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目を背けている過去の追及

一体自分が行なっている写真撮影という行動の正体が何なのかと聞かれた時、「Hokkaido」は自身の過去との紐付けであり、「山岳独行」は登山という現在の感情を表現した写真である。

今のところはそのように結論づけている。

山岳独行は良いとして、Hokkaidoにおける過去への紐付けは、未だかなり弱い部類にある。

目を背けている過去が数多く存在するからだ。

これまでの撮影は、自身の審美眼を信じ、北海道の美しい風景と自身の経験(=過去)を紐付けすることで、かつて目にした光景や体験を間接的に、部分的に反映している。主眼は美の追求であり、そこに私が生きてきた土地としての感情は、大きく反映されていないように思う。

昨年、父方の祖父が急逝し、母方の祖母も一時容態が悪化、無事退院した後も自宅で転倒して骨折した。余りにも心配で、帰宅時に私も帰省してほぼ1週間泊まり込んだ。

祖父の死による親戚との再会、疎遠にしていた父との復縁もあり、私の家庭環境は歪な修復を果たした。

2022年はそういうことのあった年だった。

これまで起きたことがなかったことにはならず、元通りになることはないし、私の幼少期のトラウマは今でも簡単に思い出せるレベルのものだ。

割れてしまった陶器を金継ぎで美しく再構成するようなことしかできないのだろう。

父や母に足りていないものは、その辺りのデリカシーとも言える。何とかならないものだろうか。

今年に入り、唐突に幾つか写真で賞をいただき、これまで考えもしなかった先のことを急に考えるようになった。
自身の写真構成を改めて目にし、これまで敢えて読んでこなかった伝説的な写真集を目にし、再考する。

目を逸らした過去に対して、そろそろ向き合う時なのだろう。

率直にそう思った。

今年初頭の時点で、同様の思いを感じており、大学時代を過ごした小樽で幾つか撮影してきた。大学生活はほぼ孤独に過ごし、トラウマから人を避け、学費を稼ぐためにほぼ年中働いていた。大学でできた友人はいないし、何の感情も感慨もなかった。

思い出がほとんどない撮影は、あっさりと終わった。

今年はそれ以前のトラウマ期と向き合い始めたいと思う。とはいえ、直接的に触れるのではよろしくないとも考える。

他者には負の感情しか伝わらないだろうからだ。
あくまでこれまでの経験をベースにした美しい写真の中に含めて撮るべきだろうと考えている。

この先もHokkiadoの撮影は続いていく。
写真の構成も段々と変化することになる。そこは確信してしまっている。美しい写真の中に自分の感情を僅かに添えていく。
そういう取り組みになるのではないだろうか。まだ確かな答えは出ていない。

追伸
この記事のトップに添付した写真は私が幼い頃に亡くなった祖母の手によるもの。
祖父が亡くなり、葬儀当日に祖父の思い出の品を片付けた叔母ですら、この人形は捨てなかった。
聞けば、父や叔母が中学生の頃にはそこにあったそうだ。私が物心つく前から当然のようにそこにあったものだ。
だから、もし今後写真集を再構成して作るとしたら、この人形の写真が当然最初に来ることになると思う。

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