月をアクティブにし過ぎた地の時代
ブログの記事の中でも書いた内容なのですが、こちらでもピックアップしておきます。
2020年までの地の時代と2020年以降の風の時代の違いとして、それは一つのメタファーとしては、「月の時代」と「太陽の時代」という言い方もできます。
これまでの地の時代は、各自が月意識がアクティブになり過ぎていた時代とも言えて、地球という星では月化されたエゴという感情を持った固形物としての人間活動によって、社会活動などが行われていたと言えます。しかし地球では月があるからこそ、さまざまな個体としての個人が存在でき、それが地球人らしさだったとも言えます。
これはある意味、カルマのように感じるような記憶の刷り込み(前世的な記憶)というのは、月のメモリーでもあり、それはどこかの時代の固形物として存在していた人間の記憶を借りてきたものとも言えます(夏至の動画内でも話しています)。実際に肉体は、親のDNAを刷り込まれて生まれていることは理解できるかと思います。
ただし、月はそもそも閉ざされた星であり、小さなエゴであり、過去(前世)に紐付き、今生では幼く、主体性はなく、月そのものでは成長はしなく、排他性の中でいつまでも過去を引きずったまま、その過去の中に守られようとする存在です。それは、閉ざされた小さな自分を生きることにしか過ぎません。
そもそも月だけでは、創造的で発展的な人生を自分の力で送ることはできないのです。だから、月の意識に比重を置いて人生を送ってしまうと、自分は足りていない感や無力感、満たされていない感、欠乏感、不安感、恐れなどに常にまとわりつかれ、それをモノや他人で埋めようとして必死になるしかないのです。
この状態は、地の時代の素晴らしいビジネスの仕組みが成り立ちます。この心理状態の人がいっぱいいればいるだけ、それによってどんな商品販売や依存契約も成り立つのです。そもそも地の時代は、閉じ込められた月(自己)のエネルギー過多の時代です。閉じ込めている側からすれば、ウハウハなのです。
今までの地の時代は、強力な固形物の囲いや壁(土星)を作って、その中に各自(月)を従わせ、または従い、コントロールし(され)、搾取する(される)といった構造です。どんなきれいな文言を並べて会社運営がされたとしても、構造がそうなっている以上、誰しもその仕組み特有の心理状態になっていきます。しかも、各自(月)はそこで守られていると安心するので、ツーカー関係が成り立つのです。ただし、各自(月)は自らの創造の光は閉ざれたまま、常に不安と恐怖の中で、自己防衛的に生きるしかありません。そうなると、枠の外には頑なに出ないようにしてしまいます。そもそも枠の外が恐怖でたまらなくなる。
これまでの時代は、太陽の光の創造性、太陽の光の自己信頼、太陽の光の自尊心、太陽の光の肯定感、そんなものはどこか遠くの彼方に行ってしまっていた時代です。イザナギ(太陽)とイザナミ(月)は、まだ別れたまんまだったということです。日月神示にはナギとナミが再び相抱き合うときがくると語られています。
なのでこれからの風の時代では、各自が月偏重の意識から、太陽意識を主体とする真のスピリットの創造意識に大きく舵を切る必要があります。目覚めとはそういうことです。日月神示で男が上、女が下と言っているのは、何も男尊女卑のことを言っているのではなく、これもメタファーで、精神・太陽(男)が上、物質・月(女)が下、と言っていることで、これはそもそもの働きが違うということです。要は、恒星と衛星の違いとも言えますが、働きが違う。これは風の時代の人間感である霊主体従のことを言っています。各自のアイデンティティとしての捉え方として、人生の運転手が太陽(精神・魂)で、助手席に(肉体としての物質世界・月)ということです。
