となった当人の周りにいる、家族や親しい人も辛いのだということ。