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クリスマスクッキーの思い出と遺す事の葛藤

10年そこそこ、クリスマスには縁がない。
そんな私も、子供の頃はクリスマスを待ち望み、家族とお祝いしていたものだった。

年末に帰省した際に、母と一緒に祖母宅に立ち寄り、いつ以来だろうか、新聞に挟まるチラシをみんなで眺めた。

ロイズのチラシが挟まっていた。
ロイズは北海道の菓子メーカー。かつて父が勤めていたこともあり、創業期からたくさんのロイズのお菓子を食べて育った。

クリスマスクッキー、よく買ってたよね。

母が言う。

そういえば、子供の頃のクリスマスといえばロイズのクッキーをいつも食べていたな、と急に思い出す。

物覚えは良い方だと自負している。
それでもすっかり忘れてしまったことはたくさんあるのだろう。
クリスマスクッキーの記憶もそんな内の一つで、そこを皮切りにさまざまな「幸せだった頃」の記憶が蘇ってくる。

祖父の家を離れ、300mくらい先のアパートに住み始めたこと。
アパートの建物の間にある、とても狭い道を通り、裏手の畑を過ぎると小学校がある。
金網が破れてできた、小さな穴をくぐって毎日登校した。
あるクリスマスの日にスーパードンキーコングをプレゼントしてもらったり、母と喧嘩してじいちゃんの家まで泣きながら歩き、ばあちゃんに慰めてもらったあの日。

ふと、と言うレベルでなく、色々と脳裏によぎる。そういう記憶や感情を思い出しながら、そういえばそうだったね、と何事もないように返事をした。

年末の帰省では私と直接的に関係のある場所に赴いて写真を撮るつもりだった。
アパートもそのうちの一つで、ストリートビューで事前確認したところ、周りの光景が幼少期から何一つ変わっていないことを知った。
実家から300mの距離でも、これまで赴くことのなかった場所。

結局、心の整理がつかず、今回は訪問しなかった。

写真に撮ると、私の見知った光景が記録として残り、あの時の記憶や感情も、おそらく、ある程度は残していくことができるのだろう。
一方で、現実の光景として相対することで、私の中の、半ば美化された記憶や感情が崩れる可能性も、間違いなくあるのだろう。
そう言う気持ちの葛藤があって、行きたくなかったのだと思う。


撮るべきか撮らざるべきか。
どちらの方が良いのだろう。
今もまだ悩み続けていることだ。

結論は出ないが、とりあえず、来年のクリスマスはロイズのクリスマスクッキーを購入してこのnoteを更新したいとおもう。
今もあの時と同じ味なのだろうか。
今から次のクリスマスシーズンが楽しみだ。

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