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小島一郎の写真 雪国生まれの共通感性

北海道は札幌に生まれ、冬は荒天の多い石狩で育った私は、故郷から遠く離れた今でも風吹き荒ぶ風雪や、夜にはしんと静まり返り、オレンジ色の街灯が辺りを優しく照らす夜を容易に思い返すことができる。

それほどに雪国の冬とは印象的なものだ。

小島一郎という青森出身の写真家を知ったのは、恥ずかしながらここ数年のことで、いつも展示でお世話になっている押上のアウラ舎さんの本棚に備えつけてある復刻版の津軽 詩・文・写真集を目にしたことがきっかけだった。

白状すると、その写真集を目にした当時の私は、それら写真群に強い印象を抱かなかった。当時の私は全く異なる観点で故郷に対しアプローチをかけていたからだ。

滑らかな雪が描くラインだとか、積雪により被写体から様々なものが消去されて行き、その後に残った必要最小限に見出すことができる侘び寂びに代表される日本の美に惹かれていた私は、その写真集の中に見出せるであろう荒々しい津軽の冬を愚かにも軽視したのだ。

侘び寂びの美への傾倒は刹那的なもので、次第に自分の根源というか、核心に近い過去の記憶を辿った先にある光景に傾倒するようになった。さきに述べたような、地吹雪だとか、昼なのに暗い日々だとか、明るく感じる雪夜だとか、そんな荒々しい雪景色を今では好んで撮影している。

私の作例 Notsuke (boat)

そんな折、青森出身の柴田祥さんの写真展「春待ち」があり、さらには写真家のシン・ノグチさんからブレッソンの写真集を紹介いただき、会話の途上で小島一郎にいきあたり、オリジナル版の写真集・津軽への興味が否応に増した私は、気がつけばほぼ数日のうちにその写真集を手にしていた。

津軽 詩・文・写真集のカバー

黒黒としたグラビア印刷に依る漆黒の空の雰囲気、昭和30年代の青森の郷土と現代日本社会との乖離…。他方で、私が撮影する写真との間にあるはっきりとした類似性。時を超え、小島一郎という存在を意識せずともそこに行き着く、ある種雪国生まれ共通の感性。文字通りの確かな共感がその写真集には存在した。
遅まきながら、小島の足跡を追いたいと思った瞬間だった。

「津軽」より 津軽地方北西部 漆黒の空の雰囲気
私の作例 “Atsuma beach“

偶然か、それとも生誕100年を迎える節目である今年のトレンドとして扱われているのか、塩竈フォトフェスティバルのメインプログラムとして小島一郎展が開催され、令和6年7月現在は、青森県立美術館で凡そ15年ぶりの小島一郎コレクション展が開催されている。
あまつさえ、8月には写真集すら販売されるという。
小島祭りと言って過言ではないほど、今まさに推されている往年の写真家の一人だろう。
幸運な私は、この写真集のコレクターズエディションを購入することができたので、8月にはオリジナルネガから作成された代表的な小島のモダンプリントすら手にすることができる。
今年の始めから小島一郎を追ってきたからこそ入手できたとも言える状況だ。


「津軽」より 津軽木造 
後に発行された小島一郎写真集成の表紙にも採用されている
このプリントが手に入る予定


塩竈に続き、先日8時間ほどかけて青森に赴き、小島の写真を拝見してきた。その訪問でどのような価値を見出すことができたのか、語っていこうと思う。

日々、津々浦々を巡り風景を撮る私が思う現代日本国への感想は「どこまで行っても同じ世界」である。
均一化された社会と人、特別な機会に特別な場所に赴かなければ、どこまで行っても同じ世界が続く。資本主義・平等がもたらす結果である世界とはどのようなものか、現代に生きる我々は目の当たりにしているのだと思う。

そんな現代で、私は、私の過去の記憶と照らし合わせては故郷を懐かしむため、或いは、未だ知らない世界を目にするために、均一化されていく世界の郷土特性という残滓を血眼になって探し回り、或いは諦めたりしているのだと思う。

小島の写真を通じて目にした昭和30年代の津軽は、現代に継承されているものを含め、郷土特性を強く感じるものばかりであった。
寒立馬が引く馬車の、今では失われたと思しき光景があれば、「地蔵講」や「お山参詣」など、変容しながら現代まで残るものもあった。

青森の郷土風習に明るくない私が津軽の作例群に惹かれたのは、覆い焼きをした冬の空への共感に依るところが大きいように思う。
雪国の冬とはまさにこのようなイメージで、昼なのにまるで夜のような薄暗さに代表される印象的な風景への記憶が多くを占めるからだ。
私自身、小島に行きあたる前からこの手法を好み、実践してきたところも大きい。

70年という年月。古今を通じ変わらぬ観点が確かにあり、私自身が今その担い手であることを自惚れであったとしても自負したい。
そんな共感を、彼の写真から見出している。

昭和30年代を撮影した青森の写真家で、近年再発見されている人物に工藤正市がいる。彼の写真もまた非常に優れており、同郷かつ同じ青森を撮影している観点で小島と比較するのであれば、工藤ということになるだろう。

工藤正市写真集より

どちらの写真により共感を覚えるか、という話をするのであれば、やはり小島ということになる。
工藤の場合、青森市内の活気あふれる人々の生活を中心としており、声をかけて撮影したであろう被写体がカメラを見つめている写真が中心だ。
小島の場合、荒涼とした青森の各地方を中心とした、荒れ果てて寒々とした雰囲気のある、人と目が合うことがほとんどない雪国の生活の一部始終を撮影した、孤独が見え隠れする写真が多い。
私はそういった小島と私との間に勝手に見出した共通点に強く惹かれているのだ。

勝手に見出した共通点はこれだけではない。

小島の作例には、一般的なモノクロフィルムで撮影したのち、富士のミニコピーというドキュメント複写用フィルムを用いたハイコントラストを超えて白飛びを起こしている作例群がある。

私自身、ドキュメントフィルムの発展系である高画質・低感度フィルムのADOX CMS20を利用してよく雪景色を撮影しているから、なぜミニコピーで複写したのか大体見当がつく。
覆い焼きの手間を省き、複数枚同一作例をプリントする際の再現性を向上させたかったのだろうと思う。
その実、ドキュメントフィルムは写真としての再現性は乏しいものであっただろうから、あのような結果になったのだと思う。あれらは失敗から生まれた副産物ではないだろうか。

小島一郎写真集成より

小島の写真と活動歴を目の当たりにし、それらを一言でまとめるとするなら、「栄光と挫折」が適当に思う。

青森各地を記録した写真の成功と、それ以降の更なる成功を目的とし、自身の裡にあるものに根ざさない東京や北海道での撮影を試み、失敗した。その後悔は亡くなる1ヶ月前の手紙にも残されていて、青森ではその手紙の実物も見ることができた。

やらぬ後悔よりやる後悔。
より良いのは、短絡的な行動をせずに深く考えた行動の結果で後悔したいものだ。

かつての素晴らしい写真家の後悔を教訓に、今後も写真を撮影していきたい。

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