そこにあるということ
失われても残り続けるものがある。
当たり前に思えることだが、祖父の死をきっかけに、初めて正しく理解できた様に思う。
昨年亡くなった祖父は多くを語らない、昭和の男のイメージそのものの人物だった。
そんな祖父が遺した多くを目の当たりにして、父でさえ意外な一面に驚き、今更になって祖父の本当の一端に触れた様に思えた。
祖父は物を捨てない人物だったから、どうでもよいと思えるものから、大切なものまで、何でも保管していた。
歌が好きだった祖父と祖母が録音したカセットテープといった重要なものがあれば、祖父の使っていたネクタイが100本以上保管されており、何故このようなものまで保管しているのだろうかと、見つけたことを知らされた時には笑ったものだ。
後日見つかった日記に、父からのプレゼントに喜ぶ祖父の思いがけない姿を認めた。渡した品は、今現在この文を書いている私の記憶にすら残っていないような些細なものだ。
祖父にとって他者から貰う品々は、値打ちのないものですら宝物として扱っていたことがわかる内容が書かれており、思いがけず物を捨てない理由が判明し、笑ったのは間違いだったな、と居た堪れない気持ちになった。
そんな祖父の住まう家だったからか、私が子供の頃から入れ変わったものはテレビくらいなもので、カーペットからテーブルなどといった家具調度類はここ30年程度、つまり、私が生きてきた期間は、ほぼ変化無しで間違い無かった。
祖父宅で数点、写真を撮影した。葬儀のために帰省したため、カメラ機材はほとんど東京に置いてきてしまっていたから、仕方なくスマートフォンでの撮影となったが、これまで見てきた景色はこのあとすぐに破壊されてしまったため、スマホでも撮影しておいて正解だった。
思い出の中の祖父は、居間に置いてあるソファの上にどっかりと座っていて、私はストーブの前のカーペットの上に座って、いつもそこから祖父と話す。
それぞれの定位置と距離感。
そこにいつもの景色があった。
改めてストーブの前に座ると、ソファの上に祖父が座っているような気がして、写真を撮る。
翌日の朝、祖父の代わりにソファに座ってみた。
冬の北海道だというのに、よく晴れて外から入る光が美しく、父と年老いた友人が目に入り、写真を撮る。
変わらない部屋の、祖父の目線から眺める光景。しかしながら、この目線で眺める主役の姿は既にここになく、寂しさが募る。
トイレのドアにはいつも人形が飾られている。
私が子供の頃に亡くなった祖母が作ったもので、父が高校生の頃には既にそこにあったそうだ。
誰も捨てようと言い出さない古いフェルト人形を見つめると、何となく祖母を思い出す。
過去にも訊いたことがあったのかも知れない。訊いていたとしたら、すっかり忘れていたことになるが。
今でも故人がすぐ傍に居る様に感じる理由は、思い出の中のイメージと、目の前の光景がほぼ一致して、今尚そこに存在し続けているからなのだろう。
葬儀が終わり、祖父が帰宅した後、叔母の指示で気が進まない部屋の片付けを行った。
カーペットを取り替え、さまざまなものを捨て、模様替えをした。
長年眺め続けた光景が、葬儀終了の当日に壊されることになったとしたら、あなたならどう思うだろう。
破壊は夜遅くまで続き、疲れ切ったところで解散となった。私は翌日の朝に東京に戻るため、この日は札幌市内のホテルを予約していた。
やっとホテルに辿り着き、ベッドに腰掛け、孤独の中で物思いに耽り、思い出の破壊に手を貸したことにひどく落ち込んだ。
私は、馬鹿みたいに自分の写真を複数枚撮影して、この日の気持ちを忘れないことにした。
2022年末。
普段の帰省では北海道各地を練り歩いて写真を撮影するのが直近5年の恒例であったが、昨年末から定例と化したルーティンから外れることになった。
家族の写真を撮影するためだ。
忘れないためには、思い出すための何かしらのきっかけが必要だ。
何でもいいから物を残しておかないと意味がない。
私にできることといえば、写真を撮って残すことくらいだ。シンプルかつ単純な動機だった。
過去の想いを、現在の想いを、未来に繋げていく。
家族への単なる愛情だけではなく、憎しみや恨みも混じることもあるかも知れない。
家族だけのことではないかも知れない。
私の感情を写す鏡の様に、内面の感情に伴った行動の意味として、写真として記録し、残していきたい。
写真がいつか「そこにあるもの」になるように。
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