風の時代では、各自の月(エゴ)は、これまで守られた境界線より外の世界(たとえば本来の永遠性の精神の自己である太陽)と交流できないと、逆に生きるのが難しくなっていく時代と言えます。動画で示した、風の時代の中空の安定基盤というのは、各自を表す月が、木の幹の中腹に存在基盤を移すという意味でもあり、それは今後、各自を表す月が、月の遠地点であるリリスを土台にしていくとも言えます。そもそもリリスはアダムとの婚姻(条件付け)を断っているので、地球の限られた時間や空間の条件付けからは解放されている存在です。リリスは自由に外界(閉じらていない意識)と交流できる存在なのです。
もろもろそういった意味で、太陽中心意識にこれから移行する風の時代には、太陽中心の精神の自分軸から、月というエゴや物質世界を見降ろすといった感じで、今後各自が人生の意義を見出していく時代となります。この生き方は、地球中心のホロスコープ的に言えば、天王星・海王星・冥王星領域の意識存在で生きている状態とも言えますし、それは、地の時代特有のコンセンサス意識では生きていない状態です。じゃあ太陽存在で生きればいいんでしょとなったとしても、それは世間の太陽星座占いの太陽で生きればいいというものではありません。その太陽存在でも、地球の固形物の枠組みに閉じ込められていることになります。もちろん月星座に躍起になるのはもう自分で自分の首を締めるようなものです。
占星術的な考え方においても、これまで固定化された認識や捉え方を変更して、改めて地球という枠組みの人間存在としての肉体感覚を捉え直す必要があるでしょう。これが私的にはとても重要と感じています。
地の時代では、主にスピリチュアルという名のついた肉の塊を食べ物のように買っているような時代なので、そもそもスピリチュアルはただの消費する物にしか過ぎないといったような時代だったかと思います。風の時代は、意識そのものがスピリチュアルな次元の存在として枠に閉じこめられていないので、常に永遠性の自己存在から物質世界を見つめている状態になります。そもそも物質(肉体)の中にスピリチュアルという永遠性を見出すことはしなくなっていくでしょう。物質(肉体)は、固められた瞬間から腐敗していきますので、あまりにも小さな世界の物語です。
なので、私たちはもう死というものがある限られた世界に縛られていない存在だし、力のない存在ではないし、そもそもが太陽の光の意志を持って地球に降り立った存在だということです。そういった意味で、各自が自己存在を改めて捉え直していく時代が風の時代となるでしょう。
生成消滅が当たり前な荒波が立つような地球世界の法則を、軽く塵が舞った程度で見つめていくようなものが太陽意識であり、本当の日の本の民として生きるのは、真の太陽意識が備わるこれからの風の時代からでしょう。ひふみは「騙した岩戸からは、騙した神(天照大神)がお出ましぞ」と言っていますが、本当のアマテラスが復活するのはこれからだということです。
最近、神道政治連盟総務会長を務めていた神社本庁理事の岩手県神社庁長が自殺したそうですが、グレートコンジャンクションのミューテーションのタイミングは、「世界の歴史と宗教における変化」です。この件は単なる派閥争いとも言われていますが、それは小さなことかもしれませんが、現行物質世界においての出来事は、エーテル世界以上のことで起きている出来事のより分割化された矮小化された出来事となります。エーテル世界以上の認識の出来事としては、より大きな変化が起こっているとも言えるのです。もしかしたら、地の時代のアマテラスと言われていた神は、もう信仰の対象にはならないかもしれません。実際他の宗教の神々もそうかもしれません。地の時代的に言えば、抜け殻を信仰していた時代ですので。
今後いろんな事実や変化に面食らったとしも、別に大したことではないのです。地の時代では、信仰でもスピリチュアルでも、ほぼすべてがビジネスと政治のためにあったようなものですから。政治やビジネスが主軸で、そこに従っていたのが信仰とスピリチュアルということです。だから、固形物的な物質偏重の時代は、月(物質)の支配の時代となり、太陽(精神)は影に追いやられていたということだったのです。まともなバランスの時代がようやく風の時代に訪れるでしょう。
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