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私にとっての写真、その断片。

自分はどの様な人物だろうか。

そんなことは私自身が一番理解しているし、なんのために、どのような目的で写真を撮影しているのかも明白で、目の前にある結果のみが真実だ。

そんなふうに根拠もなく確信していたものですが、実際は、そんなことはないようです。

自分自身の真実や真相に最も近しいものは、無意識だと考えています。無意識を知覚することで、これまでの行動を強固に意味付けられるのではないでしょうか。

無意識は、経験の積み上げから形成されます。それは習慣とも言い変えられるものでしょう。
意識して行える習慣もあれば、そうでないものもあります。
撮影を行うという一連の行動にも、無意識が多分に潜んでいるように思うのです。

昨年の今頃、神奈川県立近代美術館葉山館で行われたアレック・ソス展で、映画SOMEWHERE TO DISAPPEARを見物しました。

彼の撮影スタイルを見ると、意味付けは後で、とにかく思い至ったものに対する行動が先にあるように思えました。
そして最後に自分の心と向き合い、作品として完成させていく。このようなアプローチは目から鱗で、こんな方法もあるのだな、と感嘆しました。私の知らない写真との向き合い方が、そこにあったのです。

私は、他者の作品や人物像には強い興味はありません。むしろ人が嫌いなタイプです。
そんな私ですら、彼の独特に思える写真への向き合い方と情熱に強い好意を覚えました。

そんな姿勢に刺激を受けて、私もこれまでの行動の結果手に入れてきた写真たちがどのような意味を持つのか、考えてみたくなったのです。

私は現代的な視座から写真に取り組みたいと考えているわけではありません。
とはいえ、自身の取った行動と、その結果として顕れる写真へ込めるべきであろう思いは、必ずしもそうあるべきとは限らないのかもしれませんが、可能な限り、私自身が正しいと思う形で示していきたいと考えています。
それこそが私自身を写真で表現するということだろうと、そう考えています。

散らばった思考をある程度纏め、これまでの行動の結果と過去の経験とを紐づけ、私自身を再考しようとおもいます。
全てを明かすつもりはありませんが、現在の写真観や考え方の一端をお示ししたいと思います。

何かが欠け、満ち足りていないと感じる気持ちになることは、ありますか。

この世を生きるほとんどの人々が大なり小なり行きあたる事がある実感のように思います。
私はずっとそんな気持ちを抱えて生活してきました。

私は家族が欲しかったのです。

両親の離婚後、母についていき、その後置き去りにされた体験から感じた孤独。
孤独を乗り越え、自らの家族を持とうとした先にもまた、挫折がありました。

世間一般の大人から見た私は人生に失敗した男でした。それは単なる事実です。

他責思考に陥るつもりはありませんが、いろいろと学ぶべき中学生や高校生の頃に、周りに導いてくれる大人が不在で、父も母も、私や兄弟から目を逸らし、自分の人生を生きようとしたのです。

失敗した時、挫折した時、もしくはそのような事態に陥る前にそれとなく導いてくれる指導者が必要でした。

もちろん、指導者がいなくとも人生はやっていけます。事実、私の人生は指導者不在のトライアンドエラーで成立してきました。

しかし、それは独学でピアノを弾こうとするようなもので、実際に指導を受けた者と比較すると不恰好な演奏になるように、見る人が見ればすぐにわかる歪な生き方です。実際、取り返しのつかない失敗をたくさん経験しました。人としてのバランスの悪さ、歪さがふとした時に発覚して、うまく関係が続かず、挫折と閉塞感を味わってきた人生でした。決して取り戻すことのできない、周回遅れの実感。片手で数えられる成功体験の際どいバランスの人生。手に入れられないものに憧れても仕方がないという諦観が、いつも私の根底にあるのです。

こんなネガティブな話と写真の何が繋がるのか、ここまで読んでくださった方は疑問に思うかも知れません。ほとんどの方はここに至るまでに読むのをやめてしまっているのかもしれません。

ですが、これこそが私が歩んだ半生で、経験だったのです。

私は何も持ち得ないかもしれません。
だからでしょうか、内外を深く観察し、出来うる限り心象と一致させ、私にも可能な方法で手に入れようと試みたのでした。
その方法がたまたま写真だったのです。
というよりも、写真以外の方法がなかったと言った方が正しいのかもしれません。

良かった頃を思い出したい。
美しいものを手に入れたい。
写真を通して、私の外側にある何かから、私に足りないものを補って、蒐集して眺めたい。

私がやっている写真は、そんな性質を持ったものが含まれます。
逆に、私の内面、いわば心象風景と外界の風景との奇妙な一致も撮影しています。

最もわかりやすい作例を紹介します。


幸せな日々を過ごしていた子供の頃、新興住宅地にかつて存在した自宅近くの公園に、丸太で組まれた立派な小屋がありました。子供たちは、その屋根の上に登って遊んでいたのです。
ある秋の日、いつものように屋根の上に登ると、空き地だらけの新興住宅地に生えたススキが強い風を受け、まるで黄金の波のように美しいく揺れる姿を目にしました。あれから悠に20数年経ちますけれども、いまだにあの日あの時みた黄金の波が脳裏に焼きついているのです。

かつてあった自宅は他人の住まう家になり、ススキがびっしりと自生していた空き地は民家で埋め尽くされ、公園にあった丸太小屋は解体されました。

私が当時目にしたものはこの世にはもう存在しません。

それでも、私はあの日の光景を忘れず、心象風景と一致する場所を見つけ、写真として入手することができたのです。

この作例を撮影した頃から、私の中にあった無意識を知覚し始めたように思います。

私にとっての写真とは、私の人生のどこか延長線上にあるものです。それを他者の追随を許さないような情熱、或いは半ば狂ったような執念で以って、やっているのです。
かつて得られなかったものを補うように、写真を撮っているのです。

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