「そう言えば今日ガス止まるんだよね」「お前ッッッ!!!!!」


「そういえば、ガス代払ってないんだよね。今日中に止められる」

パスタをつつきながら平静を装って言う。目の前の男──フォカロルの反応は分かりきっているので、実際はかなり緊張していたけれど。案の定、彼はその垂れた眦を一瞬で釣り上げた。

「…………………お前っ!!!!!!!!!」

そうそう、これこれ。やっぱこれだよな。オシャレなカフェに響き渡るフォカロルの怒号を聞き流しながら、ほっと息を吐いた。
 






フォカロルと出会ったのは大学一年生の春だった。学科はおろか学部も違ったが、ある授業で適当にグループを組めと言われたので私の方から声をかけたのだ。理由は単純、フォカロルは超のつくイケメンだったから。

フォカロルの容姿は非常に整っている。美しく均衡のとれた長身、垂れた目、凛々しい眉、高い鼻梁。ホント最高、この顔面最良男とグループを組んで、仲良くなって、あわよくば一夜を共にしたい!そういう下心のままに声をかけた私は、すぐ後悔することになる───フォカロルは、イケメンのくせに稀代の努力家だったのだ。
同じ新入生なのに何故か偉そうな彼は、まずグループ全員に自分と同レベルの努力を求めた。この頃の記憶は眠くて曖昧だが、調達してきた去年のA評価レポートを「良い資料だな」と言った所までは鮮明に覚えている。馬鹿野郎なにが「良い資料」だ、こんなモン答えそのものだろうが、と叫ぶには既に疲れすぎていて、とにかく資料を死にものぐるいで集めて整理して考察して、そして物凄く分かりやすいパワーポイントの前で喋るフォカロルの横顔を見ながら思ったのだ─────コイツとは絶ッッッッッ対に寝ない!!!!!!!!!!!



それ以降フォカロルとは仲のいい友人だ。授業の時についた「教官」というあだ名で呼び、お互いに恋愛感情もなく、大学を卒業してからは会う度に説教をカマしたり褒められたりの仲。私は説教に従ったり従わなかったり、まぁとにかく対等に楽しくやっている。閑話休題。夜のカフェに響くフォカロルの声を軽く頭を振って遮ると、その態度が気に食わないらしいフォカロルのコメカミがピクピクと脈打った。

「ねぇ教官、やめて。聞きたくない。一番辛いのはどう考えても私でしょ?帰っても電気付かないんだよ!?」

「自業自得だろうがっ!!!!お前は本当に生活力がない、いや生活力と言うと曖昧だな。無いのは考える力だ!考えろ、自分の頭で!それが出来なくてよく社会人が務まる!」

「だってウチの会社、考える力なんて要らないもん!!」

フォカロルに負けじと叫ぶと、彼がちょっと言葉に詰まるのが分かった。それはそうだ、彼は私の会社がブラックだと知っている。考える力なんてなくとも上から言われることをこなすだけで終電ギリギリ、ポストを確認したりコンビニに行ったりする余裕なんて本当にないのだ。

「大学の頃は教官が居てくれたから良かったなぁ。離れると駄目になっちゃうね」

「いいや、離れたから駄目になったんじゃない。お前は元々駄目だったのが、俺と居る間は何とかなってただけだ。あの頃だって家賃用の金を食費に使い込んでただろう」

はぁ………とお互い違う理由でため息をつく。一方は懐かしさで、一方は呆れかえって。シンクロしたため息だけが明るい音楽に優しく溶けていく。大学の頃に戻りたいな。フォカロルが居てくれたらガス代も家賃も毎月振り込めるのにな。なんとなくしんみりしている私を尻目にフォカロルはぐいっと紅茶を飲み干し、短く「出るぞ」と告げた。

「えぇ、もう終わり?この後なんか予定あるの?」

「予定があるのはお前の方だ。ガス代を振り込め。今からだ」

「い……今から!?急すぎない?心の準備が……もう夜だし」

「必要なのは督促状の準備だけだろうが。そして夜だから一緒に行ってやる、と言っている。一人では行くな」

きゅんっと心臓がイヤな音を立てる。いやいや落ち着け、フォカロルはマジでない。私の好みはもっと意地悪に微笑む遊んでそうな男だったはずだ、結婚するならともかく。いや結婚もないな、教官と結婚したら愚痴ツイが死ぬほどバズって「失礼ですがあなたの旦那さんはモラハラでは?」って何にも分かってないリプが来る未来が見えるもん。なにがモラハラだ、教官は絶対に良い旦那さんになるんだぞ。混乱した頭は不必要に具体的な未来を描き、それを誤魔化すように私も財布を片手に立ち上がった。






「ホラこれ、督促状。財布の中入れててよかったぁ」

「払おうという気があること自体は評価してやる。しかし行動が伴わければ何も意味がない、今回はガス会社の人間も巻き込んでいるのだから、そもそもお前は……」

「あ、もうセミ鳴いてないね。ちょっと寂しいなぁ」

「おい、聞いているのか!?お前のことだろうが!」

「分かってるよ、私が駄目な人間だって話でしょ?上司にもよく言われるから知ってま〜す」

「お前、そんな事言われているのか?…………お前は駄目な人間なんかじゃない。やればできるから言ってるんだ」

「フォ……」

フォカロル。おいおいおい、なんだなんだ、何なんだ今日のこいつは。何でこんなにキュンとくる言葉を吐くんだ。他の男だったらオトしに来たなと身構えるところだが、生憎相手はフォカロルだ。きっと下心ではなく本気で言っているのだろう。それが分かるから困るのだ。誤魔化すために咳払いをすると、「冷えるか」と顔を覗き込まれる。だからそれ……それだよ!オイ!それをやめろ!

「冷えるなら上に着るものを持ってこい。いや違うな、お前の場合は筋肉が足りん。まずは鍛錬か」

「筋トレ?無理だよ絶対、続かないよ」

「続かないのではなく、続けるんだ。俺が指導してやろう、毎日」

「……毎日」

小さな声で呟きながら、あぁ、やめてくれと俯いた。冗談じゃない。微笑みながら優しく口説かれるのが女の子の最高の喜び、と信じている私がまさか毎日筋トレしてやろうなんて言葉でこんな……こんなにときめくとは。全部全部フォカロルが悪い。こんなことを言われたら本当に毎日会いたくなってしまう、と思いながら、初心者でもやりやすい筋トレを思案しているフォカロルに告げる。

「───実は家賃も滞納してんだよね」

「お前ッッッッッッ!!!!!!!!!!」