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祖父のこと


祖父は、令和4年11月8日の未明に急性循環器疾患(推定)で逝去した。
朝方亡くなったと思われるのだが、出社時に父は気が付かず、帰宅時に発見することとなった。ストーブも付いておらず、起きている気配もないことを不自然に思いベッドを覗いたところ、眠るように息を引き取っていたようだ。
私に連絡があった時点で当日の22時を過ぎており、電話が来るまでの間に父に起こった出来事に思いを巡らせ、慌しい時間を過ごしただろうことに、なんとなく察しがついた。

祖父の死は、悲しみよりも驚きが勝った。近年の祖父は特に大病をすることもなく、健康的に過ごしていたと思い込んでいたからだ。
その影では、心臓のバイパス手術をしていたようだった。残念ながら、私や、私の弟妹にはその事実は知らされておらず、お見舞いに向かうことも出来なかった。亡くなる直前は体調を崩しており、心配した叔母が隔日で様子を見に来ていたと聞いている。

いずれにせよ、祖父の急逝は、父にも叔母にも、私にとっても、親族の全員誰もが予想していなかった出来事だった。いつかはやってくる離別を覚悟はしていたが、こんなに早く、そして突然に訪れるとは、誰が思ったことだろうか。
祖父は、老猫ミック(元々私たち家族が飼っていた猫だ)を看取るつもりだったし、ワクチン接種の予約も自ら取っていて、この先も自分の人生が続いていくことを確信していた。
最近はコロナに怯え、外出する機会も減り、尚更体が弱っていたように思う。
昨今の情勢が無ければ違ったのではないかと思うことはたくさんある。悔やんでも悔やみきれない思いだけが今も宙に浮いているような気持ちだ。

私は、9月の帰省時に札幌に立ち寄っており、父が帰宅していなかったことを理由に祖父宅を訪問しなかったのだが、この選択を後悔することになってしまった。
後悔は本当に先に立たない。日頃の積み重ねが後悔の濃度を薄くしてくれることを、今回の件で実感している。

祖父の最近の写真が一枚もなく、遺影が30年前のものとなってしまったことは大きな後悔の一つだ。
祖母の病気をきっかけに、家族の写真を残していきたいと考え始めていた矢先の出来事で、結果的に遅きに失してしまうことになった。
通夜が終わった後に、祖父が眠る場所で写真を一枚撮らせてもらった。眠っているようにしか見えない顔を毎日見返すことができるのはせめてもの慰めかも知れない。
死に顔を撮るなんて、と思われるかも知れないが、この行動の結果に救われている自分がいる。だから、決して間違いではないと信じている。

なんとなく察しがつくかも知れないが、私の家族には写真を撮って残す文化がない。家族の離散が主な理由だ。それ以前の写真はたくさんあり、それ以降の写真はひとつもない。私自身、離散から社会に出るまでの間はかなり苦労したし、正直なところ、思い出したくない過去と言っても過言ではない。その出来事をきっかけに父とも疎遠になった。疎遠が尾を引いて、祖父の体調不良の報をもらえない要因になったとも言える。
だからこそ、今回の出来事をきっかけに過去を振り返り、現状を見直そうと思っている。父と、私や弟妹との関係もその一つだし、残せるものは写真として残していきたい。失われたものは決して戻ってこないから、今、手元にあるものを一つ一つ大事に慈しんで扱っていかなければならない。
早速、私は妹と協力して父との関係改善を始めた。早くも旅行に行こうという話が出ている。父も私と話したかかったのだと、良い方向に思うようにしている。

先日行った個展に持ち込んだ写真集の奥付けに「過去を見つめ、現在を見つめる」という表題の文章を掲載した。祖父の急逝は個展の真っ只中であったから、この奥付は私が当初思っていた以上に強い意味を持つようになった。
今後、私が撮る北海道の写真は、祖父の死を通して過去を見つめ直し、変遷して行くことになると思う。どのように変わっていくのか、どのように示していけるだろうか。いつか展示の場でご覧いただきたく思う。

記憶の中で反芻している、父が祖父に告げた別れの言葉をここに記し、私も改めて祖父に別れを告げ、この文章の結びとし、今の気持ちをいつまでも忘れないようにしたいと思う。

今までありがとう。さようなら。


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